【過剰な自己愛が誰かを病ませている!!】

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どんな自分であっても「自分は自分でいい」と認められるのが自己愛であり、これは、そのまま自己肯定感とイコールであると言える。



子供の頃からの親との関わりの中で自己肯定感を高められていないと自己愛の欠落に大きく影響するが、それはそれだけ、子供の頃からの環境によって形成された考え方を変えるのは大変だということで、それだけに自己肯定感を高めるには本人の意識が相当に必要で、現状の自分や失敗する自分を受け入れ、気持ちのリフレッシュやポジティブな言動を心がけることが求められる。



それだけではなく、心の健康が損なわれない環境に身を置くことも大切でR。



嘗て私は、チーム全員で移動する時に置き去りにされたり、「仕事しているフリをしている」と陰口を叩かれたり、自分の歓迎会だけ未開催だったり、自分が席にいるのに自分あての電話に勝手に対応されて事後報告もないことに抗議して逆恨みされたり(しかも、相手は、社労士の資格を持つ職場の労災担当でR)、という職場環境の中に身を置いていた。



こんなことが常態化していては、自己肯定感が高まらないのも当たり前田のクラッカー。



こんな職場環境に対する不満は、自分の存在や仕事への強い承認欲求であり、私は、これらのことに関する承認欲求が強過ぎたため、加えて、周囲の私への他己愛が弱過ぎたため、僅か数名の同僚との人間関係をしくじり、社会生活にも影響を及ぼしてしまった。



歓迎会の件は、人となりを知ることができる絶好のコミュニケーションの機会を持とうとしなかった、電話対応の件は、自分の存在を無視された、という欲求不満がその後数年間強く残り、消えることはなく、周囲から受けた逆恨みと確執で私は疲れ果て、心の健康を損なっていった。



私の人となりを知る機会を持とうとしないのは、私に関心がないということだと言えるだろう。



担当者の自分が席にいるのに自分あての電話に勝手に対応し、そのことに抗議されて逆恨みしているのは、自分が正しいと思っているからだ(この件については、担当者が席にいるのに勝手に対応したのはよくなかったという意見が当時も今も根強くある)。



このように、過剰な自己愛は、自分には絶対に間違いはないという歪んだ信念や、他者への無関心を生み出すほか、他者を軽蔑する、他者に厳しく自分に甘い、できないことには手を出さない、という人間的な問題にもつながっていくのだ。



過剰な自己愛が人間関係や社会生活に影響を及ぼすことを考えると、自己肯定感を高めることは大切だが、そればかりではなく、他者を理解し、互いに尊重し合い、他者を愛し、自分も他者から愛される、というバランスの取れた自己愛につなげていく姿勢が必要である。



そう考えると、チーム全員で移動する時に置き去りにされたり、「仕事しているフリをしている」と陰口を叩かれたり、自分の歓迎会だけ未開催だったり、自分が席にいるのに自分あての電話に勝手に対応されて事後報告もないことに抗議して逆恨みされたり、などという嘗て私がチームで受けた数々の酷い仕打ちが許される道理がないではないか。



駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
当たり前田のクラッカー.jpg

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