夏の香り、タバコのキス。【完結】

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夏の恋/記憶に残るのは、



懐かしい香りがした。

そんなに長い間、
一緒にいたわけじゃないのに。

わたしの中に、
しっかりと、
悟先輩が残っていたんだと。

そう、実感する。

季節はもうすぐ夏。

シャンプーの匂いと、
覚えてしまったマルボロの香り。

先輩、元気にしてますか?






 高校生のときに、思い立って美容師になろうと思った。

 そこから親を説得し、美容専門学校に入学。

 学校に通う生活に慣れてきた夏手前、家の近くにある美容室の求人に応募した。

 面接をしてくれたのは、店長代理の高坂さん。

 店長は家庭の事情で実家に帰省中で、戻ってくるかはまだ未定。
 店長代理の高坂さん含む3人のスタイリストと、デビュー目前のアシスタント、美容学校を卒業したばかりのアシスタントの計5人。
 たまたま私がバイトで入る時期は、女性のスタッフがいないときだった。
 面接に行った当日に採用が決まり、気を抜いた瞬間、高坂さんからこんな質問が飛んでくる。

 「…佐藤さんは、タバコの煙は平気?」
 19歳になる夏、私の記憶は「タバコの匂い」になった。
 朝の掃除をしている私と話をしていた悟先輩は、鏡の前で器用にセットをしながら、吹き出した。

「あいつ、そんなこと質問してたの?」

「緊張してたので、大丈夫です!しか言えなかったです」

「多分だけど、香澄ちゃんはタバコ吸うの?って聞きそうになったけど、年齢的に吸ってねーだろってことで、煙平気か聞いたんじゃね?」

「どっちにしろ、タバコの煙が大丈夫かどうかの確認は必須ってことですよね?」

「意外と多いよー…喫煙者のスタイリスト」

 すらっとした高身長、筋肉質だろうな…というのが服の上からでもわかるスタイルの良さに、自分がイケメンなことをわかっている、ふわっとパーマに茶髪のわんこ系男子の悟先輩。

 見た目と話す口調はふわっと優しいのに、時々出てくる口の悪さと、喫煙者という事実がギャップ過ぎた。

「面接してくれたのが、待合室だったので、全然気づきませんでした」

「タバコ吸えるのは休憩室か外だけだからね」

「先輩たち、ご飯の代わりにタバコ吸ってますよね」

「そうかもしれないね、うちの店舗のスタッフ、食よりタバコかも」

 不健全な生活をしているだろうに、みんなスタイルがいいし、肌も荒れていないし、美容師さんあるあるなのか、おしゃれで年齢不詳。

 恐ろしい職業を私は目指しているかと思ってしまう。

「さて、今日も営業終わりに練習するから、頑張りましょうね」

 セットを終えた悟先輩は長い足を使って椅子から立ち上がり、私の頭を撫でてから、休憩室へと向かった。

 土日の朝と夜、悟先輩は私の練習に付き合ってくれるため、早めの出勤と居残りをしてくれている。

 今日も早くからお店を開けてシャンプー練習に付き合ってくれたので、先輩の頭は営業前にぐちゃぐちゃに濡らされたんだけど…。

 きっと、営業が始まる頃には、いつものようにマルボロの匂いを髪にもまとっているだろう。

 タバコの匂いに違いはないと思っていたけど、先輩の吸うマルボロの匂いだけは、甘さを含んでいる気がした。

 独特なのか、私の好みの問題なのか。

 覚えてしまった先輩の香りは、カラー材を作っているとき、レジをしているとき、背後を確認できないときでも、匂いで「悟先輩だ」とわかってしまう。





 初めて悟先輩を見たとき、正直、恋に堕ちた。

 堕ちる手前だったと言いたいけど、がっつり堕ちた後。

 本気のストライクゾーンだった。


 悟先輩と朝と夜に、一緒にいる時間が増えて、先輩の恋愛事情も聴いたし、私の恋人のことも話した。
 お互いに相手がいるのに、恋心を向けても仕方ない。
 私みたいな平々凡々が、先輩みたいな超イケメンを捕まえられる確立だって、0%以下。

