ゴーストライターは、なぜイメージが悪いのか?

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コラム
2年以上、ココナラで仕事を受けてまいりましたが、久しぶりに枠が空いています!
たまたま、ご依頼と納品のタイミングの関係で、エアポケットに入ったような感覚なのかもしれませんが、正直ちょっとだけ不安になりますね。

今、ご依頼をいただけると、書籍1冊分でも、だいぶ早く納品できると思います。調子がよければ、1週間か10日ぐらいで完成させられそうです。
あえて自分で言いますが、チャンスですよ~~!!
かなり昔から「ゴーストライター」という言葉が世間で浸透しています。著者として名前を出している人物とは別の人間が、代わりにコッソリ原稿を書いている……。そのライターが「ゴースト」呼ばわりされているんですね。

正体を隠している、実態が見えないという意味なのでしょうか。

私自身はどちらかというと「ゴースト? なんかカッコイイやんか」と思ってしまうタイプなのですが、言葉のイメージが良くないので、最近では「ブックライター」などと呼び替える動きもあるみたいですね。
ただ、芸能人の自叙伝や、経営者が出すビジネス書は、全体の8~9割がライターの代筆だといわれています。かつて、松本伊代さんが出版したエッセイ本について、ラジオで内容を尋ねられて「まだ読んでないんですけど」と答えたのは有名なエピソードですね。
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著者が自分で書いていないという事実は、はたして、読者に対する「ウソ」や「裏切り」なのかどうか。
仮にウソだとして、「いいウソ」か「悪いウソ」かは、意見が分かれそうですね。

今どき、様々な芸能人やアーティストのファンだって「プロのライターがインタビューして代筆している」って、ちゃんと理解していますよね。
その芸能人が「自分で書かなきゃ納得しない」という、コアなファンも一部にいるでしょう。ただ、ほとんどのファンは「本が出れば、嬉しい」のだし、「自分で書くことにこだわって、いつまで経っても出ない」ことのほうがガッカリです。

確かに、著者でない別人がゴーストライターを務めて原稿を書くと、社会的に厳しく非難されることがあります。それは「小説」「詩」などです。

作者の世界観を綴った芸術作品は、言葉づかいや文章表現などの細かいクセも含めて、読者による鑑賞の対象となります。絵画や書なら、作者の色選びや筆さばきのような部分ですね。

しかし、本の読者が文章の細かいクセを気にしておらず、その奥にある「人生経験」「価値観・人生観」「独自の発見や研究成果」を知りたがっているのなら、代筆に何の問題もありません。むしろ、文章のクセが少ないほうが、読みやすくて助かります。

いつもお忙しいのに、ご自身で書くことにこだわるあまり…… いつまで経っても書き上がらず、せっかくの大切な計画が塩漬けになったままの状態のほうが、世の中のためになりません。

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たとえば、ロックミュージシャンの矢沢永吉の自伝『成り上がり』(昭和53年刊)は、ヤザワが自分で書いたからこそ売れたのでしょうか?

そんなことはありません。他でもない「ヤザワの自伝」がついに出たから、ワレもワレもと みんなが読みたがったのであって、糸井重里氏がライターとして原稿を代筆した事実なんて、誰も気にしていません。

原稿は、執筆のプロに任せたほうが、早くて正確で読みやすく整います。そのほうがファンは喜びますよね。ヤザワは本業でこそ、自分の手を動かすことにこだわって、名曲を届ける営みに集中すべきです。

電子書籍は、誰でも出せるいい時代になりました。経営者が書いた電子書籍の読者は、商品やサービスの見込み客とみなすこともできますから、ビジネスでも有利です。

「本を出したいけど、忙しいからな~」と思って、何ヶ月も目標を先延ばしにしているあなた、プロにお任せください。
私をもう少し忙しくしてくださってもいいんですよ (^ ^)

あなたの人生経験や発見、世界観やアイデアなどを、1冊の形に仕上げるため、全力を尽くします。


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