「胃がパンパン」フードファイター限界への挑戦と過食症の話

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コラム

先日、胃内視鏡検査を受けてきました。

私は長年の過食と嘔吐のせいで逆流性食道炎です。
以前は逆流性食道炎の最強の治療薬であるタケキャブを休むことなく何年も常用していても、
過食嘔吐をしていたので結局イタチごっこどころか悪化の一途だったので、
私の処方箋には「難治性逆流性食道炎」という印が押されていました。

酷い時には背中が痛み(食道の痛みは背部痛として出ることがあるそうです)、
唾液を飲み込むことができないほどの痛みで、唾液をぺっぺっとキッチンの水槽に吐き出しながら生活をしていた時もありました。

過食嘔吐しなくなった今は、タケキャブに頼らず生活することができていますが、
胃液で食道を傷付けてきた年月は取り返しがきかないダメージとなっています。
胃と食道のつなぎ目、胃の入り口である噴門と呼ばれる部分は緩み、胃液の逆流による胃もたれといった症状は、未だに常日頃みたいな感じです。

そんな不快な症状を抱えている私にとって、毎年の胃内視鏡検査は欠かせないものになっていて、
先日、2024年度の胃内視鏡検査を受けてきました。

昨年かかりつけ医を変えて、今回のクリニックでは初めての内視鏡検査で、多少胃の所見も変わるかなと、少し不安に思いながら検査をしてもらい、検査後日、結果を聞きに行きました。

結果としては
「胃の入り口が開いちゃってるから逆流性食道炎だね。そんなに酷くないよ。食べてすぐに寝ないように。コーヒーとか紅茶、緑茶は控えてね」
とのことで少し安心しましたし、

「ポリープあっちこっちにあるけど、悪さをしそうなものはなかったから大丈夫」とも言われ、これもまあ良かったという感じでした。

また、「こんなところからバレちゃうんだ〜」ということも言われました。

「胃を膨らませてみたんだけど、胃下垂だから骨盤の方までグ~ンと下がるよね。結構いっぱい食べれちゃうでしょ。女性は多いんだよね。大食いの人とか女性の方が多いのも伸びて入っちゃうんだよね。」

そんなこと言われたことはなかったので、自分の胃の形状まで説明されてビックリしましたし、

私の胃が過食で鍛えられて大きく伸びるようになったのか、生まれつきかはわかりませんが、恐らく両方だと思いますが、
過去、過食症だっただけに「入ってしまう」ということは胃を見ればバレてしまうんだと、自分の見せたくないところを見られてしまったようで恥ずかしくなりました。

昔、胃下垂の人は太らないとかいう話を聞いて、
胃下垂になりたいなと思いました。これ根拠はないようですよね。

私は胃の消化に時間がかかるようになったと自覚しているのですが、自分が歳をとったせいもあるでしょうけど、自分が胃下垂だからだとも思っています。

胃下垂だと胃の内容物が胃の底の方(骨盤あたりまでいくらしい)に貯まるので、胃から十二指腸への押し出しが緩慢で、胃内容物の停滞時間が長くなるんじゃないかと思っています。
そうすると消化不良ぎみになりますよね。
胃下垂って良いことないんだろうと思っています。

腹筋をつけること、インナーマッスルをつけることである程度強制できると思うのですが、なかなか難しいことでしょうね。

女性の方が筋肉がないので胃を定位置で支える外側からのストッパーに乏しく、いくらでも大きく伸びやすいという見方をすれば、
小さな身体なのに女性の方が大食いだったり、女性の大食いタレントさんが多いのも、納得できることですね。

この話の流れからですが、
胃内視鏡検査を終えて、先に書いたようなことを思った数日後の最近、テレビで大食い選手権が放送されていました。

7㎏とかあり得ない量を身体に胃に収めているので、胃が下がって伸びるどころではないと思いました。

限界になっているであろうパンパンの胃のせいで、身体に収まっている臓器はどれだけ圧迫されているんだろうと思いました。
恐らく柔軟に形を変形させて、腹壁に沿うように収まっているんだろうと思いますが、
かなりの負担を強いられているんだろうと思って放送を見ていました。

フードファイターや大食いタレントさんは、「大食い」を稼ぐという目的以外に、「自分の生きる道」「生き甲斐」「生きる意味」「自分の限界への挑戦」と捉えていると思うので、

大食いを極めていくことを「追求している」というか、「大食いへの愛」というか「大食いへの忠誠心」を持っているように感じました。

「身体を酷使して心を鍛え上げるアスリートと同じ」で、
だからこそ「フードファイター」であって、
やっぱりもう最終的には「自分との闘い」になっているなとテレビを見ていて感じました。

「大食い愛」「大食いへの忠誠心」に、身体が心配とか余計な邪念は要らないんでしょうね。
そんなこと考えていたら愛を貫くこと、「自分を貫くこと」ができませんものね。

フードファイターや大食いタレントとして生きていくのであれば、健康を捨てるような覚悟を持たないとダメでしょうね。
ノリとか目立ちたいからとかそんな半端な気持ちでは後々後悔すると思います。

自分の命をかけて、自分のアイデンティティとして限界まで食べ続けるのなら、食べ物が豊富な今の時代、それは素晴らしい生き方なんだろうと思いました。

限界近くまで食べるって、その限界に個人差がありますが、胃をパンパンにするってすごく辛くて苦しいです。

過食症だって、それこそ胃がパンパンになるまで食べることをやめられないので、嘔吐しなくても過食だけでも身体に負担を強いることになります。

過食に愛や忠誠心があるわけない、
嫌悪と憎しみしかないのに、この身を過食に捧げてしまう矛盾が本当に悔しくやるせなくなります。

けれども、

過食している今を通過しないと、見えてこない未来があります。見えてこない未来を見る必要があるために、今過食しています。

過食があることで過食が支えとなることで今を生きることができます。今生きる必要があるために、過食しています。

過食を克服する強さを獲得するため、今過食する自分と闘っています。過食する自分と闘うことは、過食を克服する強さの獲得に必要だからです。

今、自分には過食が必要だと理解して、身体を酷使することも承知の上で、
過食とともに歩みを止めずに進んでいくしかありません。

食べるってその食物から命を頂くことですけど、その食物を消化吸収し生命を営むためのエネルギーに変換するためには、これまたエネルギーが必要になります。

口から入れるエネルギー源となる食物が途絶えれば、食物からのエネルギーの変換も途絶え、そうなると体内に貯蔵されているものだけでエネルギー変換を行い命をつなぐことになります。

私たちの身体は常にエネルギーを循環させて生きています。
エネルギーが途絶えてもなお、自家発電的に生きるためのエネルギー貯蔵庫も肝臓に皮下脂肪に用意されています。

身体と同様に、私たちは自分の問題を自家発電的に自己処理できる力が各自備わっていると思います。
その自己処理力を使っていくことが「成長」になるように思います。

それは、エネルギーが途絶え、追い詰められた時に発揮できるものかもしれません。
追い詰められたら「自分を信じる」しかなくなります。壁に当たるってそういうことですよね。

安全なところを生きていたら壁に当たりません。
与えられてばかりいたら自分を信じる機会を失います。
自分を信じる強さを理解せずに、成長なんてできません。

過食症の焦点は「食べて嘔吐する症状」ではありません。
成長課題は「自分の中にある」ことさえ理解できれば、過食症は必ずクリアできます。

話がいつも以上に散らばってしまいました。
読みにくい文章なのに今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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