経歴

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  • アル中父と未成年の母との間に誕生! / 長男として産まれる 1989年7月 1993年2月

    ☆悠也の父と母☆ 1989年7月26日 【焼酎片手にハンドルをにぎるアル中トラックドライバーな父】と【マジメで当時未成年だった母】の間にぼくは産まれました! ◇父は典型的なアル中で酔っていないときはないくらい仕事中もプライベートもお酒を飲んでいたらしいです! 「現在も常に片手に缶ビールはかわりません┐( ̄ヘ ̄)┌」 ◇さらに右翼団体に所属していたのでしょっちゅう団員たちと飲み歩いていて家にはほとんど帰らなかったと聞いています。どうしようもないですね(笑) ◇母は学生時代マジメに育って短大に入るまで恋愛も一切した事なかったらしいですが、父と出会って''悪い男''に惹かれてしまったらしく10代でぼくを授かることになりました! ◇母方の両親はアル中で右翼団員との結婚はもちろん反対だったらしいのですが母のお腹にぼくを授かっていたのでしぶしぶ結婚をゆるしたみたい(ꏿ﹏ꏿ;) ☆波乱の幕開け☆ 母は産気づいたとき自分でタクシーを呼んで病院へ行ったらしいです。たくましいですね、頭がさがります(・o・) そして母と僕との格闘がはじまりました! なかなか僕はでてこなかったらしく、最終的にお医者さんが母のお腹をグッと押して無事でてきました! でもぼくは産声をあげることができませんでした。 理由は''爆睡''していたのです(笑) 産気づいてから産まれてからずっと寝ていたらしくそのせいでなかなか産まれなかったみたいです。 お騒がせしてすいませんって感じです(笑) お医者さんからは「変わった子やなー」とお褒めの言葉をいただきました。(笑) いまもよく変わり者と言われますが、たぶんこのときが人生はじめて変わり者と言われた瞬間だったと思います☆ 幸先のいいスタートダッシュをきってベビー室へ移動となりました。(笑) ◇余談になりますが僕の産まれた病院ではその日ほぼ同じ時刻に産まれた男の子がいました! その男の子は新生児室でぼくと隣同士で寝ていました。 そして同じ病院で同じ日に産まれたぼくたちは16年後高校で同じクラスになり偶然となりの席に座ることになって再会して親友になります! 【あとでご説明しますがこの運命的な出会いをした親友がぼくの人生を大きく変えてくれることになります】

  • 記憶を消してしまった幼少期! / 長男 1993年4月 1996年3月

    【弟の誕生】 ぼくが産まれた翌年、弟ができました☆ 弟は早産でしたがすくすくと育ちました♪ 弟が産まれてから父は家に帰らないことがさらに増えました。 当時の父は昭和のガンコオヤジに憧れていたらしく、家事と育児は一切しない主義をつらぬいていました。あほですね┐( ˘_˘)┌笑 母には働かずに専業主婦でいてほしかったらしく、家族を食わせていくためにほとんど寝ずに働いていたと聞いています。 その根性とたくましさは頭が下がります。感謝もしています。 そんな父はプレッシャーやストレスも物凄かったんだと思います。お酒の量も増えてたまに帰ってくるときは決まって泥酔していてぼくと弟は理由も殴られたり蹴られていました。 ぼくが大人になってから当時はなぜ理由もなく殴っていたのか父に聞いてみたところ「ストレスのハケグチにできるペットだと思っていた」との返答。 まさに人間のクズですよね。(笑) 家事と育児を母に押し付けてほとんど帰ってこないので母はものすごい寂しさや不安、つらさのなかでぼくたちを育ててくれていたと思います。 そして母はノイローゼになってしまっていました。 こどもの頃の記憶は少ないのですがすごく鮮明に覚えているのは母がいつも泣いていたこと、トイレでよく吐いていたこと、そしてぼくの座っていたイスの背もたれに包丁を勢いよくぶっ刺した光景です(・・;) なぜこどもの頃の記憶が少ないのかというとあまりにつらかったために記憶を封印してしまったみたいです。 (20代なかばまではほとんど記憶がなかったのですがコーチングやヒプノセラピーなどを繰り返し受けたことによってだいぶ思い出せるようになりました♪) そしてぼくはいつもビクビクおびえていて保育園に入園してもだれとも話せずにうつむいていた子だったみたいです(ب_ب) 保育園で覚えていることはトイレで男の子たちから「お前しゃべれへんのやろ」「あ、とか言うてみ!」とからかわれて恐かったことは覚えています。 家でも外でもいじめられていたので毎日が絶望だったと思います。 でも!唯一仲良かったのは1個下の弟でした! 弟とは一緒にふざけたり公園で遊んだり、 時にはつかみ合いのケンカもできる仲でした♪ 弟はぼくにとって癒やしの存在でした♪

