私の歴史 〜会社員編〜#3

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コラム
20歳、私は就職した。
同居している母親が家賃を滞納している事を、
家庭を持っている姉からのメールで知ったから。
焦った。同時に、安らぎを求めた自分が申し訳なくなった。
「手段を選んでいる状況じゃない。」
「やれないならホームレスにでもなってくれ。」
メールの、たかがテキストに頬を打たれた。
どうやらこの世界において、私に安らぎなど無いようだ。
これは、これから私を待つ死の話。

●目次
・焦燥
・対峙
・増水
・決壊
・鬱病
・幽閉
・脱獄


・焦燥

良い環境に恵まれたバイトを辞めた。
一刻も早く就職したかった。
「就活」というワードが流行る世の中だったが
小さな制作会社に一発で内定をもらった。
募集人数は1人。
13人受けた中の1人に選ばれたらしい。
写真スタジオも併設されている会社だったので
私は、カメラマン志望として入社した。
今までの事を、何か活かせるのではないかと思った。
なにより、お金の事を考えていた。
私はいったい、何をしたいんだ。


・対峙

カメラマンは社内に1人。50代のベテラン。
私は、その人のもとでゼロから学ぶ事になった。
「古き悪き」といったところだろうか。
見て盗め、というタイプだったし
図形や数値で考えるカメラマンと、
情景や感覚で考える私とでは性格が合わなかった。
お互いに思っていることの辿り着く先は同じでも
カメラマンの思考に合わないから誤解が生まれた。
カメラマンの頭の中の辞書に無い言葉で説明をすると
正しい事でも伝わらず、激怒され
違うニュアンスで、自分の言った事と同じ事を説明される。
「あれ」や「それ」などの曖昧な表現や、
道具の名称の言い間違いも非常に多い。
しかし、私のような若造がベラベラ言うのも反社会的だ。
私はいったい、何をしたいんだ。


・増水

私には何もわからなかった。
教えもされず、「とりあえず経験。撮ってみろ。」と言うから
撮ったら仕上がりに激怒される。
私には何もわからなかった。
仕事が暇な日のカメラマンは自室で居眠りしている。

何をすれば。
給料を貰っている以上、何か行動をしたい。
給料泥棒のような気がして、教えを乞いたいが
何もわからぬまま怒鳴られるのは嫌だ。
「本来お金を払って教わるものを、お金を貰ってお前は学んでいるんだ」と口癖のように言っていたが
私は何を学べているのだろうか。
私はいったい、何をしたいんだ。


・決壊

怒られてばかりの毎日だったが
それに慣れる事はなかった。
私の中の、何かが膨らんでいく。

撮影の練習時間を設けてもらったが
見られていると頭が混乱する。
いつも通りカメラマンの怒りスイッチが入った。
私の中の、何かが膨らんでいく。

「写真と絵は同じだ。光と陰影で表現する。」

「絵を描いているらしいけど、本当は描けないんだろ?」

「本当は下手くそなんだろ?見なくてもわかる。」

「絵が上手かったら写真も上手いはずだ。」

「絵も下手くそだから受験にも落ちて写真も駄目なんだ。」

「酷い奴だな。上手いふりして全部下手くそで。」

「詐欺師だね。この嘘つきが。」

その時、私の中の何かが壊れた。
いや、すべてが壊れた。
削れてなおとても堅かったはずのものが、瓦礫となった。

帰り道、ボールペンで詐欺師の右手を刺した。
刺さらずに、ボールペンが折れた。
血液の代わりの真っ黒なインクが、手を汚した。
私は罪人だ。
こうしてまた、罪のないボールペンの命も奪った。
私は罪人だ。
私は罪人だ。


・鬱病

眠れなくなってしまった。
夜が明け始めるまで寝付けない。
そんな状態で会社に行っても頭が働かない。

食べられなくなってしまった。
朝、通勤途中にコンビニのパンをひとつ食べて
歩く骸骨の、1日の食事が終わる。
あるいは、幾日か何も食べない時もあった。

すべてが虚無になった。
もうこの世界でやる事はない。
なんて、おこがましいか。
もうこの世界にいさせていただく事が許されない。
が正しいか。
どうでもいいか。
太陽はもう、私に温もりを与えてくださらない。
公園のベンチももう、私に優しい顔を向けてくださらない。
希死念慮が私を支配していく。
消えてしまいたい。
消えなくてはならない。
消えるべきだ。
消えろ。

しかし、
これはある種の本能なのだろうか。
私は心療内科の前にいた。
ここまでの記憶がない。
会社も休んだらしいが
記憶がない。
何をする訳でもなく、電柱のごとく突っ立って
病院の看板を見つめていた。

そこで私は、「鬱病」と名付けられた。


・幽閉

病院で薬を処方されたが、
仕事は休めない。
試用期間で、まだ時給制だったから
休んだらお金が入らなくなるし
社会人たるもの、休んではいけないのだ。
私も早く力にならなければ。
誰も裏切らないようにしなければ。

カメラマンには鬱病の事は話さなかった。
それでまた何か言われても嫌だし。
相変わらず怒号は止まないけど。

医師や薬に、救いを求めてしまってからというもの
薬が効き始めない事において、
憂鬱と焦燥感が激しくなった。

あらゆるものが
例えば、すれ違う人、タンスやドアノブ、
葉っぱや石ころとか
この世のすべてが私を怒鳴り立てているように感じた。
居場所がない。逃げ場所がない。
もちろん、仕事帰りのこの電車の中にすら。

最寄り駅まで帰ってきた。
駐輪場に入って自分の自転車を見付ける。
財布を開くと、お札を崩すのを忘れていた。
出庫するための100円玉がなくて
また心が打ち砕かれた。
サドルに突っ伏して、身動きひとつ出来なくなった。
頭の隅っこで、微かに
神様だとか仏様だとか、何かその類いの存在が
私にも慈悲をくれないものかと思った。
サドルに突っ伏して、ずっとそれを待っていた。
しかし、罪人がもらえる情けなどない事はわかっていた。
大勢の自転車たちが、口々に私を罵った。
少し風が吹いた。
それにまた心が打ち砕かれた。

夜が明けてくる。
私は、駅へと向かった。


・脱獄

2ヶ月ほど経って、
ようやく薬が効き始めた。
だんだんと頭が働くようになってきて
さすがにカメラマンは辞めようと思った。
まだのろまだが、真っすぐ歩けるようにはなってきた。
薬って、すごいな。

そこからまた2ヶ月ほど経って
社長と昼食に出かけて、相談した。
私は生まれ付き腰椎の奇形があって
腰が痛むという理由でカメラマンは辞めようと思った。
実際、痛んでいたし。
社長の話によれば
「このままカメラマンを続けて、実力がついてきて
30代くらいで独立したとしても
腰を痛めて仕事にならなかったら大変だし
今のうちにカメラマンは辞めておこうか。」
という内容だった。
そこで、
「営業やってみない?」
と言われた。
そもそも私の事は人柄で採用した部分が大きいらしくて
営業向きだと前から思っていたらしい。

私は快諾した。
その方向で社内が動き始める。
小さい会社だった事をありがたく感じた。

世界は切り替わる。
私はスーツを着て出社した。
今日から営業部。
生ける亡霊として歩く。
燃え尽きなかった部分の命が
申し訳なさそうに燻ぶっていた。

されど、こうして私は
死んでいった無数の私たちの亡霊に追われる身となった。
脱獄した逃亡犯。
死んだ亡霊に追われる、生ける亡霊。

私はいったい、何をしたいんだ。

何だろね。

何にせよ、できた道を歩こうか。
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