地獄への道…13

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息子の病院の先生から、息子のことをわかってもらった安心感でいっぱいだった。

これでスムーズに物事が動く、そう思っていた。

なにせ「診断書」があるから。

これがもらえなくて息子も私たちも苦しんだ。

けれど現実はそうはいかなかった。

学校に電話をした。もちろん診断書のことである。
そして、それに伴う「支援学校への転校」の件。

これはさすがに学年主任や担任だけの問題ではないだろう、と考えたのであらかじめ担任の先生に
「診断書がでたのでお話がしたいのですが」という電話をした。
先生はあまりいい返事ではなかったが、時間を取ってもらうことにした。

そしてそのことを息子に話すと、一気に顔が暗くなった…。

私は息子に
「これはね、これからあなたが支援学校に気持ちよく行けるための書類とか、話し合いをしなければならないの。とても大事なんだよ、あなたが学校に行きたくないならお母さんだけが行ってくる。あなたはもう傷つかなくていい」

そう伝えた。学校に行かなくてもいいと聞いて少し安心したのかホッとした顔ではあったが、暗い顔をしていた。

それを見て、わたしは「絶対、この子に同じ思いはさせない」
そう強く決めた。

お姉ちゃんや妹は、気を使ってか息子の前で学校の話をすることはなかった。
息子がお風呂に入っている間や、いない時に話すが、息子は友達からはとても好かれていた存在だったので、学校が終わると息子を誘ってくれる友達が多かった。
それでもその友達は「無理に学校にこなくてもいいよ!俺たち学校が終わればいつでも遊べるし!」
という優しい友達ばかりだった。

それを見て、娘たちも気を遣うことなく、少しづつ学校の出来事を話すようになってくれた。

お姉ちゃんに関してはもう中学生なので学校が違うから、それなりに頑張っているようだった。
中学しか卒業していない私には娘の宿題なんてとてもじゃないが教えられない。

2DKの狭いアパートだったが、2段ベットを仕切りにし、なるべく「プライベートスペース」は確保したいと思っていた。
多感な年ごろ。
お姉ちゃんも息子も「見られなくないもの」や「触られたくないもの」は当然ある、と私は幼少期から体験している。
下の娘は、私のベットの上に「ロフト」を作って確保していた。

それぞれ思い悩んだりすることを「邪魔される」というのは心外であったりする、私はそう感じていた。
これも「一人っ子」だからなのかは、わからないが。

ご飯を食べる時は「必ず一緒に食べる」これは徹底していた。

今のように携帯電話が普及していなかったため、テレビはチャンネル戦争だったが(笑)
それも楽しい時間に感じていた。
…私にはなかった時間。

姉妹兄同士で「茶碗の持ち方」や「箸の使い方」などを教えあったりする時間もあった。

話は飛んでしまったが、学校に「診断書」を持って行く日になった。

息子にはあらかじめ伝えていたが、少し心配だった。
午後からだったため、お昼ご飯を一緒に食べ、息子はいつものグランドに行ってくると言って遊びいった。

そして、準備をし、いざ「学校」へ。

学校に着くと事務員さんに連れられて「校長室」に。

なんど足を運んだか、というため息と、
「これで最後にする」という思いでドアを開けた。

目線の先には、校長、教頭、学年主任、特別学級の担任、副担任

これだけでも相当な「圧力」を感じた。

向かいあうようにわたしは静かにイスに座った。

校長からまず切り出してきた。
「お母さん、診断が出たそうですね」
と、わたしは「はい、出ました、それを今日お持ちしました、これで息子を転校させてくれますよね」
と私は少しキツめに校長に言った。

返ってきた言葉は耳を疑うような言葉だった。

校長はため息をつきながら
「はぁ…お母さん、親の仕事の関係ならね、仕方ないですよ?転校も…
けれどね、今、特別学級に居れるんだからいいでしょ」
と適当な返事を返された。

私はかなり殺気立っていたのかもしれない
けれどこれで負けるわけにはいかなかった。

「特別学級の先生は、特別教員の資格は持っているんですか?そもそも持っていたら、子どもがこんなことにならないですよね、先生が悪いとは言いませんし、他のお子さんの事も私は分かりません。ただ、息子はこの学校に居るべきではないと判断しました。」
と。

校長はまたも溜息をつきながら
「はぁ…お母さん、あのね、転校なんてそんな簡単なものじゃないんですよ、しかもね、子ども一人いなくなると年間一人50万円が入ってこなくなるんですよ!」
と言い放った。

これか…息子を手放さない理由は…。

「申し訳ないですが、この学校にいくら入って出ていくかなんて、コッチには全く関係ありませんし、しったこっちゃないです。早く転校の手続き取ってくださいね。支援学校でも待って頂いているので!!」

もう腸が煮えくり返るというのはこのことか!!
というくらい腹がたった。

こんなのが「校長としてやっているのか!!」
これじゃイジメなんてなくなるワケがないし、教師も暴言を平気で吐くんだな
と妙に納得してしまったと共に、やはりこの学校から転校させるのが「正解」と確信した。

妹は同じ学校に通学しているので、今後の先生たちの態度やなにかあれば
「いつでも戦ってやる」
くらいの気持ちでいた。

ママ友?そんなのは学校とこじれたり友達と喧嘩したりしたら脆くも壊れるような人間関係は作っていない。

さすがに今回は診断書もあるし、「転校届け」を出しているだろう
そう思っていた。
普通であれば長くても「一週間以内には書類上の手続きは終わる」と聞いていた。

…あの話から10日経っても連絡はこなかった
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