白か黒 ■離婚編_1■

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コラム
私の最初の結婚生活は12年で終わった。
元主人はいい人ではあった。
でも家族の愛を知らない人。
家庭環境に問題があったせいか
一番大事なものが「友達」だった。

私には父の記憶がない。
父は私が3歳になる頃、しょーもない罪で逮捕され
投獄されたからだ。
そこから母は一人で私を育ててくれた。
そのあたりはまた追々として。

主人の両親は健在だったけど
母親が障害者だった。

義理父は建具屋の後継ぎとして義理母の家に婿養子に入っていた。
義理祖父はその後すぐ他界。
義理父が家計を支え、家庭の事は義理祖母がほとんどこなし
義理母は産んだ子供(主人と義理姉)すらろくに面倒を見ず
遊びまわっていたと、私は主人と義理父から聞いていた。
そんな矢先、義理母は外出先で倒れ
介助がなければトイレにさえ行けない体になってしまったらしい。
義理母の介護は義理祖母と義理父がして
主人たち姉弟はほとんど関わっていなかった。
私と主人が知り合ったのは
そこから10年近く経ってからだった。

義理母と初めて会った時
主人とよく似た大きくギョロっとした目で
ただ見つめられる時間が長くて怖かった。
まだ結婚なんて意識もしていなかった当時
そんな第一印象だった。
逆に義理父は、口数が少なくぶっきらぼうだったけど
父親のいない私にとっては
初めて、お父さんってこんな感じなのかな?
と思わせてくれる優しさがあった。

付き合っていくうちに義理母は私に好意的になっていった。
そして求めてくるようになった。
うちに来てくれと。
兄弟のいない母子家庭の私が、この人の面倒も見る。
まだ若かった私には到底受け入れられず
付き合ってから結婚までの5年間の中で
主人とは何度か別れと復縁を繰り返した。

その間、付き合ったり遊んだりした男性が数名いた。
今思えば現実逃避だったんだろうな・・
でもその中にたった一人、今でも忘れられない人がいる。
これもまた追々。

上記のことが色々あった中で疲れた私は
主人のストーカーバリの諦めの悪さと
義理父からも、私の母も同席した話し合いの中で
「母親の事は心配しなくていい、俺が見るから」と押し切られ
結局、私たちは結婚することになった。

本当は逃げたかった。
でも逃げられなかった。
周りを固められてしまったことと
嫌いで別れたわけじゃない人がいたから。

そして案の定
そんな私に天罰が下った。

挙式からわずか2週間後
義理父が心筋梗塞で他界してしまったのだ。
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