フロイト心理学に照らし合わせた魂や精神の構造。

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庵乃です。記事の執筆がこれまた久々になってしまいました。
記事を楽しみにしてくださっている方もいると思い、
書ける内容はいくらでもあるので、このところ
執筆を増やしていこうかとも考えています。

今回は、いままで解説してきた肉体・霊体・魂の構造やその関連を、
心理学者としてかの有名なフロイトの述べた(と言われている)
人間の心理学的構造に当てはめてさらに説明していこうと思います。

「フロイトの述べたこれは霊的にこういった解釈ができるのではないか?」
というお話ですね。
今回の話を追うにあたって、こちらの記事も
前提としてぜひ参照してください。


フロイトといえばユングの名を思い浮かべる人も多いでしょうし、
そのフロイトが錬金術を心理学的に分析していた、なんて話もあります。
そのへんについてはまたの機会に触れていきましょう。

それでは、参ります。


フロイト心理学における人の「精神」と「意識」


まず、フロイト心理学を初めて知るという方も、
すでにご存じという方も、おさらいの意味で軽く説明します。
そのなかでも今回の記事で取り上げるのは「自我」や「意識」
というものについてのみなので、フロイトという人物や
その学述そのものにもっと興味がある方はご自身で調べてみてくださいね。

まず、フロイトは人の意識を
「意識」「無意識」「前意識」の3つに分けられるとし、
人の精神(ego=エゴ)を「自我」、「超自我」そして
「es= エス、もしくはid=イド」の3つに分類しました。

私なりにまとめてざっくり述べていきますが、意識については、

意識:自分ではっきり自覚できるところ。いわゆる顕在意識。

無意識:自身で把握できない精神領域で、無自覚に自分に影響を与える。
潜在意識とも呼ばれる。

前意識:無意識の一部で、しかし場合によっては認識することができる。
意識と無意識のあいだの情報を繋いでいる。


そして、つぎに「自我」「超自我」「エス(イド)」について。
まず、本能的な欲求を生み出す「エス」があり、
そのエスの働きに対して社会的・道徳的感性から反発する動きを生み出す
「超自我」があります。この超自我は、エスによる本能的、衝動的な行動を
戒められたときに発生すると言われています。
たとえば、赤ん坊や小さな子どもが自分の心に素直な行動をしたとき、
強く怒られた経験をしたときですね。超自我=教育的な道徳心とも言えます。

そして、このエスから生まれて成長していき、
自己と他者を認識しながらその境界線を作っていく、
同時に、エスと超自我の矛盾する作用を調整する働きをする。
これが「自我」です。
言い換えれば、自我はエスから発生し、
それでいてエスと超自我の衝突のバランスを調整します。



たとえば、怒りや憎しみによって衝動的にだれかを攻撃したいと思う。
これが「エス」から湧き起こったとき、
「いや、そんなことはいけない」と自分を止めるのが「超自我」であり、
超自我は「自分はこうあるべきだ」といった理想像に
自分を近づけるための役割を持っています。

繰り返しになりますが、そうして、
エスから生まれる本能的な衝動と
超自我から生まれる社会的な規範や道徳心が
人の中で常にせめぎあっており、そのバランスを取るための領域が
フロイト心理学では「自我」と呼ばれています。

このエスと超自我の衝突による自己矛盾(葛藤)が強すぎると、
自我はバランサーとしての限界を超えて人は精神を病んでしまう。

私の理解ですが、概ねこのように言われています。

そしてつぎはこれを、以前に述べた、
「魂・霊体・肉体」の構造の観点から整理してみます。


霊能力者から見たフロイトの精神分析



はい。結論から言います。
「エス(イド)」は肉体、「自我」は霊体(アストラル体)、
そして「超自我」は魂に由来します。下の図を見てください。

IMG_0202.jpg

まず魂があり、魂がまとう霊体があり、
それらが肉体と重なっているのが人を含めた生物の主な構造です。
魂が肉体に入り(もしくは肉体に生成され)、
そこから肉体に則った霊体を形成することもある、という説明をしました。
なので、もともとの魂がなんであれ、生物として生きていくうちに
自分の(霊体として)新しい形を得ることがあるという話でしたね。

