ヒーラー功真です^^。 「完捨」の意味を再考してみた。

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コラム
こんにちは^^。
桜が満開の日曜日です。全てに完捨です。

「桜の花」は日本人の心に沁みますね。
今日も私のブログに出逢って下さり心から完捨申し上げます。
「ありがとうございます。」

この「完捨」を今一度功真なりに再考してみたいと思います。

敢えて「感謝」ではなく「完捨」と表現しています。

「感謝」はありがたいと感じて礼を述べることですね。
これで充分伝わると思いますが、
あくまでも「何かに対して」行う礼を述べる行為です。
即ち、「何らかの対象」が無ければ出来ない行為となります。

本来「かんしゃ」は心の底から滲み出る、湧いてくるものモノやと思います。
そうです、行為では無く湧いてくる感情なのです(^-^)。

「完捨」は全てを完全に捨て去る事で自我から湧いてくる感情です。
つまり、エゴが無い状態になって湧いてくるモノです。

「いまに在る」ことが「完捨」ですね^^。

目に見えている物全てが奇跡で、何一つ当たり前は存在していません。

今日も全てに完捨をし、人の幸せを願い、皆を応援して生きて参ります。

ありがとうございます。
完捨申し上げます。

人の心には必ず「内在神様」が居られます。
「内在神様」は「完捨」と共に成長なされます。

常に心に完捨し、人に完捨します。

最後までお読みいただき完捨申し上げます。
そして、全ての善きことが雪崩の如く起こりました。

功真。 合掌。
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