6子供の心を聞けるチャンス!

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こんにちは。
美佳による「寺子屋スクール」は縮めて「みかてら」です!
「みかてら」は
「嫁塾」(ココナラで公開中)
「母塾」(ココナラで公開準備中)
「妻塾」(未定)
「夢塾」(未定)
の4本立てですが、今回はここ、ココナラブログで「母塾」を開催します。
全10回シリーズとなりますので、ご期待くださいね。
7300日(20年)の認知症義母との同居しつつ、3人の娘たちはティーンエイジャーになりつつあり、その家族との間で様々に気付いたことを「母塾」にまとめました。
では、開講しま~す!

我が子の窮状!


「子供が学校に行けない」という状態を経験することになると思わなかったのですが、次女が腹痛を訴えて、給食が食べられなくなり、給食を食べられないと、午後の活動に支障をきたすということで、保護者に迎えに来るよう電話が入り、学校に娘を迎えに行くことが続きました。

もともと食の細い子ではないので、心配になり、水曜日に給食が食べられなくなったので「まあ無理しないで木曜日、金曜日と週末休んでみたら」という形で最初はゆったり休ませ、学校には月曜日から行き、そしてまた水曜日に給食が食べられず、早退して、木、金で休み、月曜から登校ということを何度か繰り替ええしてから、本格的に学校に行かなくなりました。ちょうど5年生の2月頃から休みがちになり、春休み明けて、新学期に頼りにしていた養護の全て受け止めてくれたお母さんのような先生が移動になり、担任の先生が隣の学校から来た先生になったところで、次女の頼みの綱と学校に行く理由がなくなってしまい、本格的に休みがちになりました。

腹痛ということで、近所の病院に言っていましたが、らちが明かず、テレビでみた埼玉の小児センターで不登校児の病気を見つけ、それを治療することで登校できるようにした、という先生の報道を見て、その先生のところに予約を入れて何度か通いました。

たまたま実家のそばだったので、両親に協力してもらって、次女の治療が始まりました。その先生はご自身も難病と闘いながら、その病気と付き合うことで、不登校の子供の気持ちに寄り添えるように見えました。若い男性医師でしたが、子供と話をしようとするドクターでした。子供でも内視鏡をしてもらえて、一日検査入院して、ドクターがいろいろな方向から次女の病気の原因を掴もうとしていました。

心の問題だから

何度か通ったときに、「病気ではないです。でも痛みがあることに対しては治療は続けられます。お薬が合うものを探していく治療になります。後は精神的なものです。」という診断を受け、「やはりそうか~」と思いました。

それから小学校とも連携を取り、いける時に私が送り迎えして通い、特別に見てくれる非常勤の先生と一緒に過ごすために週に1~2日、学校に通いましたが、クラスには全く行かなかったようです。それから卒業式も参加しませんでした。私は長女だけ出席した卒業式にPTA副会長として来賓として出席していましたが、校長先生の特別な計らいで、卒業証書は校長から生徒に学校で渡すきまりがあるということで、式が終わった後、卒業式用の服に着替えて家で待機させておいた次女を迎えに行き、校長室で、担任の先生や、長女、夫と私に見守られて卒業証書を受け取っていました。

中学も一連の準備をして地元の公立中学に入学したものの1か月で息が切れて、ゴールデンウィーク明けには学校にいけなくなりました。それからは家に居る日々で、どうしたらよいか、思案の日々です。

ただ、次女の「学校に行かない選択」を夫も私も受け止め、「学校は人生の勉強の内の選択肢の一つ」と位置づけたことで、次女も気持ちが楽になったようです。引きこもりのような生活をして、義理父は厳しい人だったそうなのですが、孫にはそう厳しいわけではなかったのですが、学校に行かない次女の行動が理解できなかったようで、「なぜ学校に行かないんだ?」と何度もたずねていました。

誰に何を言われても学校に行かない理由として次女がある日言ってくれたことが印象的でした。「学校では決まったこと以外をすると怒られる」ことに反発を感じたようです。それが最終的に「学校に行かない」選択をする原因のようです。

結局どうするのか決めるのは自分

その理由になると、親もやはり覚悟が必要です。私の世代では「学校に行かない」という選択肢はなかったので、学校は行くものだという概念のもとに生きてきたので、それが崩れたことで、自分でもわからなくなってきていました。

私の場合、義両親との生活の中で、自分の限界を感じていたため、心理学やコーチングを学ぶようになっていたので、夫を説得して、学校に行かない方法を探すことにしました。だから、時間もかかるし、やきもきするし、学校に行ってさえくれればあまり考えることなく過ごせます。でも、「本当にそれでいいのでしょうか?」

今、次女が不登校という形で「私は学校に行くのが嫌なの!」と体の不調を訴えながら、自分の意見を言い続けてきた娘を見ていて、不思議な気持ちになります。次女が家に居ることで、私が家のことを次女に一部やってもらうことで、私が勉強する時間を取れたり、仕事ができたりしています。

