神様の声をお届けする役目、審神者として日々暮らしております。
ミズノサヨリと申します。
私について下さっております神様は
市杵島姫命様でございます。
日々、神様から頂くありがたいお言葉を、多くの方へお届けできたらと考え、
“神つづりブログ”を、時間の許す限り配信したいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回は『煩悩」のひとつ
『真理が分からず愚痴を言うこと』についてお話したいと思います。
ここから先は、神つづりと致します。
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≪真理が分からず愚痴を言うことについて≫
愚痴は・・・、
言いたくなくても、つい出てしまうものです。
そして、一度言葉にすれば、益々気持ちは煽られ更なる愚痴を追加する事もあるかもしれません。
それなのに…、
どれ程愚痴を吐いてもなぜか、スッキリすることはありません。
神様は“愚痴を言うこと”について、
『愚痴とは自分がいる世界を確定させること。
自ら稚拙さを表現している事である。』と申しました。
愚痴とは、
「自分が正しいのに、この人を超えられません」
と、神様へ宣言している事となるからであり、
”己が相手より格下である”と認めた証なのです。
故に愚痴とは、
己の未成熟な部分、即ち己の中に必要な真理(=物事の筋道)を得ていない者の表現となるのです。
真理がわかならければ、相手を責める事が正義となり、終始イライラは収まらず、果てには、自らも加害者と化し所かまわず愚痴を言いふらす事でしょう。
愚痴を言ってしまいたくなるのは、己の方が勝っているという事を多くの人に承認されんとする欲求です。
これが”稚拙さ”から成る事を理解することが必要でしょう。
真理を弁えている人は、物事の本筋を踏まえ、自分の意識のブレが生じて執着しないよう、気を逸らし、さらりと受け流す事が出来るのです。
努力し積み上げた己の人生が、自分から吐き出した愚痴により道を閉ざす事の無いよう、愚痴を言うより己の意識を真理へ向けましょう。
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次回は、「おごり・たかぶり」についてです。
お楽しみに。