目が見えないからこそ見えるもの

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コラム
ダニエル・タメットさんというサヴァン症候群で共感覚を持った人の書いた本のなかで、目が見えなくなってから絵の才能を発揮し始まる人の話が出て来ました。多くの人は、目が見えていたうちは絵の才能があったけれども、目が見えなくなって絵の才能を失った、という人のことは理解できても、目が見えなくなってから絵の才能を発揮し始まる人の話はにわかには想像しがたいのではないでしょうか。しかし、これは私には大いに共感できる話です。

ポントリャーギンという数学者がいるのです。ティーンエイジャーのころから視力を失い、目が見えなくなりました。ポントリャーギンの専門は幾何学であり、図形を扱う学問です。「見る」学問です。私にはどうもポントリャーギンには目の見える人には見えていないものが見えていた気がするのです。ポントリャーギンをして大数学者とならしめたものは、失明ではないのだろうか。

ベートーヴェンという大作曲家の耳が聞こえなかった話は有名だろうと思います。多くの人は、「ベートーヴェンは耳が聞こえないにもかかわらず名曲を書いた。すごい」と言うのです。でも私にはどうも違う気がしています。ベートーヴェンは耳が聞こえないからこそあれだけの大作曲家になったのではないか。「耳が聞こえないからこそ書ける名曲」というものがあるのではないか。

(これ、本人の前で言ったら怒られると思いますよ。「なにを言っているのか!オレは耳が聞こえたらもっと名曲が書けるのだ!」と言われた可能性があります。でも私にはベートーヴェンというのは「耳が聞こえないからこその大作曲家」である気がしてならないのです。)

聖書に、生まれつき目の見えない人が出て来ます。イエスはその盲人を癒やしたのち、「こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」と言っています(ヨハネによる福音書9章39節)。見えていない人のほうが見えていて、見えている人のほうが見えていないのです。

アインシュタインは3つとか4つとかの数を数えるのが苦手であったと言います。アインシュタインはヴァイオリンが弾けました。あるときルービンシュタインという世界的なピアニストと共演することがあったそうです。アインシュタインは練習で「1、2、3、ハイ」と入るところがどうしても入れません。ついにルービンシュタインは「先生は『3』という数も数えられないのですか!」と言ったそうですが、その通りであり、アインシュタインは3つや4つの数を数えることがすごく苦手だったのです。

アインシュタインと自分を並べるのはおこがましいと多くの人に思われそうですが、私も同類なので書きます。私は学生時代、教会のバザーで、屋台のおつり係をやり、ひんぱんにおつりを間違えて「きみ数学科だろう?」というツッコミをいただいたものです。私はドラーム・コホモロジーを理解しており、アイレンベルク・マクレーン空間を理解しており、ニールセン・サーストン理論を理解していました。でもおつりの計算は苦手なのです。でも世の中では「3つや4つの数も数えられない人が相対性理論を思いつくはずがない」と思われています。そう思われたらわれわれはやっていけないのです。

いまの医師に私がプログラミングの話をしたとき、医師は「だってあなたは一般の事務職も勤まらない人だよ」と馬鹿にしたように言ったのです。このように、人の能力を数直線に乗せる考え(IQ、年収、偏差値、その他もろもろ)は野蛮です。人間の能力は直線では表せないものです。

私のできるところだけ見て「すごい」と言う人も、私のできないところだけ見て「きみはダメだ」という人も、人を能力で見ているところが共通しています。人は能力で測れるものではありません。しかし、あまりにも世の中が人間を数値化するので私は嫌になっています。私は最近、障害者手帳の申請をしましたが、これさえ「何級」という「数」で表されます。「要介護いくつ」というのも数です。数であるからには数直線という直線に乗ってしまいます。人は直線では表せません。

でも、数なのです。動画の再生回数も数だし、「いいね」の数も数です。アリシア・デ・ラローチャというピアニストは、1回だけコンクールの審査員を務めて懲りたそうです。「芸術は点数化できるものではないと思う」という非常にまともなことを言っていました。しかし、皆さんが見ているものは数ですね。お金や時間のようにはっきり数で表されるものでさえも必ず無駄遣いの要素があるのです。

目が見えないからこそ見えるものがあります。人の能力とはそういうものです。私は周囲の評価の激変からそれを痛感しています。20年前の私は文字通り日本の将来を背負って立つ研究者の卵でした。いまはお金も仕事も住まいも家族のことも困っており、障害者で46歳のキャリアなしの無職です。最高峰と最底辺の両方の経験がある人間ですが、私自身はなにも変わっていないのです。周囲の評価が激変しただけです。私ひとりが吠えてもしようがないのかもしれませんが、どうぞ人を数で見ないようにしてくださるとありがたいです。
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