2双子育児から学んだこと

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こんにちは。
美佳による「寺子屋スクール」は縮めて「みかてら」です!
「みかてら」は
「嫁塾」(ココナラで公開中)
「母塾」(ココナラで公開準備中)
「妻塾」(未定)
「夢塾」(未定)
の4本立てですが、今回はここ、ココナラブログで「母塾」を開催します。
全10回シリーズとなりますので、ご期待くださいね。
7300日(20年)の認知症義母との同居しつつ、3人の娘たちはティーンエイジャーになりつつあり、その家族との間で様々に気付いたことを「母塾」にまとめました。
では、開講しま~す!

メンタルだめだめの母親だった


双子が生まれたのが2006年7月4日。アメリカだったのですが、双子だとやはり色々大変でした。まず、母が日本から来て泊まり込んでくれた2か月間は心強かったです。母が日本に帰る時は本当に心細くて泣きそうだったことを思い出します。

アメリカで知り合いになった友人たちからベビーシッターの話を聞いたりしていて、ベビーシッターを頼もうとしていました。今思うと私自身の認識が甘かったのもありまが、夫がベビーシッターにお金を払って子供を見てもらうことにとても懐疑的でした。なので、夫が在宅勤務が出来る時はしてくれる感じで対応することになりました。

ベビーシッターの働きぶりと雇い主の思いにはやはり溝があり、そういうトラブルはアメリカでもよくある話だったようですが、最近は日本でもトラブルが多いですよね。でも、それだけ子育ては大変で、みんな当たり前のように子育てしているけれど、虐待のニュースを聞くと、自分自身ももしかしたら、虐待になりかねないようなときもありました。

本当に、子供が赤ちゃんの時から就学するくらいまで、本当に体力と気力が試されます。それは双子だと2倍でもあるので、最初の出産が、母国からはなれ、母国語が余り使えなくて、違う文化のなかでの双子だったので、ストレスフルな環境だったと思います。

やはり親戚もいない、友人もあまりいない、という状況で、私も家に閉じこもり気味になったりするだろうから、地域の双子サークルの話を聞いて夫と一緒にはいろうと思っていましたが、夫に拒否され、子育て全般で、私は周囲から孤立しないような環境を作ろうとしたことに対し、夫が全部拒否するので、そこが分かり合えずストレスでした。

帰国を早め義両親と再同居して


それで、対応策として、当初4年間だった夫の駐在任期を2年に短くしてもらうという対策を取り、帰国することになりました。日本だと義理両親が同居なので、夫としても親孝行のつもりだったのだと思います。

さて、ここで、帰国し義理両親と同居ということになります。ただ、本当に大変だったのはここからでした。

多胎児育児は、なかなか外出るのも大変なので、母親が孤立しがちで、手伝ってくれる人もやはり大変なので、できればベビーシッターとかでなく血のつながった人の方が安心、ということはあるのかもしれません。

ただ、義理の両親も当時70歳を超えていて、体力的にも大変だというのは姪っ子たちを見て知っていた体と思いますが、義母からは「私たちに面倒を見させないでね」みたいな事はくぎを刺されていたような気がします。

我が家の場合は多胎児の大変さより、恐らく義母の認知症がマックスに大変だったのが、双子幼少期でした。それは別に書かせていただきます。これから女性が40歳に近くなって出産し、親も親の両親も高齢になると、親世代は子育てと同時に介護をしなければならないという過酷な状況となります。

今の高齢化社会を見ていると、本当に大変だと思います。高齢者を複数の若者で世話するという時代ではなくなってきていて、保険制度だけでは行き届かなくなり、介護保険制度が出来ていても、やはり介護は思ったようにいかないものです。

結婚や出産が高齢化すると、小さな子供の世話と同時に、高齢の親の世話もするという状況が生まれてきます。今後、日本ではそういうご家庭が本当に多くなっていくと思います。

私自身は、100歳まで現役で「自分の健康寿命もさることながら、経済的にも自分のことは自分で管理」を貫きたいと思っています♪

双子特有の症状?!


いくら公平に、と思っていても性格が違うと、「公平さ」を考えて対応するのは不可能でした。なので、私の場合はその子にあった対応をしてきたつもりです。そして、我が家では服もお揃いや色違いは余り着せなかったです。アメリカのご近所からお洋服を頂いたりして、似たような違う服をきせていたからか、2歳になるころには、「自分の着たい服」を20分も30分も探すのを待っていた時期もあります。

最初に着せた服が気に入らないと、脱いでしまうので、それなら寝巻から着替える時に、好きな服を選ばせていました。でも時間がかかる。

また、食事にも時間がかかりました。親と子1対1だったら想像できないくらいの食事の時間だと思います。双子だとお友達が側にいるような感じなのだと思います。話しながら、遊びながら、楽しそうに1時間くらい食事の時間が終わりません。

2歳くらいの時に市の方から紹介された「双子サークル」にはいって、時折会合に行き、双子育児のママさんたちと話していると、「そうだよね~」と言わなくてもわかる、わかってもらえる環境に涙が出るほどうれしかったことを思い出しました。

