自己紹介 序章

記事
コラム
はじめまして、栄次(エイジ)と申します。

2022年11月25日より、こちらで電話相談サービスを開始しました。


私のことを少しでもあなたに知っていただいて、お役に立てるかどうか
判断していただきたいと思い、自己紹介記事を書きました。


ひとつにまとめると長くなってしまうので、いくつかの段階に分けて
書いていきながら、私のことを知っていただこうと思います。



私は生まれた時から、ちょっとだけ他の人とは違うものを背負っています。


当時でいう高齢出産でした。


もともと母は身体が弱く、高齢であったため、生まれてすぐの私は
保育器に入って生命を守ろうとされました。


他にも同じような赤ちゃんが私を含めて5人いたそうです。


800グラムという小さな小さな私は「1週間、生きられるかどうかわからない」と医者から言われたそうです。


………。


それから半世紀以上が経過した現在、私はこうして生きています。


身長は183センチあります。生まれた時は800グラムの超超未熟児がです。


この話をすると、大抵の人が信じてくれません。


同じように生まれてすぐ保育器に入れられた赤ちゃんは、
私を除いて全員亡くなったそうです。


奇跡的に私だけがこの世に生きることを許されました。


他の赤ちゃん達が私を生かせてくれたんだと感謝しています。


でもその代償は、とても大きなものでした。


脳性マヒを持って生きながらえたのです。


脳性マヒといっても右足だけなんです。あとは至って正常。


走ったり正座できなかったり、少しだけ不便を感じますが
それ以外は日常生活に全く支障はありません。


ただ、普通に歩くことができません。初対面の人からは必ずと言っていいほど
「足をどうしたんですか」と聞かれます。


流石に半世紀以上になると慣れてはいますが、やはり言われた瞬間は
気持ちが暗くなります。


小学生の頃からわりと背が高い方で、高校を卒業する頃には180センチを
越えていました。


「背が高くて羨ましい」と言われて来ましたが、なんのなんの
私より小柄な人、太っている人、私よりずっと高齢の方、男性女性を
問わず、普通に歩ける人を見ると、心底羨ましいと感じてしまいます。


昔からコンプレックスの塊です。


残酷なのは11歳まで自分の障害を自覚できなかったことです。


それまでは皆と普通に遊んでいました。何ならどちらかといえば
クラスの人気者、常に友達の中心にいました。


野球やサッカーもしていたし、走り回って遊んでいました。


ただ少し、運動神経が悪い子供かなと周りからも言われていました。


それが小学校5年生になると、如実に体の変化が現れて、右足のかかとが
地面につかなくなりました。


そこからいじめが始まります。子どもは残酷です。


中学生になると、ますますはっきりと身体の変化が現れるようになり、
いじめはどんどんエスカレートしていきます。


周りから心ない言葉を浴びせられる毎日、12歳にしてやっと自分が
障害者だと自覚したのでした。


あなたにも想像がつくと思います。その後は登校拒否です。


何とか中学は卒業して高校に入りますが、ここではさらにひどい
いじめに遭います。


もちろん高校も行かなくなりましたが、周りの先生方の協力により
何とか高校も卒業することができました。


しかし、肝心のいろんなことを吸収しなければいけない貴重な
6年間を、全く勉強もせず目的も持たずただ、親にすがって
過ごしてしまいました。


18歳の時に足の矯正手術を受けました。そこから何年かおきに
合計3度の矯正手術を受けましたが、どんなに痛い苦しい思いをしても、
人並みに歩けるなどということは、今現在でもありません。


それ以外の原因もありますが、おおむねこの身体のことが原因で
今まで望み通りに行かなかったことが無数にあります。


好きな人と結ばれませんでした。たくさんの人に裏切られました。


20代後半になるまで、友達はいませんでした。


阪神大震災の年に、たまたま入った近所のBARがきっかけで
そこでお酒を覚え、そこから現在に至るまでたくさんの仲間に
恵まれることになりますが、それまではずっと孤独です。


しかしそのたくさんの仲間のおかげで、今も助けてもらっていますし、
誰も私のことを障害があるからと遠慮されることもなく、毎日を
有意義に過ごしています。


もともと明るい性格なので、自分から積極的にコミュニケーションを
取りに行きます。


仲間が言うには私はとても話しやすい雰囲気らしいです。


大柄というのも理由のひとつかと思われますが、気がつけばいつも
話を聞く側になっています。


誰にも言えないけど、こんなことを打ち明けるのは私が初めてだと
言ってくれる友達が何人もいました。


自然とそうなるので、私の役割は人の話や悩みごとを聞くことなんだろう
と思っていました。


だからそれを活かして、電話相談サービスをこちらで始めようと
思ったのです。


苦労していない人なんてこの世にいません。だからどこまで
私の経験が活かされるかもわかりません。


しかし、誰かの話を聞いてあげるこは得意なので、少しでも
あなたの役に立てればと願う次第です。


これでも長くなりましたが、お付き合いいただいてありがとうございました。

ぜひ、あなたとお話しできることをお待ちしております。

関西弁の50代の私と話してみたいとお感じになったら、いつでも
お越しください。






サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す