愛するということ

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コラム
コミュニケーションアドバイザーの ひろいあしとです。
最近他の作業があってブログを投稿できてなかったですが、ふと思う
ところがあり書きたい衝動に駆られキーボードを叩いてます。

今回のテーマは【愛するということ】です。

愛の深淵の一端を覗いた気がしたので、文字にしてみようと思いました。

突然ですが、僕は結婚を3回して尽く失敗に終わっています。

この話を聞くと、3回も結婚できるなんて凄いとかモテるんでしょうね
などの反応で返ってくる場合が比較的多いのですが、当の本人はこの
事実により自分への評価が下がるのではないのかと怯えてあまり人には
話しません。

それに、何故それぞれの相手と結婚したのか、また、離婚したのかと
問われても明確な答えを持ち合わせていませんでした。

実際のところ、誰かに話すことも無かったし相手の事を尊重すれば悪口
を言って終わりという風にはしたくなかったし、その人を愛したという
事を自ら否定はしたくなかったのでしょう。

主観的に考えるなら、相手がどうだった、こうだったなど悪いところを
列挙し自分を正当化すればそれは単純で楽な心の整理法だと思います。

しかし、同じ過ちを3回も繰り返しているわけですから、結局自分が悪い
のではないか、そうだ、自分が悪いからうまくいかなかったのだ。

自分が欠陥品であり、ひとりの女性でさえ幸せにできない未熟者だと。

そう思うようにして女性と関わらなければ誰も不幸にすることがないで
はないか。

そう思って生きてきました・・・

ところが、ある女性によって人を【愛するということ】を教えられました。

今まで、なぜ結婚がうまくいかなかったのか答えが出ずに【自分が悪い】
と結論付けていたのが、それは間違った解釈であったと思い知らされま
した。

それは、お互いに相手の全てを受け入れられていなかったことが原因だと
気付いたのです。

もちろん、頭では【愛するということは全てを受け入れる事】だと分かっ
てはいましたが、こと、男女間になると冷静ではいられなくなります。

好きになった人の家族や幼少期の出来事、青春時代までの淡い恋愛までなら
受け入れられても、大人になっての肉体関係を伴った恋愛は正直あまり聞き
たくはありませんでした。

なぜなら、自分以外の誰かを愛し、身体まで委ねて別れはしたもののその時
の悪い記憶ならまだしも良かった感情が残っていることを知ってしまうと、
嫉妬の感情や、その人と比べての劣等感に苛まされてしまうからです。

なるべく、好きになった人の心の傷を癒すべく相手が話したそうなときには
聞いてあげて寄り添うように努力はしたつもりですが、さすがにどういうと
ころを好きになったとか、SEXの事までは聞けなかったし、また、相手
も暗黙の了解の如く話しませんでした。

つまり、好きになった相手の全てを受け入れるどころか、人格を形成するう
えで重要な要素のひとつであるその人の恋愛部分に蓋をしてしまっている
わけです。

そして、その逆も然り、相手も僕の過去を受け入れてはくれませんでした。

僕の女性関係を異常な嫉妬心で攻撃してくるくらいなら、自分も持ち合わせて
いる感情なので分からなくもないのですが、最初は理解を示してくれていたように思われた、生き別れた子供がいることに関しては徐々に、まるで穢れたもののように反応するようになったことが、僕の心に深い闇を落とすようになったのを覚えています。

それは、互いの一部を見ない事にした視界狭窄の状態。

それを【愛】と呼べるでしょうか?

ドイツの社会心理学者エイリッヒ・フロムは著書の【愛するということ】の
中で人間は孤独を解消する欲求を持っていてそれにより【愛】を求めると
言っています。

その中で、愛するということは・・・

・無条件に与える
・自分の命を与える
・自分から愛さなければ愛は生まれない
・ダメな部分も愛さなければ愛とは言わない
・相手を知って尊重する
・自己中心的な考えでは愛とは言えない

そして、人として成熟していなければ、与えることはできないと言ってい
ます。

愛することは技術でありそこには、配慮、責任、尊重、知る、
が必要であるとしています。

結局は資本主義社会では損得勘定が働き愛を貫き通すのは難しいとも
言っています。

ともあれ僕は結局、この技術が足りなかったためうまくいかなかったので
しょう。

まだまだ、愛の深淵に一端を覗いたに過ぎないのでエラそうなことは言え
ませんが、最後にマハトマ・ガンジーの言葉で締めくくりたいと思います。


「愛とは一般的に思われているほど単純でもなければ体得が容易なもので
もありません。

愛の道は綱渡りをしているかのような集中力が要求されます。
そのために、心にごくわずかなスキがあってもたちまち転落してしまうの
です。

絶え間ない努力はもちろん終わりなき苦痛と果てしない忍耐を覚悟する必要
があります。

しかしそれによって私たちは生きとし生けるものが自分の友であると知り
自分の果たすべき勤めと謙虚さを学ぶのです。

愛の道を進むものはどんな邪念も嘘も憎しみも持ってはいけません。
また、人が欲しがるものを一人でため込んではなりません。

愛とは私たちにとって最高の勤めです。

一切の執着を断ち切り力の限り理想に向かって進んでいくのです。」

ガンジーの言葉は博愛について語ったものだとして、男女間のそれは
複雑でまさしく綱渡りだと言えるでしょう。

人は永遠に追い求める性なのでしょうが、これが生きる意味なのかもしれま
せん。

byひろいあしと











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