そのママさん達との話の中で、双子だと食事の時間はやはり1時間くらいかかってしまうということを聞きました。楽しみながら食べるのは子供にとっても良いと思いますが、時間がかかりすぎるとイライラしてくる時もありましたが、専業主婦で時間もたっぷり子育てにかけられたのでそういう意味では良い時間を過ごせたのだと思います。

もともと、働きながら子育てをする、というのはちょっと違うような気がしていて、子供が小さいうちは専業主婦をしていようと思っていたことがありました。だから、夫がアメリカ駐在になった時にに仕事をやめて、それ以降仕事をしていなかったということもあります。おもえば、思った通りになっていますね。

双子の娘たちは、性格も違うし、体質も違うし、好みも違うので、双子というよりたまたま姉妹が一緒に生まれたという感じに見えました。顔も親や祖父母から見ると全然違う顔にみえますが、近所の人々やママ友からは「区別ができない」と言われていました。

双子が大変なのは生まれたばかりでミルクとおむつ替えを夜中に1人につき3回、2人で6回起きないといけないのですが、双子ですが、それぞれ違うタイミングでミルクを欲しがったので、夜中は6回起きることになりました。これは母が日本から来てくれた時も、母は夜寝てもらい、昼間に子供の面倒を一緒にみてもらうため、夜中は夫と私で分担していました。すぐ深い眠りにつける夫は先に寝て夜中3時頃に起きて、子供の面倒を見る。私は夜中3時まで起きていて子供の面倒を見るという感じでした。

なんだか懐かしいです。「この生活がいつまで続くのだろう」と思っていた時期がありますが、意外とすぐに終わってしまいました。その時は辛いけど、今思うと良い思い出です。そういうことってこれからも沢山あるのだろうと思います。だから「その時を一生懸命に生きる」ことが大切なのかもしれないですね。

双子より年子が大変


あと、多胎児といっても私の場合は双子育児しかしていませんので、双子の場合しかわかりませんが、双子特有の喜びと悩みがあります。それは経験者にしかわからないこともあると思うので、ちょっと思い出すままに綴っておきたいと思います。

一番は何でも同時なので、時間と労力とお金が普通より倍かかること。これは仕方ないですが、喜びは相乗効果で倍以上だったと思います。ミルク、おむつ替え、着替え頻度、食事等々、すべきことは山ほどあるけど、全て同時に済んでいくのである意味楽。

子育てママの先輩で、8人の子供のうち、双子女子をと年子を育てたことのあるママの衝撃の一言が、「双子は同時だから楽だよ。でも年子は微妙な発達のずれがあって結構大変なんだよね」でした。

双子より年子の方が大変なんだそうです。これはでも経験者の貴重な言葉として受け止められました。はい。同時に済むというのが「楽なんだ~」と思えた瞬間でした。

モノの管理

さて、そんな同時に済んでいくのですが、同時だからこそ困るのが、遊び道具や持ち物。双子ママの考え方で色々な考え方があると思うのですが、私は「1人用のおもちゃを上手に二人で使うことを覚えてもらえないかな?」と考えていました。だから、基本1人に1個与えるというモノの買い与え方はしませんでした。

双子ママで「面倒だから1人に1個ずつ与えて喧嘩にならないようにした」という人もいました。全部一人でやらなくてはいけないママだと、「これ以上ストレスを与えてくれるな!」という思いが出てくるのはよくわかります。だから1人に1個ずつ与えることで、公平である安心感を与えるのは子供にとっても、親にとっても良いことかもしれません。

私は、そうしなかったことで、双子が興味ある部分が分かれてきたというところは良かったと思っています。つまり、1つのおもちゃしか無かったので、先に使った方が勝ち!ではあったのですが、得意な子がうまく使います。長女がブロックで遊ぶのが得意で、1人用のブロックの使いやすい形のブロックを独り占めするので、次女は常に残ったブロック如かなくて創造力が働かせられなかったようです。

でも、次女はブロックの3次元の世界を諦めて、イラストという2次元の世界に自分の得意分野を見出したようでした。私自身が沢山イラストを描いて、アンパンマンのキャラクターやポケモンのキャラクターを子供達にせがまれるまま沢山書きました。それを見ていたのか、次女は「絵を描くのは得意」と思ったようで、逆に長女がそんな次女を見て「私は絵を描くのが苦手」と思ったみたいでした。

そうやって、自分の得意分野をはっきり見いだせたことは良かったかな、と思います。

下の子3歳違い

私の場合、三つ子ではないですが、娘が3人います。双子と3歳年下の女の子です。まあまあ年が近いので、下の子が高学年になるころにはなんとなく三つ子のような感じになっていました。

多胎児はやはりそれなりに大変です。私は双子ですが、三つ子になるともっと大変だと思います。ただ、3という数はどうしても割り切れないので、二人が仲たがいしても、もう一人が仲介役になったりして、仲を取り持とうとする力が働くと聞いたことがあります。私自身は双子女子とその下に女子なので3人女子です。

