※(13) 過去に掲載していたものを、改正して再投稿。
あたしは、じじばばッ子だった。
学校から帰ると、じちゃんの家にランドセルを置きに行ってた。
じちゃんちはお店をやっていた。
高い上がりかまちがあり、そこを上がってネコを踏みつけないように畳みの部屋を通って、たったの二畳だけどあたしの部屋を作ってもらっていていたので、そこにランドセルを置きにいっていた。
上がりかまちのそばに火鉢が置いてあって、しょっちゅうお客さんが座り込んで喋っていた。
それを見つけたら、まずお茶を炒れなさい。
ばちゃんに仕込まれた。
世話になってるんならそれも奉公。
幼心にそう感じた。
……だからあたしは煎茶を炒れるのがちょっと上手い。
(↑要らない情報)
お茶を出したら、しばらくは座って話しにあいづちを打ちなさい。
タイミングみてばちゃんが呼ぶまで。
言われた通りに
「うん、うん」と他所のじじばばの話しに首を縦にふる。
あるとき、
「それは違うだろ?」な
他所のババーの話しに我慢できなくなって意見したことがある。
それが的を得ていたからか(←自惚れ)、そのババーは、年寄りにしては機敏に立ち上がり言い放った。
「あんたんちの孫はエラく威勢がいいけど、そんなんじゃ客商売は勤まらないよ!」
「じちゃんに言うな!悪口があるならあたしに言え、ババー」
あたしが言うが早いが、じちゃんに一発、拳固玉をくらった。
あたしはメッタに泣かない子供だったけどそれが悔しくてわんわん泣いた。
小学校3、4年生くらいだったかな。
いま思えば・・
うちのじじばばは裏表のない人で、はっきりものを言うんだけど、相手が傷つくようなことだけは言わない人たちだったと思う。
夕飯までを一緒にとって、それから自宅に帰っていく生活を数年繰り返してたんだけど、なかなか有意義な数年間だった。
人の悪口は絶対に言わない。
悪く言うくらいなら本人にはっきり言うくせに、その言い方が巧い。
あたしはそんなに巧く言えないな。
「だったら、黙ってることだな。口は災いのもとだ。」
ゲンコダマをくらって泣いている小学生のあたしは、客のババーが帰ってからこう言われたのを忘れない。
「じちゃんが悪かった。殴ってごめんな。」
ばちゃんが、茶箪笥から一里飴を「ほら、口あけな」と入れてくれた。
たったこれだけなんだけど、今までのじちゃんとのつきあいから、性格をわかってるあたしは納得がいった。
*あたしを殴ることで収拾をつけた。
*なんでも言えばいいってもんじゃない。
*本音と建前を使い分けるのは相手への気遣いっちゅうもんだ
*相手に恥をかかせてはならない
上のひとつふたつは、幼心にも気付いたけど、歳を重ねるごとに(自分なりの)回答がどんどん増える。
その泣いた日、じちゃんと銭湯に行って思ったのが
「じーちゃんのアレってたくわんみたいだな…」
なんか、これも忘れられない。