モラハラ家族の最終形態 由紀子ん家の場合②

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往診ナース由紀子です♬



我が家の場合①↓

最終形態はちょっと言い過ぎ?
いやしかし、かなり最終形態に近いものはあると、2023年、今年のお正月に感じました。

みんな、父親とモメて家を出ているので(笑)
当時、子どもたちが生まれるまでは、実家に寄り付きもしませんでした。

だけど、子どもたちから祖父母を奪うのは間違っているなと思ったので
半分ごみ屋敷と化していた実家を(もともと準ごみ屋敷)
大掃除しました!およそ、18年前に!

このときは、母も手伝ってくれていました。
気の強い人なので、このゴミどうするつもりや??
しゃあないから、捨てといたるわ!!と恩に着せられました(;^_^A

片付いた実家で、お正月くらいはみんなで集まろうと考えたもくろみは成功し、
一応、恒例行事になり、子どもたちのおもちゃも持って行って、
なんとか、家族らしい形になりました。

そんな母が4年間に亡くなってからは、実家でなく兄の家に集まっています!
兄嫁がとんでもなく良い人で、手料理をいろいろ作ってくれて、

家族の集まる場をいまだに作ってくれるのです(´;ω;`)ウッ…
ホントにありがたい・・・!

しかし、年々会話がなくなる(笑)
父親との会話は2~3言で終了(;´Д`A ```

だって、しゃべることないんだも~ん
なぜ、しゃべることがないのかをお伝えする前に・・

母親が急に亡くなったとき、
モラハラ加害者の父親はどうなったでしょう?

母は発病して2週間で亡くなったので、展開が早すぎて、
誰もが事実を受け止められるはずもなく、

私は、仕事を休ませてもらい、毎日父を車に乗せて、母の病院までお見舞いに行きました。

母は不死身と思っていたんですが・・(^▽^;)
突然、父の依存先が亡くなったんですから、心身ともに見るからに
ボロボロになっていました。憔悴しきっておりましたね。

この時ばかりは、兄姉も協力して、
家族で支え合おうとしていました(´;ω;`)ウゥゥ

私は毎日父と会って、かなり密に過ごしましたが、
父親から出てきた会話の内容は

・若いころの自慢話
・いかに母が自分のことを好きだったか

・母と付き合う前もっと金持ちのイケてる女性が自分を好きだった。
そっちと結婚していたらどうなっていたか?

・老後は母と旅行も行こうと思っていた。
それなのに、先に死んでしまって。恨みつらみ、などなど。

わたしも、頑張って話を聞いていました。一生分話した気になりましたが、
ホントに苦痛も感じました。

母に対する感謝の言葉
子どもたちへの配慮
自分の振り返り

そんなものは、欠落しておりましたね(;^_^A
感謝の気持ちを抱けない人って、本当に寂しい末路を辿るんですね。

由紀子は気づけて本当に良かった!!詳細はこちら↓

そして、母の49日も終わらないころ、
知らないおばさんが実家へやってくるようになりました(笑)

誰やねん(;゚Д゚)
一応、挨拶はしましたが、場末のスナックのママ風。

そういうことなんですよ!
結局、人間に依存することでしか、寂しさを埋められないんですよね。
加害者ほど、弱い人はいないんじゃないか・・。

泊まり込んでいる時もあって、知らないおばさんのいる実家には
誰も遠慮して行きません(;´Д`A ```

一人でいることの恐怖から逃れるために、おばさんに頼ったんでしょうが
大事な家族を失うことにつながるとは・・・

本当に分からなかったんでしょうか?
なんて寂しい人生なんでしょう( ノД`)シクシク…

父親と、心が通い合ったと思った瞬間がありません。
面白い話をして笑いあったり、

日常のしょうもないことを話して笑ったり、
そんな些細なことで、人の心は、今つながったなあと思えるのに・・

どうして、つながらない人が父親なんだろう。
ホントに残念でなりません・・。

ちなみに母の病院へいく車中では、
「ちょっと!逝くの早くない?まだ親孝行できてないんやけど!」
という気持ちと、

「まだ、大事なもの(無償の愛)もらってないんやけど!」
という二つの気持ちが込み上げてきて
涙が出ました。

兄姉は、また違った感情を抱いたようで、
一応、兄姉とはそういう会話ができたので、
よかったなあと思っています( ;∀;)

では、本日はこの辺で( ´∀` )



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