カウンセリングでの気づき①

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学び
約2年ほど〖ゲシュタルト療法〗というカウンセリングを受けていました。
長くなりましたが、そのときの気づきです。

私:「夫が私の話を適当に聞いてるなと感じると、めちゃくちゃ怒りがわくんです。それでいつも喧嘩になります」

~私が一人二役(私役/夫役)で演じてみることに~
~エンプティチェア(空の椅子)~

※下記の夫の箇所は、私が「夫はこう思ってるのかな」と浮かんできたもの。
※二つの椅子に、私が交互に入れ替わって、私役と夫役をした。

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私:「なんで話聞いてくれへんのよ!」「夫婦やのにあんたがいる意味ないわ!」
夫:「聞いてるつもりやけど、いつもそう言われて怒られて疲れる」「トロミの要求はいつも大きすぎる」
私:「…。それは理解できる。今夫が言ったこと一言一句そのまま、母にそう感じていた…」
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母は幼い私に愚痴や悩みをえんえんと話し、私はいつも聞き役でした。
母は私が適当に相槌をうつと怒るので、私は一生懸命何時間も母の話を聞いてきました。母が私の話を聞くことはほぼありませんでした。

夫に感じていた怒りは、実は何十年と私の話を聞いてくれなかった母に対する積年の強い怒りだったのです。
そして、私は心のどこかで「母の要求は大きすぎる」と感じていたけど、母が望む「献身的な娘像」とは違うので、その思いは封じ込めてきたのでしょう。

「私は母の話を一生懸命聞いてきたのに、なんで夫はこんなに適当に聞くんだ!当然ちゃんと聞くべきだろう!」という思いもどこかにあり、それも夫への怒りにつながっていました。

その後、もう一度エンプティチェアをして気づいたこと
・「母に話を聞いてもらえない=母に関心を持ってもらえない」と感じていた。
・でも本当は母に話を聞いてもらいたかったし、関心を持って欲しかった。
・私が夫に求めているものは、母が子に対して無条件で抱きしめながら、なんでも「うんうん」と聞くような、私の理想像の母であった。
・夫は、私から理想像の母を求められて、要求が大きすぎると感じていた。
・「私の話を聞いてよ!」の本当の願いは、「私に関心を持ってよ!」「私を見てよ!」という幼いころから抱き続けた強い欲求だった。

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セラピスト:あなたは本当は旦那さんを攻撃したいんじゃなくて、関心を持ってほしいのね。攻撃というのは、本音ではないのね。
私:そうだと思います。
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私は、これまで〖自分の欲求を言葉で伝える〗ということを、あまりしてきませんでした。母に伝えても、結局その欲求は叶わないので、抑え込む方法しか知らなかったのです。

「話を聞いてよ!」の奥にある「私に関心を持って欲しい」という願いを、そのまま言葉で夫に伝えることが、私の心も夫の心も尊重することに繋がるかもしれません。

夫からしても、「話を聞け!」と攻撃されるよりも、素直に「私は適当に話を聞かれていると感じたら、関心を向けてもらえていないような気がして悲しいから、こうやって聞いて欲しい」と言われた方が、聞きやすいそうです。
怒りを感じたときに、怒りをそのまま相手にぶつけるか、相手の立場に立った選択をするか、は本来は選ぶことができます。(めちゃくちゃ難しいですが…)

私はこれまで、怒りをそのまま夫にぶつけるというパターンしかやってきませんでしたが、相手の立場に立つという選択をして、発言や行動ができたとしたら、それが成長ということだと思います。(まだ全然できてません…)
自分の本当の願い、欲求に気づくことはとても大切なのですが、そんな簡単なことではありません。

「この怒りの奥にある本当の願いは何なのだろう…?」
「この怒りは、本当に目の前のこの人だけに感じているものなのだろうか…?」

と一度考えてみるのも悪くないかもしれません。
非常に長くなって申し訳ありません。

これからも、いろんな気づきや感じたことを投稿していきたいと思います。
これからどうぞよろしくお願いします。

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