  • 小学生時代 / いじめられっ子 1996年4月 2002年3月

    【自殺願望が芽ばえた小学生時代】 悠也は小学生になりました♪ 小学生のぼくは相変わらずビクビクおびえていました(笑) しかし!ぼくはここで大きな挑戦をすることになります! 挑戦のきっかけは母がよく観ていた映画でした♪ 母は【ジャッキー・チェン】の大ファンでいつも目を輝かせて映画をみていました! ぼくは父と母には嫌われていると思い込んでいたので「ジャッキーチェンみたいにカンフーができればお母さんが見直してくれるかも!」 と興奮しました(╯°□°)╯ そこからぼくは思い切って母に「カンフーを習いたい」と自分の気持ちを伝えました! よっぽど母に好かれたかったんだと思います(笑) そして母は大賛成!父も賛成してくれて父と一緒に近所にある少林寺拳法の道場に見学に行きました。 まさにトントン拍子!┏(^0^)┛ ドキドキの道場見学。 そのとき悠也の感じたことは【ヤバい!思ってたのと全然違う!】でした(笑) ぼくたち親子はカンフーと少林寺拳法は全く別モノだということを知りませでした! そしてゆうやの次に感じたことは【めっちゃ帰りたい!こんなのやりたくない!】と思ってしまいました。 しかし当時のぼくがそんなことを言えるはずもなく、無事入門を果たしました。(笑) そこからぼくは全く興味のない少林寺拳法を放課後に週3回6年間休まず通うことになります。 結果的に黒帯まで上がることになりました(笑) 学校ではいじめられて、家では殴られて、やりたくない習い事を一生懸命やる毎日は地獄そのものでそのころは毎日【死ぬことを楽しみに生きていました】 小学校の登下校は自宅から少し距離があって片道30分の道のりでした。 登下校中は決まってうつむいて歩きながら「死んだあとどういう世界があるんだろう」という妄想にふけっていました。 寝る前も「死後の世界を楽しむ」妄想をしながら眠りにつくという毎日でした。 そして小学3年生ではじめて自殺未遂をします。 クローゼットのハンガーをひっかけるところに道着の帯をかけて首を吊りました。 そのときは意識がなくなったあと帯がほどけて未遂に終わりました。 未遂に終わりましたが、ぼくは死に近づけたことにとても嬉しかったことをおぼえています(;゚Д゚)

  • 母からの愛情を感じれた瞬間! / いじめられっ子 1994年4月 2002年3月

    【三男が誕生】 ぼくが小学1年生のときに二人目の弟ができました。 赤ちゃんの弟がすごく可愛くてよくお世話をしていたんですって♪覚えてないけど(笑) そして父も三男をめちゃくちゃ可愛いがっていました。 弟が欲しがるものはなんでも買ってあげてどんなわがままを言っても許していました。 当時のぼくはそんな弟を憎むようになっていました。 「ぼくはお父さんやお母さんに好かれるために毎日一生懸命がんばっているのに嫌われている。なんで弟はありのままでこんなにも愛されてるんや」とゆがんだ嫉妬をもっていました。 そして憂さばらしに弟をいじめるようになっていました。最低な兄でした。 ぼくが弟をいじめると決まって弟は父に報告して速攻でボコボコに殴られるというお決まりのパターンができあがっていました(笑) そして「やっぱりぼくは家族の嫌われ者だ」という被害妄想を強めていきました。 はじめのほうに少し触れましたが父は右翼団体に入っていて、ぼくが小学校低学年の頃くらいに独立して新しい団体を作りました。 家にはよく団員の人たちがきてお酒を飲んでいました。 この記憶はいまでもあまり思い出せないですが団員の人からもぼくはいじめられていたようです。 少し覚えているのは団員たちとごはんを食べているときに大量のビールがかけられた焼きそばを全部食えと命じられて吐いても無理やり食べさせられていたことは覚えています。 そういった体験のせいで20代なかばまでは街で右翼の街宣車を目にしただけで汗がとまらなくなるという謎の症状がありました⊙﹏⊙ そんなこんなで地獄みたいな毎日を過ごしていたぼくですが自分にとって宝のような経験もあります☆ それは夏休みにでかけた先でのできごとでした! ぼくの母方のおじいちゃんとおばあちゃんはよくわからない宗教を信じこんでいました。 その宗教の施設へ母とおばあちゃんとぼくの3人ででかけた際にぼくは乗り物酔いをして施設の床に吐いてしまいました。 それをみておばあちゃんは神聖な床を汚したと大激怒(笑) 母にも怒られるんだろうなーと身構えたときに母は僕を責めたおばあちゃんに激怒していました! なんと、ぼくを守ってくれたのです(゜o゜; こどもの頃の1番幸せな瞬間でした(笑)

