経歴

経歴

  • 特に目標も無く、町工場にて働く / 組み立て、検査、時々事務の平坦な日々 1997年10月 1999年12月

    何をしたいのかも分からず、何となくで地元の町工場に就職。 パソコンの小さな部品を組み立て→検品という作業をしていました。 特に目標もなく、ただ淡々と業務をこなしていました。 商業高校を出ていることもあり、途中からは事務所の仕事も任されていました。 この頃は、アットホームな会社ということもあり、のんびり仕事をしていました。 会社の人達は先輩方も多く、優しく接してもらい特に不満はありませんでした。 ただ仕事が楽しいかと言われれば、そういう訳では無く、目の前の事をしているだけ。 私は働く事が好きで、生きがいの様な所があります。 だから、悪くはないんだけど…という感じでした。 そんな時に、何となく自分の好きなことしたいなぁ〜とふと思い、辞める決断をしました。 確かその時は、この先何をするとはっきり決めていた訳では無かったと思います。 私は、自分が考え過ぎると行き詰まって上手くいかない、という事をこれまでの沢山の経験を通して気づいたのですが、この時は確実に直感で動き、そして自分の理想を現実としました。 よく言われている『現実創造』です。 もちろんこの時はそんな事も知らず、ただ直感に自分の気持ちに素直に従っただけです。 今思うと、この時の自分は感覚的にとても理想的で、自分に適度な自信があり、大丈夫という感覚がありました。 そして余計な事は考えず、その自分の感覚の通りに行動をしました。 正直ここはつまらないし、何でもいいから自分の好きな事をしたい。 だからこの仕事は辞めよう。 ただ、それだけでした。 そうすると、不思議な位にスムーズにやりたい事が見つかり、ここで働きたいと思った所ですぐに働けたんです。(その時点では、募集もかかっていなかった所にです。) その時はそれが凄いことだとは、思いもしませんでした。 働きたい所で働けた、ラッキー^^位でした。 自分の心に素直に従った結果、それが大きな転機となり、多くの事を学べたのです。 多分、考えてばかりいたら辞めていなかった気がします。 嫌だと思う仕事、つまらないなと感じる仕事、そこではせっかくの自分のエネルギーは上手く使いこなせていません。 やりたい事をやる事が、自分のエネルギーを最大に活かせるコツなのだと学びました。

  • 憧れのアパレル店員に / ファッションを通して学び、成長出来た時期 2000年1月 2005年8月

    中学生の時のおしゃれな友達の影響で、その頃からおしゃれする事が好きでした。 当時気になっていた店舗に、募集もかかっていないのに『ここで働かせてもらえませんか?』と声をかけてみる。 もちろん『今は募集していないので、募集したら声かけますね』と言われる。 いつ募集がかかるか分からないのに、当時のお気楽な私はそれで良しとます。 ところが1週間後、空きが出たとの事で、見事憧れのアパレル店員となります。 【試練】 店長から『今、声かけてきて!』『今、いって!』と何度も言われて、へこむ日々。 元々人見知りで、知らない人に声をかけるなんて、自分も声をかけられるのが嫌いなのに、、、そう思いながら声をかけるものだから、見事にほぼ全敗。 店長は売上を上げたかったのでは無く、慣れない私に少しでも慣れて欲しくて言っていたのは、後になれば分かるのですが、その時は苦痛でした。   【転機】 1店舗を閉鎖する事が決まり、辞めるか続けるか問われる。 向いていない気がして、店長に『辞めようと思ってるんですよね』と言うと、『きぃちゃんは接客の良さを分からないまま辞めちゃうんだね』と言われる。 接客の良さって何?確かに私、知らない。そう思って、もうちょっとやってみようかなって思わせてもらい、続ける事に。 結果、『きぃちゃん居るから来たよ♡』『きぃちゃんに選んでもらいたい』そんな言葉をもらえる様になりました。あの時、続ける選択をして本当に良かった。これが接客の良さだったんだ、と知る事が出来ました。 【挫折】 実力不足のまま店長へ 上に立ちたい、そういう願望は全く無く、みんなで楽しく仕事が出来ればそれでいい。 そう思っていたのですが、店長という役職に就かざるを得ない状況になります。 上の立場というだけで、色々な見方がガラッと変わりました。 正直、しんどかったです。 元々頑張り過ぎてしまう性格な上に、前の店長の 時よりも落ちたと言われるのが怖くて、どうにかしようと必死でした。 空回りばかり、上手くいかない、ストレス、この悪循環で店長として1年頑張りましたが、重荷に耐えられず、辞める事しか考えられず、挫折しました。 でも、今ではとても良い経験をさせてもらったと思っています。 上に立つ人の大変さも知れました。