 高望みはしないと決めているのに、…ふとしたときに、鏡越しで合う目でほほ笑んだり、教えているだけなのに、距離が近かったり、触れる手が大きくて男としての先輩を意識してしまったり。

 ずるいの、思わせぶりが。

 普段はしっかりしてて、兄貴肌で、面倒見が良くて、私だけじゃない、勇太先輩たちを厳しく優しく指導してくれるのに、勇太先輩の髪を染めるときに、希望と違う色に仕上げる悪戯をしたり。

 疲れてうつろうつろな高坂さんの目が覚めるような悪戯をしたり、ムードメーカーな部分もあって、色んな顔を見せるから、一生懸命蓋をする恋心が、顔を出して辛いんだよ?

 このままずっと、悟先輩の背中を追いかけて、指導を受けて、一緒に居られると思ってた。

 高望みなんてしなければ、ずっとこの楽しい空間が続くと思ってたのに…。

 私の中に浸透していくマルボロの香り。
「なあ、ホテルいかね?」

 先輩の突然の発言に、片づけていた手が止まる。

 夏に入社してから、もうすぐ秋に入ろうとする頃だった。

 そろそろ秋服用意しないなー…ぐらいの軽いノリで、先輩が放った一言がそれなりに衝撃的で。

「悟先輩、ガチで言ってます?」

「がち。多分、今しかチャンスないから」

「チャンスないって…どういうことですか?」

ちょっと笑いを込めた声で答えると、鏡越しに私を見ていた先輩が、本気の目で捕らえに来た。

今までの思わせぶりの可愛い感じとは違う、男の目。

「俺、香澄ちゃんのこと、女として結構、好きなんだよね」

「…ありがとうございます。私も、先輩が男として、好きですよ。超がつくほどのイケメンですし…」

「最後の想い出、というか、後悔残さず行こうかなって」

「どこに行くんですか?」

「彼女のところ。結婚するんだ、俺」

「え…、え、本気で言ってます?」

 彼女の存在は知っていたけど、具体的な話まで出ていることは知らなかった。

「俺の彼女さ、お店の店長なの」

「え、店長って…」

「そう、既婚者子持ち、俺の一回り上の女性、で、俺が不倫相手ね」
 衝撃過ぎるワードが先輩の口からすらすら飛び出して、片づけどころじゃない。

 なんでこのタイミングでいうんだろうか、何も手につかなくなる。

「俺のために離婚するって頑張って、成立したから、俺も彼女の地元に行って、一緒になるんだよ。いきなり父親」

「…お店、やめることは…」

「みんな知ってる。俺の担当、他の子たちに割り振ってるから。香澄ちゃんにいうタイミングは、俺に任せてもらってた」

「他の人は…、悟先輩と店長の関係を…」

「知らない、言ってないし、今後も秘密にする」

「じゃあ、なんで私には…」

「やりたかったから、香澄ちゃんと。そのための、切り札になるかなって」

 そういって笑う先輩は、今の流れの中で懐かしく感じる可愛い姿で、悪戯成功って感じ。

 やっぱり、ムードメーカーだって思った。





「どうする?する?しない?」

「…ゴム、あります?」

「…多分、あるかな?」

「持ち歩いてるんですか⁉︎」

「ひっかかるのそこ⁉︎ないよりあった方がいいじゃん」

 私の答えが分かった感じで、先輩が椅子から立ち上がり、私の方に歩んできた。

 獲物を捕らえた男の目をした先輩が、意地わるそうな笑みを浮かべて顔を近づける。

 近づく目線、先輩の手を掴んで、訪れるタバコ味のキスを受け入れた。

 休憩室に充満する、わたしと先輩の甘い匂い。

 先輩に確認したら、ここには監視カメラはないとのことだった。

「なんでわざわざここにしたの?」

 休憩室のテーブルに座らせた私の太ももの間から、先輩が色欲を含んだ目で私を見る。

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