心の調律、はじめませんか?

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こんにちは。
たまーに電話待機している「ちろる。」ともうしますっ!
今日は私がココナラを通じて伝えたいことのお話しです。

本来、人間誰しも「本音」を持っています。
大人になるにつれいろんな環境に揉まれ、いろいろな経験をして、多くの人はその本音と離れた決断をし始めます。
それが「平和」を生むと信じて、「我慢」をし、自分の本音から離れたところで決定を繰り返します。
きっとそれが本心に逆らっている決定だとわかっていても、「自分さえ我慢すれば」とか「しかたないから」という言葉で自分に言い聞かせ、決断を下しているのでしょう。

これができているあなたは、本当に立派な大人だと思います!

でも。。。。。。


もっと自分を大切にしませんか?


あなたは、人のために生きてるんじゃない。
あなたは、あなたが幸せになるためにここに生を受けているんです。
あなたのための人生。
それでいいんですか?



こんなこと言ってますが、私もかつては同じ思考でした。
「自分さえ我慢すれば」って心に逆らって我慢を繰り返してた。
いつしか「我慢」することが普通になって、つらさを自分に当たって。
一体だれのために生きてるんだろう?って、毎日涙していました。
こんなに苦しい人生ならいっそ終わらせてしまえ、と何度も思いました。
でも勇気もなくてそんなこともできなくて。
あるとき、何かが吹っ切れてしまったんですよね。

「私の我慢てどれだけ意味あるんだろう」って。

たられば話になっちゃうけど、

もし、私が我慢しなかったら、本当にうまい展開にはならなかったのかな?
もし、我慢しなくても、うまい展開になるなら、私の我慢てなんなの?
私ってそんなに人に影響力を与えてるの?

「私が我慢すれば」って考えはかなりの上から目線だってこの時気が付きました。
はじめは悲観的に考えてたはずなのに、私はいつの間にか世界を回しているかのように「私が○○すれば、うまくいく」って考えになっていて。
その考えが「おこがましい」と思うようになりました。

でもこのころには、もう私は自分の本音への帰り道を完全に見失っていました。
自分が勝手に「我慢」をし続けたせいで、帰り道は完全に霧に覆われていました。

自分がどうしたいかもわからない。

とりあえず無駄な我慢をすることはやめました。
我慢の癖はなかなか抜けなくて、自分の本音もわからない私は自分の気持ちを人に伝えることもできませんでした。
気が付いたらまた我慢してるし、我慢しないってことが怖かったです。
そして、我慢しない未来を考えることがまたものすごく怖かった。

少しづつ少しづつ、我慢して苦しい自分に問いかけました。

「私は本当はどうしたいの?」って。

「私には本音を話していいんだよ」って。

勇気をだして我慢する以外の決断も増やしていきました。
すこしづつ。すこしづつ。

そんなことを何年も繰り返して、私はやっと自分と会話ができるようになりました。(要は自問自答できるようになりました)
自分の建前と本音を、別々に明確にわかるようになりました。
本音を知って我慢するのと本音を知らずに我慢するのは、気持ちの上で大きく違います。
そして、

「我慢」を封印しても、うまい未来を導くことはできる。

と今の私は思っています。

自分の本音は、時に醜くく、受け入れがたかったりもします。
その全部が自分であることを受けいれることが第一歩です。
そして昔の私のように霧が深くてその「本音」にたどり着けずに迷子になっている人は数多くいると感じます。

私は、自分の経験を通して、あなたの霧をはらすお手伝いがしたいです。


「本音」「本心」。

その原点を自分に気づかせること。

それが、心の調律のはじまりです。



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