  • 派遣の仕事で営業事務を経験 / 初めての営業事務を楽しく学ぶ 2005年10月 2007年6月

    派遣会社に登録し、営業事務を経験。 事務といっても町工場の簡単な伝票記入、あまり鳴らない電話の対応位しかした事の無い私は、営業事務というものがあまり分かっていないのに仕事にしてしまいます。 でもそんなに難しい事は無く、お客様からの受注から納品までの電話対応や伝票作成、納期調整、雑務と私でも出来ました。 最初は営業事務って営業をしなきゃならないの?と少し不安でした。 分からない事や知らない事でも、やってみるって大事だなと思いました。 やってみないと、出来るか向き不向きかさえも 分からないですもんね。 結構楽しかったですよ。 職場の人達も良い人ばかりでアットホームで 仕事のしやすい、環境でした。 特に不満も無かったし、続ける事が嫌だった訳では無いんです。 でも私は、事務の様な一度覚えたら同じ事の繰り返しの様な事は飽きてしまうみたいです。 やっぱり販売がしたい!人と関わりたい! そう思う様になります。

  • 派遣にて美容部員に / スキンケアの大切さを伝えるカウンセラー 2007年10月 2010年3月

    派遣にて美容部員になりました。 美容部員といってもメイクがメインの化粧バリバリのという感じでは無く、基礎化粧品がメインのとてもとてもナチュラルな感じです。 メイクはそんなに興味がある方では無かったので 基礎化粧品がメインのお店で良かったです。 実を言うと、最初は派遣会社でアクセサリーの販売のお仕事を紹介され面接をしたのですが、落ちてしまったんです… 次に紹介されたのが、この基礎化粧品メインの美容部員で、私に出来るの?と思ったし、正直不安でした。 でも仕事しなきゃと言う思いと、面接通ったのだからどうにかなるよね?の精神で飛び込みました。 結果やって良かった♡です。 同年代の同僚に恵まれ、楽しく可笑しく仕事を していました。 何となくのイメージで、美容部員さんってキツそうな イメージだし、勝手な思い込みで性格悪そう、なんて失礼な事思っていました。 正直、そういう人もいると思います。 でも私が働いていたお店では、面白い人がいて 気取っていなくていい意味で全然イメージと違って 私でも楽しく働けました。 それにやっぱり女子なので、お肌がキレイでいられるのは嬉しかったし、入店前の研修もあるので、皮膚の基礎みたいなものも学ばせてもらって、良いことずくめでした。 化粧品も安く手に入ったので、気兼ね無く使えて、お肌の状態も良かったです。 これは働いている特権ですよね。 少人数で仕事が出来たのと、気の合う人がいたので楽しく仕事が出来ました。

