白か黒 ■離婚編_2■

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コラム
義理父が亡くなったと知らされたのは
挙式から2週間後。
新居の荷物の整理やらでバタバタしていた矢先。

朝10時頃だった。
義理祖母からの電話だった。
「お父さんが冷たくなってるの、どうしよう」と。
私自身、正直よく覚えていない。
相当パニックだったんだと思う。
でもなぜか自分の母に電話をし
母の指示に従ったんだと思う。
そういえば救急車の手配って誰がしたんだろう?
気づいたら義理実家に着いていて
先に来ていた主人と義理姉が泣いていた。

私も泣いた。
でもすぐに現実が待っていた。
障害者の義理母が私に言ったのだ。
「今日から一緒にいて」と。

あとから来てくれた私の母が
一旦説得してくれたんだと思う。
その日は帰宅。
義理姉夫婦が実家に残ってくれた。
運のいい事に主人の友人に僧侶の息子がいて
そう時間を空けず葬儀を終え
一段落したのもつかの間
義理姉と主人が私に言った。
「実家に入ってね」
「実家に入ろうと思う」
その日、初めて義理母をトイレに連れて行った。
80キロ近い体重だったんじゃないかな、きっと。
とてもじゃないけど支えきれなくて
私の母と二人でやっとトイレまで連れていき
母が用を足した後の始末をしてくれた。
拭いてあげたのね。
母は「あんたじゃ無理だね」と笑って言ってくれた。
ここまでの期間
挙式からまだ1か月も経過していなかった。

「いくら父が面倒を見なくていいって言ったからって、事情が変わったんだから仕方ないよね?」
「こういうことに最後はなるって分かってて結婚したんじゃないの?」
「無責任じゃないの?」
義理姉は容赦なく私に言う。
そう、義理姉のいう事は正しい。
確かに私が悪い。
逃げたかったとは言え、結婚したんだから。
本当はやらなきゃいけない。
分かってる。
でもまだ結婚して1か月も経ってない。
準備も練習もしていない。
これ以上の天罰はないと
この時は思っていた。

ここで義理姉の旦那さんが間に入ってくれた。
義理姉夫婦は私より10歳上。
「一旦は俺たちでやってやろう。お前の母親だろう」と
義理兄はまだ若い私を庇ってくれた。
そこは今でも感謝している。
義理姉は旦那さんには従順だった。
私は義理兄のお陰で、この時は逃げられた。
とりあえず私たち夫婦は
一旦、二人で暮らせることになった。
もちろん、何かあれば手伝う条件付きだけど
ありがたかった。

でもこの件は
結果、私達夫婦を壊す引き金になっていくのだった。


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