  • ヤンキーYくんに忠誠を誓う(笑) / 中学生 2005年4月 2008年3月

    【両親の離婚】 ぼくは中学に入学して中学校生活がスタートしました。 中学生になってから毎日Yくんと登下校をしていました。 Yくんとは保育園からの幼なじみでした。 ぼくのことを気にいってよく遊びにも誘ってくれて遊んでいました。 しかし今思うとぼくはYくんの事が大嫌いでした。 なぜかというと保育園の頃からぼくをいじめていたリーダーはYくんだったからです。 ぼくは嫌いだけど恐くて逆らえないのでいつも従って一緒にいました。 Yくんは典型的なヤンキーでぼくは典型的な陰キャだったのでまわりは「なんであの2人いつも一緒なんやろ」と不思議だったと思います(笑) 中学に上がってからは不思議とYくんからのいじめはなくなりました。 代わりに違うグループの子たちから激しいいじめにあっていました。 ある日いつものようにぼくはトイレでいじめっ子グループにからかわれていました。 その事を聞きつけたYくんは「お前ら俺の連れになにやっとんのや!!」と助けに来てくれました! ぼくはとても感動しました(〒﹏〒) ここ恩は忘れません!一生ついていきます!みたいな感じでした(笑) しかしいじめ自体はなくなることはなく、毎日地獄のような学校生活を送っていました。 その頃家庭内では父親が長年の無理がたたって身体を壊して仕事ができなくなりました。 そして毎日家で酒浸りの生活でした。 父の暴力に母が我慢の限界になってぼくたちを連れて実家へ逃げることになりました。 その頃のぼくはなぜか「お父さんを1人にするのはかわいそう」と思って父の元へ残ることになりました。 家に残ったぼくに父は「すまんな」とだけ言って何事もなかったかのように2人でしばらく過ごしました。 しばらく過ごしたのちに離婚が成立し、父が家をでて実家に戻り母が戻ってきて親子4人の生活がスタートしました。 そして父が家をでたと同時期にぼくは6年通っていた少林寺拳法をやめて不登校になり、家にひきこもるようになりました。中学2年生でした。 その頃からぼくは感情が抑えらなくなり家で発狂したり泣きじゃくったりとにかく暴れていました。 抑えこんでいたものが爆破した感覚です。 母と一緒に精神科に通いはじめましたが感情を抑えることはできませんでした。

  • ひきこもりから寮生活へ無謀な挑戦! / 高校生 2003年7月 2005年4月

    【普通の学生生活に憧れる】 ひきこもってしばらくすると感情の爆発は落ち着いてきました。 毎日夕方に起きてずっとパソコンをして朝方寝るというパターンを繰り返していました。 激太りしました。(笑) 学校へ行かなくっていじめられることなくなり、恐怖の存在だった父もいなくなったことでだいぶ心がラクになりました。  それと同時に「学生生活をやり直したい」とも考えるようになりました。 ぼくは不登校のまま高校受験シーズンに入りました。 高校に進学して"普通の学生"になりたいと考えてそのためには環境を思い切って変えなくては!という謎の考えにたどりつき、ぼくは全寮制の高校を受験したい!と母に伝えました(笑) その当時母は精神科のお医者さんから「息子さんが望むことはできるかぎり支援してあげてください」と言われていたらしく、この無謀な挑戦のお願いを受け入れてくれました。 そして受験は見事合格! 春から寮生活がスタートしました! 結果は4日で退学しました(笑) やはり当時のぼくには無謀だったらしくて2日目から寝込んで布団からでれなくなって4日目に自主退学するという超スピード退学致しました。(笑) この出来事はものすごい挫折感と無力感と自責でどうしようもありませんでした。 それでもすぐに立ち直ろうとして今度はコンビニのアルバイトに挑戦しました。 2日目で寝込んで辞めました(笑) それからはウツが悪化してひどい状態だったと思います。 そんな頃に中学時代の友人Yくんが心配して家に遊びにきてくれました。 そしてバイクの後ろに乗っけてもらっていろんなことをして遊びました。 またもやYくんに助けてもらいました。 ぼくはもう一回高校受験をさせてほしいと母に頼んで今度は定時制高校を受験して見事合格しました。 無事に合格はしましたが【また挫折するかも】とすごく不安でした。 その頃通っていた精神科で週に1度カウンセリングも受けていてカウンセラーの先生に不安な気持ちを打ち明けてすべて優しく受け止めて聞いてくださってとても心強かったことを覚えています。 不登校になってからいろいろな挫折もありましたが母をはじめ、色んなひとからの支えを感じてぼくは少しずつ成長していったんだと思います。