  • 介護職にてグループホームを経験 / 認知症の方への対応を日々学ぶ 2020年3月 2022年3月

    ホームヘルパー2級を取得していた事、求人が多かった事で、介護職に就きます。 そしてグループホームに配属されます。 私は資格はあっても介護業界に無知で、グループホームが何なのかを知りませんでした。 グループホームとは認知症の方のみ、入居できる施設になります。 認知症…大丈夫かな? 初めはそんな感じでした。 利用者様の食事介助、口腔介助、排泄介助、お世話全般、お話相手、レクレーション、日々の様子記入、毎食の食事作り、洗濯、掃除etc… 最初は正直戸惑いました。 そして利用者様は程度の違いはあるものの 全員認知症の方。 ・同じ事を何度もおっしゃる ・さっき話した事をすぐ忘れる ・帰宅願望があり、すぐ出て行こうとされる ・自分の物と他の人の物の区別がつかない ・不安感がとても強く依存されるetc... もっともっと沢山の行動がみられます。 あ〜嫌だな、そう思う事も沢山ありました。 どんな仕事でもあるんですけどね。 それでも続けられたのは 一緒に働く人が優しく教えてくれたから 相手を思いやれる職場だったから 利用者さんに救われることも沢山あったから 私は数年前に精神的に辛い時期があり、その経験を活かしたい、辛い思いをしてる人の役に立ちたいと漠然と、でもずっと思っていました。 きっと出来る事があるはず。 でも何をすれば良いか分からないし、どうすれば良いのかも分からない… その考えが消える事はありませんでした。 だから、嫌じゃ無いけど『ここじゃない』そんな想いがありました。 辞めるまではずっと考えました。 本当に辞めていいのか、副業からだって始められるし。 でも私の性格的にどっちもやったら、どっちも中途半端になる気がしたんです。 やりたいって思うなら、やってみればいい。 ダメだったらその時考えればいいし、やりたいなら やるしかないでしょ。 そう思い、この介護の仕事は辞める事にしました。 そして今に続きます^^ これからどうなって行くのかは、自分でも分かりません。 でもきっと必要な人に届くと思っているし、やって良かったと思えるまで続けていきます。 これが私が、ココナラを始めたキッカケであり、原動力です^^ 自分の想いを形にしました♡

  • 洋食レストランのウェイトレス / 人生初のアルバイト〜働く楽しさを知る〜 2000年1月 2000年12月

    在籍期間は、開始の時期等、事細かく記載したく無いので、2000年としてあります。 昔から働く事への憧れが強かった私ですが ついに念願の仕事をする機会に恵まれます。 友人が先にその洋食店のアルバイトを始めていて 募集がまだあるからと、良い所だよと教えてもらい すぐに面接を受け、働く事になりました。 慣れないながらも楽しくて、働いている自分が誇らしくて、今思い返しても良い思い出です。 初めての経験が沢山あって、 ・席へのご案内&お冷を持っていく ・オーダーとり  ・厨房とのやり取り ・他のスタッフとの連携 ・お食事の提供 ・レジ打ち ・片づけ とにかく、やる事が新鮮で楽しかったです。 働くってやっぱり楽しい! そんな事を思ったアルバイト経験でした。 そして頑張ったご褒美にお給料を頂ける。 なんて、最高なんだろう、と思いました。 初給料で何を買ったのかは、覚えていないのですが ファッションが好きだった私はきっとお給料の大半をファッションに使ったのだと思います。 このお店では、紹介をしてくれた友人の他にも 別の友人達とも一緒に仕事をしていたので より楽しく出来たのかなぁとも思います。 そしてこのお店では、はっきりとは覚えていないのですが、食事は2〜300円で食べさせてもらっていたと思います。美味しいステーキもそんな破格で食べさせて頂き、遅番の時はオーナーの外車で家まで送ってもらえるサービス付き。 色々な事を高校生だから、と大目にみてもらっていた様に思います。 とにかく、楽しかった思い出がいっぱいです。 ここでの経験が、接客をする楽しさに繋がっていったのではないかなと思っています。 よくよく考えると、引っ込み思案で人見知りの自分が良くやったなと思うのですが、もしかしたら本来の姿なのかな、なんて感じたりもします。 今でも引っ込み思案な所は変わっていないと思うのですが、いざとなるとパワーが出るタイプなのかもしれません。 どうにかなる、当たって砕けろ!な精神はあるのかも 知れません。   怖いもの知らずの、ある意味バカになれる自分は もしかしたらそこが才能なのかなと思います。

