会いたくて2月10日

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『会いたくてをこえてゆく』


こんにちは。オンライン心理カウンセラーのすずです。
”こころのよろず屋・和らぎの陽”はわたしとお話しするお部屋の名前と思って頂ければ幸いです。

東京都心は雪から雨へとのことですが皆様お帰りの際は足元にお気をつけてお帰りくださいね。わたしの住んでいる市は雨だけで持ちこたえてくれました。

空からしずくが落ちる度に思いは当時へとかえっていく。
2月10日(雨)、本日は母の14回目の命日です。何回忌か数えなおす事はありますが決して忘れたことはありません。母はわたしが挙式を上げた翌年に亡くなりました。体の違和感は挙式後、胃の痛みや背中の痛み、消化不良から始まりました。「早く病院へ!!」と何度も言いましたが、「お友達と約束があるし、大好きなママさんバレーは行きたいし。何かあったら全部叶わなくなるじゃない?嫌よ、行かない。」


子供じゃないので無理やり連れていくわけにも行かず。それから数か月が経ったのち、癌が判明したのです。病院へ連れて行った日のショックは今でも忘れません。体中に黄疸が出ていました。そして余命宣告。



医師:「膵臓癌a'です」
わたし:「母はあとどのくらい生きられますか?」
医師:「持って3ヵ月でしょう。」



人ってテレビドラマで見ますが告知された時って本当に言葉を失うものなのですね。でも一刻の猶予もないことをすぐさま感じましたね。それから大学病院へ手術をお願いしたりもしましたが、再び絶望。手術途中に医師から告げられました。「腹膜播種がひろがっていてどうにもできない。」と。”せめてご飯だけでも食べれるようにお願いします”と懇願し、バイパス手術だけ施して頂き、その後大学病院をあとに緩和ケア病棟へ移りました。

幸い結婚したばかりで子供がまだおらず母が入院してから妹と交代で寝泊まり生活が始まりました。わたしの方は余命宣告を告げられた日から、小さいノートにその日の母の体調、血圧、体重、服用しているお薬や嫌がったお薬のこと、検査、点滴、廃液した回数と手技すべて記録していました。


そこには母のその日の気持ちや、やりたいこと・悔やまれること、残したい言葉なども併せて綴りました。在宅医療になった時を思い、そうなった時にわたしにできる全ての医療行為をしてあげたかったのです。

緩和ケア病棟でいよいよ会話ができなくなり時に酸素吸入が必要になったころ、母の願いその1「お家に帰りたい」を聞いていたので相談すると看取りのプロの看護師に告げられました。「持って3日だと思います。」母の願いその2を聞いていたので友人を呼び家に来ていただきました。在宅2日目・点滴の交換を行い廃液をし、清拭をしたのち冷えないようにお湯をいれたペットボトルを両脇に挟んでいた頃、時計は真夜中の2時。会話ができなかったはずの母が何か呟きました。たどたどしかったけど確かに聞こえました。



「あ り   が と   う 」


その後わたしは極度の疲労と睡眠不足(この頃すでにパニック障害やうつ病もちでした)もあり気を失いました。
早朝妹が叫ぶ声で起こされました。「早く起きてお姉ちゃん!母さんが息苦しそう!!!」すぐさま訪問看護に連絡をし酸素吸入をお願いしましたがたどり着く前に母の顔に一筋の涙が頬をつたり、3日目の午後2時、息を引き取ったのです。亡くなった後はエンゼルケアと言って妹と訪問看護師と一緒にお風呂場で体を洗いきれいにしたのち、お化粧をしました。



5ヵ月の命でした。55歳。お誕生日、来月に控えていました。

それからわたしは結婚をしていたので忙しく過ごしましたが、本当の意味で悲しみから立ち直るまでに数年がかかりました。失った時は自分の体の一部を失ったような大きく深い悲しみが襲い、何度もお墓へ行ったりもしました。


命日でもそうでなくても、嬉しいこと・悲しいこと、聞きたかったこと・話したかったこと…「会いたい」ただただそう思って悲しんでいました。でも亡くなった人はそこにはいませんし、2度と会うことは叶いません。


母の死から学んだこと。ひとの温もりやさしさ。時間は有限であること。最期まで自分として生きる事。母は最期まで逞しかった。



わたし達はみな生かされています。母の願いはいくつかありましたがこうも言っていました。「羽ばたきたい」



生かされているわたし達にはできることがありますね。それは”繋いでいくこと”命のバトンタッチです。


その人の思いをしょい込まなくてもわたしは良いと思っています。だって人生はわたしの(あなたの)ものだから。それから例えるならお金や物には終わりや残高が見えますがわたしたちがどのくらい生きられるかなんて見えませんよね。


”しょい込むよりあなたの(わたしの)やりたいことを最後まで自分らしく生きる。”


過去はもう去ってしまった
未来はまだ来ていない
この今は短すぎる時間は一体何を残してくれるだろう
<引用:パイロン>

前見て顔あげて。
悲しみ(会いたい)をこえてゆく。
叶えるために生まれてきた、だからわたしは自分の足で此処にたってる。

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あくまでわたしの感じた事を過ぎた経験として今日は語っていますが、大切な誰かを失い立ち直るのは一人ではとても難しいこと。わたしにもたくさんの人の励ましや存在がありお陰様でここにいます。

本日はわたしも母の命日。やりきれない悲しみをわたしにお話してみませんか



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