正しいことをしたければ、偉くなれ。

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コラム
かの有名な「踊る大捜査線」
和久さん(いかりや長介さん)の名台詞。
「正しいことをしたければ、偉くなれ」

ビッグモーターや旧ジャニーズ、宝塚
もっと言えば政治に至るまで
「こんなはずじゃなかった」と内部の方々は思っておられることでしょう。

最初はほぼ皆さん、邪心などなく
自分だけは「頑張ろう」「正しくあろう」と入っていったはず。
でも、いざ入ってみたら
想像よりも遥かに「ひどい有様」
そして時間の経過とともに
それに慣れ、それを当たり前としていった。
致し方なかったとも言える状況だったに違いない。

組織の中で何かを変えたければ
仲間を集い集団化して戦うか
指示命令の立場に立つしかない。
1人の力で変えることが出来る人間は
鋼どころじゃないメンタル保持者であり、怖いもの知らずだ。

入って間もない人達は
間違っていることを見ないようにする。
そんなことより、今を何とかしないとならないから。
もしくはこの時点で、離れていく。
そして中間あたりで悩む。
それが間違っていることは分かっているが
今さら動くことが面倒だし、更に別の感情が湧く。
「自分達もやってきたのだから出来ないことはないだろう」と。
そしてもう一つ
「自分達は苦労してここまで来たのに、変革して楽になったらズルい」
自分達がしてきた苦労が「なかったこと」になる事は許せないのだ。
さらに上に行くと、もう思考を止める。
今の「楽」を手放したくないという保身のみとなる。

正しいことがしたくて上を目指しても
どんどん風化していく正義感。
周りが騒がないことに対し、例え小さな小石でも
投げて起こる波紋が広がることに恐怖を抱く。
そしていつの間にか、自分も
散々嫌がっていた組織の一部になっていく。
だから、結局何も変わらない。
負のループ。

どう生きるのが正解なんだろうかと
私は未だに答えが出ない。
「正しいことをしたければ、偉くなれ」は
本当に正しい言葉だが
当時と同じ気持ちを維持してきた人にだけに通じる言葉でもあった。

当の私は最終的に
「もう誰かの下ではなく、自分の意志で動ける生活に変えたい」
その感情を持ちながら、ココナラを始めたのも事実。
ただ、ここに至るまでには
それなりに組織での経験は積んできた。
だからこそ、一連の報道に心がざわつくのかもしれない。

組織で起こる不祥事の被害者は
いつでもどこでも同じ。
まっとうに働いている従業員とその家族たち。
もちろん、消費者もなのだが
そこに在籍しているだけで「同罪」とされる現状は
そこにいる者しか理解出来ない。
私にも以前、詐欺会社で働いていた過去があり
被害を被った方々からは恨まれた。
「そんなつもりはなかった・知らなかった」が
なかなか通用しないことを思い知った。
「そこに属していること=そこの人」
営業と同じ。
大手企業の商品ならそれだけで看板だが
中小では、その商品を売る人の人柄が
もう一つの大きな看板になるのと同じ。

そこに存在するだけで責任が発生する。
こういうことを少しでも意識して
諸々に従事していって欲しいな、特に若い人達には。
そして、最後には
「正しいことをしたければ、偉くなれ」じゃなく
「みんなで楽しく正しくやってこー!」
「たまにはハメも外そうねw」
くらいな感覚で次世代を担っていって欲しい。

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