  • コンビニで働く / 〜バイトづけの生活でした〜 2000年1月 2011年12月

    在籍期間は、開始の時期等、事細かく記載したく無いので、2000年としてあります。 最寄駅の近くのコンビニエンスストアで 2つ目のアルバイトをする事になりました。 ここのコンビニは、オーナーさんが年配の方で とても可愛がって下さいました。 ここでは ・レジ打ち ・タバコの銘柄覚え ・品出し ・発注 ・宅急便の対応 などが主な仕事だったかなと記憶しています。 中でも、この頃はタバコはお客様が言ったものを 従業員が取ってあげるシステムな上に、番号などもふっていなかったので、最初は覚えるのが大変でした。 店頭に並んでいないマニアックなタバコもあり 沢山タバコの銘柄を知り、覚えました。 でも若いから意外とすぐに覚えてしまうのですよね 略語などもあって、それを知ると勝手に通な感じもしてました。 それはそれで楽しかったです。 そのお店は駅が近い事もあって周りには飲食店もあり、一定の時間になると、夜勤のお姉様方やニューハーフの方々も利用されていました。 私はニューハーフの方が好きで、生き様がカッコいいななんて、思っているんです。  見た目や発言は過激でも、なんとなくピュアさを感じると言うか、かもしだしている雰囲気が、なんとなく好きなんです。 だから、買い物に来られるのが嬉しかったです。    いつも来られるニューハーフの方に、何故だか、ラップに包まれた杏を頂いた事がありました。 もちろん、たまたま持っていただけで、たまたまそこに私が居たから貰っただけなのですが、とても印象的で、未だに覚えています。 心がとっても温かい人なんだろうなぁ、なんて思った記憶があります。 めちゃくちゃ布の割合が少ない服を着て、入ってきた瞬間にその場に居なくても、直ぐに入ってきたのが分かる位、香水の香りが強い方でした。 今、その香りを嗅いでもすぐに分かる気がします。   コンビニの話から逸れてしまいましたが ここでも沢山の経験と楽しさを、味あわせてもらいました。 コンビニって毎週新商品が出るので、それをチェックするのも楽しかったです。 あと時間帯によって、客層がガラッと変わったり 新しいもの好きな人、いつも定番を買う人など 買い物にもその人の個性が現れて、そういうのを知るのも楽しかったです。

  • パン屋さんでのアルバイト / 〜毎食パン生活していました〜 2010年1月 2010年12月

    在籍期間は、開始の時期等、事細かく記載したく無いので、2000年としてあります。 3つ目のアルバイトはパン屋さんです。 大きなターミナル駅の地下にあるパン屋さんで アルバイトを始めました。 何故パン屋さんを選んだのかは覚えていないのですが、学校の最寄駅で探して、時間や時給などが自分とマッチしていたのかなと思います。 ここでは ・レジ打ち ・品出し がメインだったと思います。 沢山の種類がある中で、1つ1つのパンの名前と値段を覚えるのが大変でしたが、覚えてレジ打ちを速く出来る様になったり、袋づめが素早く出来たりすると、自分がプロっぽく感じれて楽しかったです。 確かここで焼いていたのではなくて、近くの工場で 焼いたものを定期的に運んで来ていたと記憶しているのですが、思い返してみると、店長が汗だくになりながら作業をしていた姿が思い出されたので、もしかしたら、そこで焼いていたのかも知れません。 いずれにしても、ここのパンはとても美味しかったです。 変わった惣菜パンもあり、沢山の種類のパンがありました。 本当はいけないのですが、閉店後に残ったパンは その時のスタッフで分けて持ち帰っていました。 大量に余るんだもん、勿体無いですよね? なのでその頃は、3食パンの日も多かったです。 お金の無い学生には、とてもありがたかったです。 但し、3食パン生活、1年続けていたら5キロ近く 太っていたので、注意が必要です(^^;)