  • 脱!いじめ【人生のターニングポイント】 / 高校生 2006年4月 2010年3月

    【定時制高校で高校デビュー成功(笑)】 ぼくの高校生活が再スタートしました。 夜間から授業がはじまる定時制高校です。 いま思い返すと恥ずかしいのですがぼくは今度こそいじめられないために高校デビューを目指しました笑 まず見た目からということでメガネからコンタクトにかえました。 幼なじみのYくんに髪を明るく染めてもらってピアスもあけました(笑) そして入学してすぐに見た目いかつめな子に勇気をだして声をかけて仲良くなりました! そしてどんどん友達ができていってなんと!高校デビュー成功です! それからは夕方から学校へ行って学校が終わったら友達と朝まで遊んで朝方に帰宅して夕方に起きて学校へ行くという毎日でした。 いままでの人生では考えられないくらい楽しい日々で毎日がキラキラ輝いてみえました\(◎o◎)/ 入学してすぐに彼女もできました!まさに順風満帆ってやつです(笑) 女友だちもたくさんできてよく恋愛相談を受ける事が多くありました。 ぼくは当時から恋愛相談や愚痴を聞くことが多かったと思います。 デリケートな悩みをぼくなんかに打ち明けてくれるんだからちょっとでもラクになってほしいという気持ちでいつも話を聞いていました☆ あまりによく相談を受けているので彼女はヤキモチをやいたり浮気を疑われることも多かった記憶があります(笑) ぼくにとってはじめての彼女はものすごい浮気癖がありました。 何度も浮気がバレてその度に許していたのですが、今で言うパパ活の常習犯ということが発覚しました。 さすがに「もーいやもーむり(‘◉⌓◉’)」と思って別れました。 そして1ヶ月後には別の子と付き合っていました。(笑) そんなこんなでいろんな恋愛を経験することになります(笑) 一気に青春を取り戻したぼくをみて母も最初は喜んでいました。 しかし調子に乗りすぎてしまっていたようです。 警察さんのお世話になることが多くなりました。 ほぼ毎日朝までお酒を飲んで酔っぱらって家に帰っていました。 ある日いつものように泥酔で帰宅すると母は泣いていました。 泣いている母をみて自分がどれだけバカだったか心配をかけていたか気づきました。 これからは昼間しっかり働こうと決意しました。

  • 大きく変わるきっかけになった親友との再会 / 高校2年生 2007年4月 2008年3月

    【2年生に進学してさまざまなアルバイトを経験する】 これからは昼間頑張って働こうと意気込み、ファミレスのキッチンのアルバイトをはじめました。 まわりの方はすごく優しくてよくしてくれました。 頑張って働いていたのですが働きだして4ヶ月目でウツが悪化してアルバイトを辞めました。 少し休んでから工場で働いたりスーパーの店員、大工などもしたのですがどれも長くは続きませんでした。 学校生活はというと2年生にあがって新しいクラスで隣の席になったHくんという同級生と意気投合して仲良くなりました。 ある日Hくんから「お前の誕生日って7月26日?」と聞かれてぼくはなんで知ってるの疑問に思いながら「そうやで」と答えました。 すると「病院は〇〇産婦人科?」と聞かれて「そうやけどなんで知ってるん?」と答えました。 Hくんは興奮して「俺も7月26日に〇〇産婦人科で産まれたん!そんで新生児室で隣どうしやったんやで」と教えてくれました! ぼくはびっくりして「なんでそんなことわかったん?」と聞くとHくんはお母さんにぼくと仲良くなった話をしていたらしくてぼくの苗字は珍しいのでもしかしてとお母さんが気づいたらしいです。 「再会して隣どうしの席なるとか俺ら運命やな!」とHくんが嬉しそうに話していたのを覚えています。 そしてぼくは3年生に進学しました。 3年生にもなると仲良かった友達はほとんど退学していました。 そんなこともあってHくんと2人で行動することがほとんどでした。 その頃弁当の配達のアルバイトをしていました。 弁当の配達はほぼ1人で仕事をするのでとても気楽で高校を卒業まで続けることができました。 朝から夕方まで弁当の配達をしてグッタリしながら学校へいくとHくんがなにやら落ち込んでいました。 理由を聞くとHくんは「いまは話す気分じゃない。また後で話聞いてほしい」と言ったのでぼくは「わかった。学校終わってから電話する」と言って解散しました 学校が終わってから疲れていたぼくは電話するのを忘れてバタンキューで眠ってしまいました。 その夜Hくんは自死しました Hくんのお母さんは学校のみんなには知らせないでほしいとの意向でしたがぼくだけには知らせてお葬式に参列してほしいとのことで担任から聞かされました

