気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その86~

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本日もこのブログを開いてくださった皆様、本当にありがとうございます。
今回もどうぞ宜しくお願い致します。
プレッシャーとは利用するもの。勿論これは、頭の中で自分に強く言い聞かせて出来るようなことではありません。
例えばこのブログでご紹介して来たようなこと、特に自分の体の中の支え受け容れる役を担ってくれている部位の存在を具体的に体感することが大事だと思います。
そうすると、頭で勝手に心配していることをよそに、体は立派に逞しさを発揮してくれるようになります。
「練習の方がリラックスして上手く行くことが多い。本番ではどうしても緊張するから、練習で出来ていることの何割かのことしか出来ない」
スポーツでも芸事でも、多くの方がよくこのように言われます。
それで時々「今日はかなりの出来でした。練習通り、いつも練習でやっていることがそのまま出せて良かったです」
などと言われることがあります。上手く行った時にこのような事をわざわざ口に出して言う位ですから、練習通りに事が運ぶことなんて、逆に考えるときっと滅多に無いということなんでしょう。
それでも多くの人は、しっかり練習で準備して、可能な限りそこで出来たことに近いパフォーマンスを目指そうとしますし、余りにも緊張の度合いが酷い人には、「お客を畑の野菜か何かだと思いなさい」などとアドバイスすることもあるようです。
これを、わざわざ大勢が集まって、ライブでやる意味がありますか?
客を野菜と思ってやったパフォーマンスが上手く行ったとして、それで後から、「応援してくださってありがとうございました」とか言われても困るんですよね(笑)
このように、表現を一つの決まった形として固定しようとするところにも、不必要な緊張を呼び込んでしまう原因が一つあります。
この世の全ての成り立ちが、それ単独では何一つ成立し得ないように、外界とのやり取りを遮断することを果たして表現と言うのかどうか、今はそれをよく感じてみたいと思います。
勿論前々回辺りで提案しましたように、鼻っから意地悪い目でしか見ようとしない客なんか居ないに越したことはありませんが、そういう困った存在を抜きにしても、表現する側と受け取る側の双方向のエネルギーのやり取りと流れは無いことには出来ない、それを無いことにしようとするところに無理が生じ、そこにもまた緊張が一つ芽生えてしまいます。
人前に立つということは、実は自分の内面からの対話を求めて出て行くのだということを人は案外忘れがちです。人前に出る本当の意味は、エネルギーの循環を起こす為にそこに立つことです。
発したメッセージに対する受け手の反応を受けて、更にその反応としてのパフォーマンスを何層も重ねて行くことが生で人前に立つ意味であり醍醐味となります。
なので、練習と同じになるということが、果たして発信者・受けての双方に取ってそんなに幸せな事なのかは、少なくとも僕に取りましては大きな疑問なのです。
例えば一人の歌手が居て、結婚式のお祝いに歌う一曲と、刑務所の慰問で歌う一曲と、それが同じ曲でも全く同じに歌えますかということ。
ライブとは名前だけが独り歩きしているようですが、ライブはライブとして正真正銘ナマモノでありイキモノです。
その日その日で、自分自身も刻一刻と変化している訳ですし、集まっている顔触れもその都度違う。
もっと極端な例を出しますと、午前と午後に一日二回の出番があって、午前のパフォーマンスの後に何処かの地方で大きな災害があったようだとのニュースを見て、午後の出番での自分も午前と同じになるのでしょうか。
もしもそのニュースが、地球外生物・異星人がホワイトハウスで記者会見を行うというものだった場合、そのまま何食わぬ顔でプログラムを続行出来るでしょうか。
このように、いつも体で今という環境状況をしっかりと受け容れて、それを全てエネルギーに変換することをライブと言うのだと、僕はいつも感じます。
誰かがパフォーマンスをしている最中、当然それを見ている人達も呼吸をしています。全く無意識に双方はそれを肌感覚で確実に感じ合いながら時間を共にします。そこに決まった予定など入り込む余地は無いのです。
そもそも予定通りになんか進まないことを好き好んでやっている、そんな現実に目覚めれば、余分な緊張の多くは自然と消えて無くなっています。
練習とは何処まで行っても練習・肩慣らしであって、前以て何かを完成させることではありません。
「練習で出来ないことが本番で出来る訳が無い、だから練習でしっかりと完成させておくのだ」というのが一般的な考え方なのかも知れませんが、もうその時点で、実は最も聴衆を蔑ろにしていると感じます、変わり者の僕は。
逆に、「練習では絶対に出せない人間の秘めた能力があるから、(聴衆との感覚的相互交流によりもたらされる未知の力によって)本番で何が起こるか、それを楽しみに練習しよう!」これなら理解出来ます、変わり者の僕には。
この事実をしっかりと認識し直した上で、それでも残る緊張感こそ、未知の世界に踏み出すワクワク感から来る健全で前向きな意味での緊張だと思います。
これをしっかり受け容れることを、是非多くの方にもトライしてみてもらいたいのです。
この手の緊張ならば、純度の高い燃料として、クリーンなエネルギーとして、体はきっと活用してくれます。
本日も最後までお読みくださり誠にありがとうございました。
また明日も、どうぞ宜しくお願い致します。

つづく


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