  • インテリアの専門学校で基礎を学ぶ / 〜課題が多くて、日々苦戦していました〜 2000年1月 2001年12月

    在籍期間は、開始の時期等、事細かく記載したく無いので、2000年としてあります。 私はずっとファッションが好きでした。 専門学校に通う事を決めた時も、ファッション 関係の学校も考えたし、悩んだのですが、若かりし頃の私は、ファッションって若いうちしか出来ないものと間違った思い込みをしており、長い目でみたらインテリアの方がいいなと思い、インテリアの専門学校に行く事にしました。 昔から、新聞の折り込みに入ってくる家の広告の間取り図を見るのが大好きだったんです。 ずっとアパートでしか暮らした事が無くて、一軒家への憧れや、洋室を可愛いインテリアで楽しみたいという願望がありました。 学校に入って感じた事は、最初の1年って基礎の基礎を学ぶ所なんだ、でした。 手のデッサンだったり、製図の基礎だったり、壁紙などのサンプリングをしたり… 自分がイメージしていたインテリア、では無かったんです。 そしてもう一つ挫折した事。 これは挫折というよりも、物事を表面的にしか捉えることの出来なかった、自分が原因のこと。 人の事を、何となくでも見た目で判断していたんですよね。 学校に、垢抜けていない素朴な感じの同級生がいて、最初はあまり教室に馴染んでいない感じもしていて。 何でこの学校に来たのかな?みたいに偉そうな事も思ったりして。 でも、その子はめちゃくちゃ絵が上手かったんです。 手のデッサンをした時に、その子の上手さに凄いって思いました。 実力の差を痛感した瞬間でした。 自分はただおしゃれが好きなだけで、絵の才能もセンスも無い。 必要とされるのって、こういう子なんだろうなぁって 思ったんです。 性格も素直で、素朴だけれど親しみがあって。 きっと描いたり、何かを創り出す事が凄く好きなんだろうなって感じたんです。 私、違う…なんとなくそう感じました。 学費が高い上に、一人暮らしをさせてもらっていたので1年で基礎だけ学んで後は独学で、なんて甘い考えをしていた私ですが、別の意味で1年で辞めて、インテリアからは離れてしまいました。

  • 小学生時代〜唯一の大きな出来事〜 / スピーチコンテストの代表に選ばれる。 2000年1月 2000年1月

    在籍期間は、開始の時期等、事細かく記載したく無いので、2000年としてあります。 小学生時代は、可もなく不可もなくという平凡な時期を過ごしていました。 ちょっと大人しめの、ごくごく普通の小学生だったと記憶しています。 鍵っ子だけれど、家から近いおばあちゃんの家に帰ることもしばしば。 友達の所に遊びに行くこともあり、そのまま家に帰ることもあり。 迷い猫を飼っていた時期もあり、名前を呼ぶとにゃ〜と、どこからともなく現れるニャンコを こよなく愛していました♡ そんなほっこり小学生時代を過ごしておりましたが 全校生徒の前で、作文を読むという大役?を申し付けられた事が一度だけありました。 私は、引っ込み思案の大のあがり症。 言われた瞬間、…、時が止まりました。 え、嫌だ、無理、逃げ出したい… しかし、そんな胸の内を伝えられる訳もなく…引き受けるしか、無かった。 スピーチ当日までの記憶は殆どないのですが 毎日、嫌だ、嫌だ、嫌だ、逃げたい、どうにか逃げる道はないかな… きっとそんな事を思っていたに違いありません。 それ位、人前で何かをするという事は苦痛でしか無かったと思います。 そしてスピーチ当日。 何名かが選ばれ、壇上に上がる様指示されます。 確か5〜6名だったと思います。 めちゃくちゃ緊張していて、小刻みに足が震えていた記憶があります。 心臓、バクバクでした。 今、この瞬間でも逃げ出したい、どうにかして、助けて、そんな心境でした。 順番に呼ばれ、スピーチしていく仲間たち。 そしてついに、自分の番。 その瞬間、スイッチが切り替わったような、不思議な感覚がありました。 今まであんなに緊張していたのが、嘘のような静けさ… 緊張ってどんな感覚だっけ? そう感じるくらいに、何とも思わず、全く緊張もせず 普通にスピーチできたんです。 何かが、自分に降りてきたかの様に。 多分、緊張しすぎて、何かが切り替わったのかも知れません。 その後の表彰の時も、緊張という言葉を忘れたかの様に、楽しく仲間と笑い合っていました。 正直、とても爽快で気持ちが良かったです。 でも、もう一度やって、と言われたらお断りします (´∀`) でももしかしたら、爽快なのかな(*´꒳`*)

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 受賞

    ★数秘33の平和主義な宇宙人★ 2000年1月

  • 受賞

    ★直感は鋭いのにおっとり派★ 2000年1月

  • 受賞

    ★自分も相手も幸せがモットー★ 2000年1月

  • 受賞

    プラチナランク受賞 2022年10月