再現性=基準を示す、ということ

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マネー・副業
私は大学生のときにサッカースクールでコーチのアルバイトをしていました。当時は『再現性』という言葉のように感じたことをはっきりと言語化できていませんでしたが、今では当時指導していたときに感じていた違和感は『再現性=基準を示す』という言葉で表現できるな、と今では振り返れます。

そのスクールの代表はとても人のよい方でした。スクール自体は幼児〜中学生までを抱えていて、エリアも4エリアで展開していました。プロスポーツクラブとの提携や年に一度海外遠征に行く機会をつくってくれるくらい、積極的に子どもたちのための成長にコミットしようとしてくれていました。生徒も200人以上くらいはいたと思います。月謝収入だけでも一人単価月¥5,000だとしても月の収入は100万円なので世間の成功者の基準にもなっている年収1000万は超えていたと思います。当然周りに人も集まってきます。いなぁ、、と感じていたことを覚えています。
ですが、事業の再現性という観点では個人的な意見ですが、少し???と思うようなこともありました。
なぜ???だったのかというと、代表のもっているメソッドが言語化されているわけではなく、アルバイトのコーチは代表の背中をみて学ぶ、という側面が多かったというからです。背中を見て学ぶ、というと聞こえはいいかもしれませんが、それはどこまでいっても感覚です。再現性がありません。感覚で察して指導法やメソッドを習得できる人はかなり優秀な方です。全員そんな方たちばかりではありません。代表の指導を毎日見る機会を作ることができればまだよいですが、アルバイトやその他のコーチが増えていくほどそんな時間や余裕はなくなっていきます。

例えば、Aさんというサッカークラブの代表をしている指導者がいます。
Aさんは生徒の小学校1年生〜小学校6年生までの期間、指導させてもらう時間的猶予が貰えれば、6年生の最後の大会でチームを東京都大会まで進出させられるチームに成長させられるメソッドをもっています。Aさんのメソッドは多岐に渡りますが、そのメソッドの最重要部分は『生徒を褒めて育てる』という部分でした。Aさんは4地域のスクールエリア、幼児〜小学生を全て一人で指導することは物理的にできないため、アルバイトのBさんを雇います。Bさんは『生徒を褒めて指導しなさい』とAさんからメソッドのレクチャーを受けます。レクチャーを受けたBさんは教えのとおりにBさんの基準で生徒のよいプレーを褒めます。

ここまでは褒めて指導することをアルバイトに伝えられて実践できているように見えますが、ここから少しずつ状況が変わっていきます。
何が起きるかというと、Aさんの褒めるプレーの基準とBさん、Cさん、Dさんの褒めるプレーの基準がずれていきます。代表のAさんは4年生の試合でスライディングをして体をはったプレーをすることを褒めますが、Bさんは体をはるプレーにはあまり褒めずに体を張らなくてもよいように味方を動かす声をかけている選手を褒めていました。そんなコーチングをみて、代表のAさんはBさんを注意します。『何でもかんでも褒めるのは違うよ。俺の生徒への声掛けをみて学んで。』と。Bさんは褒めろと言われたから褒めたのに、、となります。Bさんはその後はAさんの指導を見ながらAさんの褒める基準を感覚で習得しようと思いますが、Bさんは月1度しかAさんの指導を見る機会がなく、なかなか習得までに時間がかかりました。

これは当たり前に起こることです。AさんとBさんは異なった人生、異なったサッカー人生を歩んできているわけなので当然です。代表のAさんはBさんに生徒を褒める重要性については共有できていましたが、こんなプレーをしたら褒めてあげて!という部分までは言語化して共有ができていませんでした。Aさんの頭の中では4年生では体をはったプレーの重要性を感じさせることが一番で、味方を動かすプレーを褒めるのは6年生になってからいいと感じていました。



これは指導者だけのはなしではなく他のビジネスの現場でも起きえます。メソッドをもっている側、共有して再現性を作っていきたいと考える側の人は、相手は自分とは違うということを前提の上で共有される側の迷いを生まないマニュアル作成などの共有方法を取らなければいけません。『生徒を褒める』という抽象的な共有ではなく、具体的にどうゆうときに生徒を褒めるのか、というところまで明確にして基準を示す必要があります。従業員やアルバイトが行動するときの迷いをなくす、ここが仕組み化の第一歩です。
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