私が臨床心理士になる前の話②~NOが言えない~

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私が臨床心理士になる前、大学卒業後すぐ、
正社員として働いていた時のお話です。

正体不明の焦燥感と不安でいっぱいの中、
常に笑顔で『良い子ちゃん』を遂行する毎日。

会社の人間関係に全エネルギーを使い過ぎて、
肝心の仕事ではどうしてもミスをやらかしてしまう。
怒られる→自分を責めるのループ。

帰宅したらヘトヘトで、シャワーを浴びる気力もなく、
コタツで死んだように眠り、喉がカラカラで起きる。

「今日も会社行きたくない…。でも世の中にはもっと私より
不幸な人がいる。私はまだマシだから頑張らないと…」と
自分に言い聞かせていました。

当時の私の愛読書は、『自動車絶望工場』という本。
(著者が期間工として非常に厳しい労働環境で働く話)

ほんとうは、私の辛さは、私が感じている私だけの辛さで、
誰かと比較するものではないはずです。

「辛い」という感情は、相対的なものではなく、絶対的なものです。
でもその時は、誰かと比較して、誰かの不幸で自分を慰める方法しか、
知りませんでした。

なんとか耐える日々が続きました。
一人暮らしで食生活も悲惨なものだったので、
(毎日冷凍パスタ)お肌もボロボロでした。

そんな時、そんなに親しくもない既婚の派遣女性から、
家に手作りご飯を食べに来ないかと誘われました。

お誘いをお受けし、
(人からの誘いを断るということは、120%あり得なかった)
食事にお呼ばれしました。

食事を終えると、とあるビデオを見ないかと言われ、
ビデオを見させられました。

「アルミの鍋は危険だから、この鍋を使った方が良い」
という15分くらいのビデオでした。

派遣女性と旦那さん
「今日出した食事は、すべてこの鍋を使っているの」
「トロミちゃんは肌が荒れているから、サプリを飲んで、
水も浄水器を使った方が良いよ」

人からの誘いを断ることなんて、怖くて到底できなかったので、
鍋とお高いサプリを購入しました。
(実際肌荒れに悩んでもいました)

怪しさを感じながらも、
「この人に嫌われたくない」
「この人に良い人と思われたい」
という思いの方が強かったのです。

おそらく、当時の私のような
他人軸で、自分に自信がなくて、
いつも周囲の機嫌をうかがっているような人間は、
いわゆるねずみ講のターゲットにされやすいのだと思います。

「NOが言えない」ということは、
人生を生きる上で、致命傷になりかねません。
この世界にはいろんな人間がいて、なかには自分の領域に、
土足で踏み込んでくる人もいます。

誰でも土足で踏み込まれたら、傷つきます。

それでも、「出て行って!」と言えなかったとしたら、
「NO」と言えなかったとしたら…

あなたは傷を重ねるいっぽうです。

でも当時の私は、「NO」とは言えませんでした。

派遣女性から、「肌が荒れている」と面と向かって言われたことも、
実はショックでした。
今でもはっきり覚えているくらいだから、
けっこう傷ついたのです。

それでも、私は派遣女性から見捨てられないように、必死でした。

私は、派遣女性でも、苦手な上司でも、圧の強い先輩でも、とにかく地球上の誰にも、嫌われたくなかったし、見捨てられたくなかったのです。

私のアイデンティティは、私にあるのではなく、
「他者の評価」にありました。

その「他者」というのは、誰でも良かったのです。

私は、きっと現実の世界で生きていなかったのだと思います。
現実の派遣女性、現実の上司、現実の先輩、をちゃんと見て、触れて、感じていなかったのだと思います。

すべての人に、私を条件付きでしか承認してくれなかった、
『母のイメージ』を重ねていたのだと思います。

母に「NO」と一度も言ったことがない私が、『母のイメージ』を重ねている他者に対して、「NO」と言えるわけがありません。

そんなこんなで、結局その派遣女性は、部署内の他の社員に対しても、
さまざまな商品を勧めていたことがわかり、問題となったので、退職されました。

私は派遣女性が退職して、心底ほっとしました。
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