「物語を書く」ことと「システム開発」の共通点

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こんにちは。『徒然なる世界』の管理人リュードです。
今回の話は少し長めになります。
最後までお付き合いいただければ幸いに存じます。

私は、たまに他の人から
「どうすればあなたのような文章力を身に付けることができますか?」
と質問を受けることがあります。

その時、私はいつも
「そんなの知りません。文章力上達のコツがあるのなら、むしろ私が知りたいぐらいです」
と返事をするようにしています。

昔話をすると、私は学校時代、国語の授業が苦手でした。
成績そのものは特に悪くなく、文章を読むことは嫌いではありませんでした。

私が苦手だったのは、いわゆる「作文」です。
特に読書感想文などは、本当に嫌な課題でしたね。

では、何故今こうして文章系クリエイターとして活動ができているのか。

私にとって、物語を書くという行為は
「文章をしたためる」ことではなく
「システム開発」そのものだからなのです。

作文の場合、先に挙げた読書感想文などはその好例なのですが、
なにか本を読んだ時、その本の内容に対して自分がどのように感じたか、
その本が主張したいことに対してどのような解釈を抱いたか、
ということを「自分の文章で」書かなければならないのですね。

私はこの
「自分の文章で」
というところが非常に苦手だったのですよ。

まぁ、当時いじめられていたということも多少影響していたかも知れません。
迂闊に自分の思いを言おうものなら、それをネタにいじめられるとか思ったり。

対して「システム開発」というのは、
クライアントからこのシステムを作ってほしいという要望を受けて取り組むものです。

具体的にどんな機能が欲しいかをクライアントから聞き取ったり、
その機能を実現するのに適した環境や言語を選定したり、
欲しい機能を実現するために他にどのような機能が必要かを話し合ったり、
それらの機能を効率よく稼働させるためにはどのようなシステム構成にすればよいか、

といったことをトップダウン式に決めていくわけです。

私の創作活動も、まさにこの方式そのものなのです。

つまり、
どんなテーマで物語を書きたいか、
そのテーマを実現するにあたって書きたいシーンはなにか、
その書きたいシーンを成立させるために必要なイベントはなにか、
さらにそれらのシーンやイベントを矛盾なくデイジーチェーン(数珠繋ぎ)するためにはどうするか、

ということをやはりトップダウン式に決めていき、最終的に一つの物語として完成させていくのです。

つまり、私は確かに
「創作人」ではあるし、
「文章系クリエイター」でもあるのですけど、

間違っても「作家」ではないし、
まして「先生」と呼ばれることなどおこがましい。

そう思っているわけです。

恐らく、今私がここで申し上げたことは、
プロの作家であれば例外なく実践していることだろうと思います。

なので、わざわざ私のような人間が論説を立てる必要もないのだと思います。

ただ、「物語を書く」ことと「システム開発」は、
色々と共通する点があるのだな、ということを
こうして文章にまとめてみたかったので、この場を借りてお話しした、ということです。
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