次女が家に居るから、義理の母の面倒を見る時も夫が一人で義母を見るより、次女がいた方が義母の感情が和らぐそうです。そうやって次女は「不登校だからダメな子」ではなく、我が家では「不登校だから家に居て、親が困ったところを助けてくれる存在」だからとても感謝されています。まあ、困っているところはもちろんありますが(笑)

学校に行くから良い子なのではない

それと、私は次女が不登校になって、「うちの子は不登校で学校にいけなくてもいい子なんです」と思えた時に、隠すのをやめました。周囲にも「うちの子学校に行っていないのよね」という風に言うようにしました。

だって悪いことをしているわけではないから。親がそこで隠していると、子供も「悪いことをしているんだ」という思いになります。そして、私がそういうと、「うちもそうなのよ」というお母さんがなんと多いことか。

自分からはなかなか言えず、困っていたお母さんたちは結構多かったということに気づきました。だから、私は間違っていなかったし、今もどうしたらいいのか模索中ではあります。でもあまり怖くなくなりました。

娘が不登校になって「学校に行かない事」について本当に色々考えました。義両親や両親からも心配だからこそ色々、本当に様々なアドバイスやお小言をもらい、その中で自分でも悩みつつ考えた結果、「私はこの子の親であることは一生変わらないなら、ゆっくり考えてもいいかもしれない」と思えて来ました。

学校ありき、という考え方から、「自分がどうあるべき?」と自問自答してみて「学校が性に合う子は学校に行ったらいい」という考えに行きつきました。親として、子供から「柔軟に考える事」を学んだような気がします。
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ママも子供も自分の生き方を決める時

だって先ほどからも言っているように「学校は人生の勉強の場の選択肢の一つ」だから。それさえはっきりしていたら、あまり怖くはないです。ただ面倒は多いです。将来の目標がサラリーマンではなくなるわけですから、就職だって全然違う道を考えないといけません。それこそ日本の学校教育ではない勉強が必要になってくると思います。

私自身が、100歳まで現役で働こう、と思ってそのためにはビジネスを自分で始めないとだめだと思い始めてから、いろいろ勉強してきました。その学びのなかから、「親が背中を見せる」ということもできると思うようになりました。サラリーマンではなく、誰かに雇ってもらう生き方ではない方法を父親が知らないなら、母親が学び取って伝えなくてはいけない、そんな風に思ったところがありました。

そういう勉強を始めたこともあり、次女が学校に行かなくなったとしても、「生きる道はある」ということを伝えられると思っています。

でも、それこそ次女にあった人生を探さなくてはいけないので、学校を探す、勉強の仕方を探すところから一つ一つ時間がかかります。本人にも考えさせますが、夫の考え方と私の考え方をすり合わせながら次女と道を考えるという時間もかかるし、先も見えないことも多いです。でもそれって新しい道を探すチャンスだし、次女と話す機会は各段に増え、「本当は何がしたいの?」ということを何度も話し、自分の人生に責任を持とうとしています。

それはとても良いことだと思います。学校にお任せして、何でも学校や先生のせいにしていく人生もあると思いますが、私は次女が次女らしく生きようとすることを後押しできることが楽しいし、一緒に楽しみ一緒に悲しみ一緒に悩むことが親として嬉しいです。

真剣だから見えてくること

私からみて次女が一番何を考えているかわからない子でした。そのまま無理やり学校にいっていたらどうなっていたのだろうと思います。でも、全然話さないでいることもありました。むくれて親の言葉を全然聞かないこともありました。

でも、今は次女が私の一番の理解者でもあります。それも面白いです。彼女は彼女の意見を持っていて、私の意見を真向から否定することもあります。それはそれで頼もしいと思う時もあります。そして自分から色々なものを見て、相談し、行動するようになりました。

人間ってそれでいいんじゃないかな、と思います。「10歳になってまた赤ちゃんからやり直しだったね」というくらい、「生きる事」に集中させた2年間でした。それで、親も子もまれ変わったのかもしれませんね。有難い環境だと思います。

そんな次女とのやり取りをして、次女はゲームが好き、絵を描くのが好き、と自分でやりたいことを少しずつ研究したり、行動してみることをしていったようです。最近は家のことも率先して手伝ってくれたり、義母の世話をするのも、散歩に一緒に行ってくれたり、出かける時に一緒に行ってトイレの面倒を見てくれたりしてくれるようになりました。

その子の個性に合わせて考える

次女がそうやって自分が満たされて、周りの状況を少しずつ見始めるようになったと思ったら、今度は長女が精神的に行き詰ってしまったようで、中学2年の3学期、期末テストの直前から思いつめた表情をしていることに気づき、「おそらくこのまま学校に行くことを強要するとこの子は死んでしまうな」と思いました。