見ていると、まあ3人でなんとかやろうという気持ちがあるようです。そういう意味では双子だけでなくてよかったと思います。双子はほぼ同じ年の子供なので、どちらもひかないし、性格の強さで1人が1人を押さえつけることもあるので、そうなるとなかなか良い関係が保てないということにもなります。

下の子は本当に小さい時でも、小さい時はやはりその3歳の違いというのが大きいものですよね。三女はお姉ちゃんたちに怒られながら、自分も金切り声をあげて怒り散らしながらもお姉ちゃんたちについてこうと頑張っている姿は頼もしかったです。

そういう苦労は本人しかわからないことだと思いますが、生活全般が三女にとって「ハンディ」だったと思います。3人しかいない子供の内で2人が双子のため、基準が双子にあってしまいます。それは大人も意図していないけれど、1/3より2/3の方が重きを置かれてしまうというところを見ていたように思います。

現在三女は余り言葉を発しない子になってしまいました。でも、それは親の前で、親への愛情とは別に、お姉ちゃんたちへの愛情はものすごく強いように見えます。「少し先輩」というわかりやすいモデルへの憧れなのかもしれないです。

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うちの3姉妹のイメージ^^

苦労する環境が本人を育てる!

お姉ちゃんたちに怒られながらも、次に怒られないようにして行ったのだと思います。今3人の娘たちを見ていると、一番要領がよかったり、私が家事をする中で「こうやって動いてほしいな~」と思う動きをするのが三女です。これは12歳にして彼女が苦労の中で身に着けた技だと思っています。

人間は、苦労する中でしか学び取れない、そんなことを聞いたことがあります。生活全般が「学びの場」というと聞こえはいいですが、その実情は本人にとっては「アウェイな環境」だったり、「イライラさせられる環境」だったり「切れまくるような環境」だったりするものです。

そこで「何を学び取るか?」本気で考えることができた人が「学びの場」に変換できるのだと思います。三女は双子が生まれて3年後に生まれたばかりにハンディを背負うことになりましたが、小学校ではあまり苦労しないで他の子供達とうまくできるのも、3歳の年の差をハンディとしながらもお姉ちゃんのお友達も合わさると4人の「3歳年上女子になんとか仲間入りさせてもらうんだ!」という目的達成意欲が「同年代のことはそんなに苦労しないで一緒に居られる」のだと思います。

PTAの役員をしていた時、学校に良く行きましたが、三女の周りには誰かしらお友達がいて、囲まれているようでした。でも、自分ではその子たちと熱望して一緒に居る訳でもないようで、嫌な時は掃きりと「嫌だ」といっても受け入れられるようです。それはそれで親としては「よかった」と思うと同時に「相当本人の中では苦労したのだろうな」と思います。

もし三つ子だったらこうなってはいなかっただろうと思うと、複雑な思いもあります。双子を育てた後に、三女一人を相手するのは、親としてはとても楽に思えました。双子育児がいかに大変だったか、というのは全て2倍やってきたからであり、最初から双子ではなく1人で生まれていたら、一人でも大変だと思っていたと思います。

私にとっても娘たちにとっても良かったのではないかと思います。

もしかして必要?かもしれないあなたへ♪

子供のことが気になるけれど、なかなか理解できない💦
そんな風に思うことありませんか?

大切に育ててきたけど、「あれ、この子が考えていることわからないかも💦」そんな風に焦ることはありませんか?

子供は大人が思う以上によく状況を理解していて、分かっているからこそ一人で苦しんでいることがあります。親も子もお互いを理解する時間も術もないと本当に理解しているようで、お互いがお互いの想いをぶつけるだけの不毛な関係になっていきます。

そういう時、まずはお母さんご自身の想いを何らかの形で吐き出したら良いと思います。なにか、断片的に頭の中にある言葉をメモ帳に書き出すだけでもスッキリすることがあります。日記を書いたことがある人は、日記を書いてみると、客観的に自分を見つめることができて、楽になることがあります。

そして自分で書き出すだけだと、「じゃその先はどうしたらいいの?」が出てこない時があります。だって親だって教えれもらっていないですから、それはお母さんのせいじゃないと思います。

かつての私もそうでした。両親や親せき、学校の先生、会社の上司、同僚から学んだことの中だけで暮らしていました。でもその知識や経験だけではどうしても解決できないことが山のように押し寄せ、自らメンターを探し、学びに行き、心理学、脳科学などを身につけました。

そして、子供や夫、同居の義母に対しても応用していくことにより、本当に自分が楽になり、もちろん問題が一つ解決してもまた問題が起こります。でもその都度その都度諦めず、問題を一緒に解決することで心穏やかに楽しく暮らすことができています。

その経験からお話を聞いて、アドバイスできるのではないかと思い、サービスを始めることにしました。

よかったらこちらからご相談下さい。こちらのサービスは実際に話すことは致しません。文字での情報となりますので、気楽な気持ちでメッセージ頂ければ、と思っています。

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