死にそうな目にあったら逆らうのです 幸せは許します

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コラム
私は何を望んだのでしょう。

愛する人が、悩み、苦しみながらそこに留まる世界。
愛する人が、悩み、苦しみながらも先に進んで行く世界。

もちろん、進んだからと言って、幸せになれる保証はありません。
進んだ先にさらなる地獄が待っているかもしれません。
それに耐えきれず壊れてしまうかもしれません。
そのまま、戻ってこられないかもしれません。
……。
でも、そのままでは地獄なのです。


何を思ったか、<幸>と言う漢字を漢和辞典で調べたことがあります。

古い字の形は、こちらだそうです。変換でうまく出せず……。
ペイントでマウスで書きました。ちょっと……もうこれでいきます。
siawase.gif
なりたち 【会意】
「若死(わかじ)に」の意味を表す「夭」(土はかわった形)と、
「さからう」意味を表す「屰」「 (手書きの下の部分です) 」はかわった形)とをあわせた字。
災害をさけて死なないで助かることを表す。
のちに死なないで助かることから「思いがけないしあわせ」の意味につかわれるようになった。

改訂新版 漢和学習辞典 (改訂新版(新装)第7刷発行)

これを読んで、私はこう綴りました。

幸せは「若死に逆らう」です幸いです
死にそうな目にあったら逆らうのです
幸せは許します

私は、進みます。
どんな地獄であろうと、そもそもこの世はすでに、地獄なのです。
私は、これまでそこで生きてきたのです。
考えたら、私はすでに地獄の住民です。
これまでと同じじゃないですか。


そのあと、私は、この頃の気持ちの結論として、こう綴りました。

「わかりました。わざわざ世の中をよくする必要はありません。地獄で生きていける人間が増えればいいのです。」


逸脱していいんだと言う選択肢もなければなりません。
だからこそ、その上で選ばなければなりません。

「これしかない」と先に示すのは違うはずです。

どこに行くかは本人が決めるべきなのです。

その中でどこを目指すか本人が定めるのです。

だから私はこう綴りました。

Yes or No? ―違います。
もう、善悪の判断はいらないのです
「私か」「貴方か」
それだけです

私が行きたいところに行くか、貴方が行きたいところに行くか。
貴方がいいと思うものにするか、私がいいと思うものにするか。
それでいいんだ。と思ったらほっとしました。
他人の言葉は必要ない。
私と貴方で決めればいい。

でも、なんだか目指すは同じ場所。

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