次女が自分の思いを大切にして、「学校に行かない」という選択をすることにより、自分を取り戻せた確信があるので、長女にとっても「自分がどうしたいのか」がわからないまま、自分の思いに蓋をして無理して学校に行かせるのは良くないと思ったのでした。

学校に行かなくなってから1か月以上経った今も、長女には自由にさせている状況で、お昼くらいまでベッドに居たり、ご飯も食べたくなったり「お腹が空いた」というような自分の欲求に気づいてから食べるなど、とにかく、「いい子にならないと存在価値がない」というような間違った思いから解放しないといけないと思っています。

特に、聞き分けの良い子は自分が思う事を否定してでも周りの意見に合わせる事が日常になっていると思うので、「自分の声を聞いてはいけない」というような強迫観念があるかもしれません。私自身そういう時があり非常に生きづらかったように思うので、できればそういう生きづらい気持ちはなるべく早く解放できると良いのではないかと思います。

なので、長女にいまやってほしいと思っていることは「お腹が空いた」と思ったら食事をし、「トイレに行きたい」と思ったらトイレに行く、「眠い」と思ったら寝る、というような、わかりやすい生理的欲求に耳を傾けて行動するという事をさせています。

そうしないと自分の心が正しい答えを持っているにもかかわらず、自分からその答えに「それは違う!」といって心の声のままに行動できなくなると、だんだん自分がどうしたらよいかわからなくなってしまいます。私もコーチングに出会い、「自分の中に答えがある」ということを聞いて目からうろこがはがれたように思えた時がありました。

だから子供達には「自分の中に答えがある」ということをしっかり理解して、「心の声に従う」ことで自分が自分らしく生きられるということを伝えたいと思うし、私の子供だけでなく、クライアントさんにも、また必要な人々にも伝えていきたいと思っています。

日々、学びだと思います。日常から学べたら素晴らしいことだと思うし、今、私は日常から学んでいると思うと、一瞬一瞬が貴重だと思っています。

学校は学びの場の一つでしかない

三女は普通に学校に行っていますが、双子の姉たちを見てどう思っているのか、よくわかりません。でも姉たちを見て、過去に1~2回「なんでお姉ちゃんは学校いかないの?私も休みたい」といったことがあります。その時は「お姉ちゃんはお腹が痛いんだって、あなたもお腹が痛い?」と聞くと、「痛くないから学校に行く」というようなことを言っていました。

私もまだ、「学校に行くこと」の定義が自分の中で作れていなかったときなので、三女にはあまり意味が伝わらなかったかな、と思っています。今は学校は、沢山の人生の「学び」の中で、「学業」と「人間関係」を学べる場所の選択肢のうちの一つ、と位置付けています。そして「学校に行くから良い子」でもないし「学校に行かないから悪い子」でもないと思っています。

だから、三女にも今は「学校に行きたくないと思ったら、無理していくところではない」ということは伝えています。今のところ三女は学校に行かない選択はしていないようです。学校自体に色々な問題はあると思いますが、色々なことが学べる場所であることも確かです。

子供たちを見ながら私が学ばせてもらっているなぁ、と常に思います。

もしかして必要?かもしれないあなたへ♪

子供のことが気になるけれど、なかなか理解できない💦
そんな風に思うことありませんか?

大切に育ててきたけど、「あれ、この子が考えていることわからないかも💦」そんな風に焦ることはありませんか?

子供は大人が思う以上によく状況を理解していて、分かっているからこそ一人で苦しんでいることがあります。親も子もお互いを理解する時間も術もないと本当に理解しているようで、お互いがお互いの想いをぶつけるだけの不毛な関係になっていきます。

そういう時、まずはお母さんご自身の想いを何らかの形で吐き出したら良いと思います。なにか、断片的に頭の中にある言葉をメモ帳に書き出すだけでもスッキリすることがあります。日記を書いたことがある人は、日記を書いてみると、客観的に自分を見つめることができて、楽になることがあります。

そして自分で書き出すだけだと、「じゃその先はどうしたらいいの?」が出てこない時があります。だって親だって教えれもらっていないですから、それはお母さんのせいじゃないと思います。

かつての私もそうでした。両親や親せき、学校の先生、会社の上司、同僚から学んだことの中だけで暮らしていました。でもその知識や経験だけではどうしても解決できないことが山のように押し寄せ、自らメンターを探し、学びに行き、心理学、脳科学などを身につけました。

そして、子供や夫、同居の義母に対しても応用していくことにより、本当に自分が楽になり、もちろん問題が一つ解決してもまた問題が起こります。でもその都度その都度諦めず、問題を一緒に解決することで心穏やかに楽しく暮らすことができています。

その経験からお話を聞いて、アドバイスできるのではないかと思い、サービスを始めることにしました。

よかったらこちらからご相談下さい。こちらのサービスは実際に話すことは致しません。文字での情報となりますので、気楽な気持ちでメッセージ頂ければ、と思っています。

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