これを、先の話に照らし合わせてみます。


エス(肉体)から自我(霊体)が発生し、
自我(霊体)を挟む形でそれらに干渉する超自我(魂)がある。
魂は肉体ではなく霊体に入っているものなので、
これらが肉体と重なったとき、魂は霊体を通じて肉体に干渉する、といえます
(逆もしかり)。

私の説明(冒頭リンク先の記事)だと魂と霊体の発生の順序には
とくに触れてませんが、魂が発生するとき、
基本的にはそれに対応した霊体も同時に形作られるので、
エス(肉体)のみの状態から自我(霊体)が発生したとき、
超自我(魂)も同時に発生してしまっているわけですが、
「魂を持った霊体が肉体に宿る」パターンでは、
肉体から霊体が発生したように見えるでしょう。
結局超自我も同時に持っているので、私の解釈では
人のエス、自我、超自我は生まれた時から並行して育っていきますし、
場合によっては最初からどれかだけがものすごく大きい、とか小さい、
ということもあるでしょう。超自我というものは概ね幼少期には
芽生え始めていると言われているので、まあ遜色ないでしょうか。


そして、意識、無意識、前意識についてですが、
これは通説として意識は自我、無意識はエスに対応すると言われています。
ここまでをすべて組んだ図が先のものになります。
前意識については、その情報(記憶など)のなにがどこまでどちらに対応するか定かではない部分があるので、境界線を曲げています。
エスに対応する前意識もあれば、自我に対応する前意識もあるでしょう。

魂(超自我)は霊体(自我)に作用するし、その自我を通して
肉体(エス)は魂と反応する。魂の感覚と肉体の欲求が異なるとき、
葛藤や混乱や自己嫌悪に陥ったりする。
魂というものは、自覚できる部分とできない部分があり、
しかし自己の重要な根幹である。

こういったことから、霊的に見た生物の構造に、
フロイト心理学との共通項を見出したというのが今回の内容です。

そしてさらに、この「超自我」(魂)に秘められた
記憶について見ていきましょう。


超自我と魂の記憶


IMG_0202 2.jpg

はい。どういうことか言いましょう。

魂というものには、「いまここに生きている人間(生物)としての記憶」と、
「積み重ねた、ひとつの存在としてのすべての記憶」が同時に刻まれています。
よくある「過去」や「前世」だけではなく、
むしろいまの人生よりも先にある未来のことまで含めてですね。

時間というものに関しては、
かの相対性理論に紐づく内容をまたいつか挙げていきます。
「時間なんて存在しない」とか、「時間とは主観的な概念である」みたいな
一見わけのわからない話ですね。いまは置いておきます。


とにかく、魂というものには「いまここにいる自分」だけではない
自分自身にまつわる情報が、大切な思い出や、ときには重大なトラウマとして
眠っていたり、ハッキリわかる形で浮き彫りになったりしているわけです。

これが、フロイト心理学でいうところの
「意識的な超自我」と「無意識的な超自我」にあたるわけです。

霊能力者としては、自他ともにあるこういった「魂」の情報を、
霊体とともに明示的に観察するわけです。
ヒーリングとしては、霊体に干渉して肉体になにかを施したり、
肉体の様子を見て指圧などの刺激によって間接的に霊体を治したり、
ひいては魂の調整をしたりします。
霊媒としては、よくある「憑きもの」みたいなものに関しては、
「本人ではないべつのもの」を取り払うことで
精神的に「素」の状態を取り戻したりします。

私自身はあえて自分に霊的なものを憑ける、
いわゆる「憑依」を行うことがありますが、
それはまあ目的や用途も含めて、余談として今回は割愛します。

まとめに入ります。


霊的なものっていろんな測りかたと解釈ができますね



全体訂正版.jpg


はい。というわけで、フロイト心理学と私の霊研究に
重ねられるところがありました、という話でした。
とくに学術的に既知のものを深くは広げません。
フロイトやユングの心理学、それから現代精神医学について
もっと掘り下げた内容は、それぞれの文献を読んでいただけると幸いです。

今回はそんな感じです。


お付き合いいただいてありがとうございます。

返信は早くするように心がけているので、
ご相談やご依頼はいつでもお待ちしております。



霊媒師 庵乃

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