「人を信じる事」は必ずしも良い事とは限らない!

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今回は『人を信じる事が必ずしも良い事とは限らない』という内容について、思うところをお話させて頂きます。

上記のYouTube動画でもお話させて頂きましたので、よろしければそちらもご覧頂けますと大変有難いです。

突然ですが、皆さんは、

「人を信じよう!」
「裏切られても傷つく事で成長できる!」

・・といった類の言葉を今まで言われた事はありませんか?

私はハッキリ言って、これらの言葉は綺麗事だと思っています。

これは本当に酷い裏切りに遭った事のない人間が発するような言葉だと思いますので、あまり真剣に受け止めない方が良いでしょう。

一度でも他人からの酷い裏切りによって奈落の底に突き落とされた事のある人間は、このような無責任な綺麗事は言わないと思うからです。

「裏切られても良いから人を信じた方が良い」という発言は、実際立ち直れないくらいの酷い裏切りに遭って人生を台無しにしてしまう可能性を考えていない、ある種の無責任な発言だと思います。

もちろん、たとえ酷い裏切りに遭ったとしても、その辛い経験を糧に困難な状況を乗り越えていけるメンタルの強い人もいらっしゃると思いますが、皆が皆立ち直れるとは限りません。

中には、酷い裏切りに遭ったショックで立ち直れず、最悪の場合には自ら命を絶ってしまう人だっていらっしゃるのです。

そのような悲しい最期を迎えてしまった方に対して、赤の他人が責任を持つ訳ではありませんので、「裏切られても良いから人を信じた方が良い」などと軽はずみな発言をする事は止めた方が良いと個人的には思います。

当たり前ですが、裏切りは遭わないに越した事はありません!

そして人生における対人関係で本当に必要な事は、「誰彼構わず人を信じる事」ではなく、「人を見る目を養う事」だと思います。

もしこの先、誰かに酷い裏切られ方をするような体験をしてしまったら、余程の関係ではない限り、その人の事は許さない方が良いでしょう。

『二度ある事は三度ある』という諺がありますが、一度裏切る人は二度裏切りますし、二度裏切る人は三度裏切ると思います。

言うまでもなく、裏切りに関しては「裏切る人間」の方が悪いのですが、同じ人に2回も3回も裏切られ続けているとしたら、流石にそれは裏切られる側の人も何かしらの対策を考えなければいけません。

「一度でも自分に対して酷い裏切り方をした人とは縁を切る」という明確な基準がご自分の中でしっかりと確立されていれば、同じ人から裏切られる事はなくなると思いますし、それによって裏切るタイプの人間の傾向も少しずつ分かってくると思いますので、裏切り行為に遭うという可能性そのものが低くなるのではないかと考えられます。

そして裏切り行為をするような人達に気を付ける事はもちろんなのですが、「人を信じる行為=善」と決め付けて、その考えを押し付けるような人達にも注意した方が良いと思います。

中には、「私は裏切られても立ち直れたから成長できたし、これからも人を信じていきたいから、これを綺麗事と言うのはおかしい」と反発する方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、自分が立ち直れたからと言って、他人も立ち直れるとは限りません。

それに、そもそも成長を実感できるぐらいの精神的な余裕があるという事は、地獄を味わうほどの酷い裏切りに遭った訳ではないようにも見受けられます。

そもそも何をもってして「成長」と感じるのかも人それぞれですし、裏切りを乗り越えた経験そのものは確かに素晴らしい事かもしれませんが、仮にまた人を信じて同じように裏切られたとしたら、残念ながらそれは全く成長していない事になってしまいます。

それよりも大切な事は、「人を見る目を養って、次は同じような裏切りに遭わないように気をつける事」であり、それによって裏切られる可能性が徐々に少なくなっていけば、それこそ「成長した」と言えるのではないでしょうか。

ちなみに今回お話しました内容は、あくまで一般的な対人関係を想定しておりますので、例えば身内の方やパートナーの方のように、簡単には縁を切れない人達との関係におきましては、一度や二度のちょっとした裏切りぐらいで縁を切る必要はないと思いますが、もし何度も何度も裏切られるような状態が続くようでしたら、その時には今後の関係性の在り方について考え直さなければいけないのではないかと思います。

繰り返しますが、綺麗事では人生の大半の問題は解決しませんし、自分の事を一番に守れるのは誰よりも自分自身となりますので、その点も踏まえた上で少しでも参考になりましたら幸いでございます。

最後までお読み頂きまして、どうもありがとうございました!
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