  • 友人との別れ【ぼくが変われたきっかけ】 / 社会人 2008年3月 2013年7月

    親友Hくんの自死は相当なショックでした。 「約束を守って電話していれば生きていたかも..」という後悔の思いや「ぼくのせいだ..」という自責の念でいっぱいでした。 その日から高校生活はつらいだけになって出席日数ギリギリでなんとか卒業できました。 卒業後は職を転々としていました。 仕事が全く続かずにニート期間も長かったです。 眠剤を飲んでも夜眠れず日中はいつも眠気に襲われていました。 幼なじみのYくんと朝まで飲んだくれて過ごす日が多くなりました(˘・_・˘) いろんな仕事を経験したのちに運送会社に入社しました。 社長がぼくのことを息子のように可愛がってくれたのとまわりの人からもめちゃくちゃ可愛がってもらったおかげで定職に就くことができました。 相変わらずYくんとは飲み歩いたり悪さをしたりしていましたがYくんはアウトローな仕事をしていて会うたびにクズな言動が多くなっていました。 そんな彼にぼくはうんざりして【関わりたくない】とまで考えて避けていました。今思うと当然の感情ですよね(笑) Yくんの行動はエスカレートしていきました。 当然そんなYくんは怖い人たちから追い込みをかけられて「どうしよう、助けて」という電話がかかってきました。 ぼくはひと通り話を聞いてからYくんをコテンパンに叱って電話を切りました(ノ`Д´)ノ彡 それからしばらくしてYくんは行方不明になりました。 自業自得だったとは思いますが 「結局ぼくはYくんも見捨てた」 「いじめっ子から救ってくれたのにぼくは最低だ」 そんな気持ちもありました。どうしても自分を責めるのです(苦笑) 一方で亡くなったHくんの両親とはその後も連絡を取り合っていて焼肉を食べに連れて行ってもらう機会がありました。 食事中にお母さんは「Hがあいつはいつもぼくの味方してくれるいいやつやねん!って言うてた。お墓にも挨拶にきてくれていまも感謝してると思うよ」と言ってくれました。 お父さんからは【Hの分まで強く生きてほしい。頼ってほしい】という言葉ももらいました。 ぼくは絶対に強く生きよう。心に決めました。 昔から幸せな家庭にものすごい憧れを抱いていたのですがこんな自分では無理だと諦めていました。 諦めるのをやめようと決めました!

  • 自分を変えるために鬼行動! / 社会人 2013年7月 現在

    【書籍を読み漁る】 自分を変えようと思い立ってからは有名人や偉人から学ぼうと偉人の自伝を読み漁りました! いまとなってはほとんど内容を忘れています!笑 そのなかでほとんどの偉人がこどものころにまずしかったり、とんでもない苦労をしているということに気づきました。 自分のこどもの頃はどうだろうと思い出そうとしてもなかなか思い出すことができませんでした。 その時はじめてこどもの頃の記憶がない事に気づきました。 思い出せる記憶はつらいものばかりでなにがつらいのか考えたときに「家の中にいるときが1番苦しかった」ことを思い出しました。 こりゃ異常だ(・o・;) てな感じで自分が虐待を受けていたことにやっと気づくことができました(笑) そこから【機能不全家族】【アダルトチルドレン】という言葉を知ってその特徴がぼくにすべて当てはまったことに衝撃を受けたことを覚えています(´⊙ω⊙`)! アダルトチルドレンの生きづらさから回復すべく【ヒプノセラピー(催眠療法)】【カウンセリング】【自助グループ】【コーチング】などとにかく行動しまくりました! 自分で自分を褒めたいくらい頑張りました(笑) 頑張ったかいがあって以前とは比べものにならないくらい生きるのがラクになって健全になりました! そのような経験から同じような悩みをもった方の力になりたい。ぼくの豊富な恋愛経験を活かして悩んでいる女の子の役にたちたい。 そして【親友を救えなかったぶん、あの頃の親友と同じような苦しみを抱えている方の助けになりたい】と考えてココナラデビューしました。 あなたがつらいとき、ぜひぼくを活用してください♪ お電話心からお待ちしております(^^) ↓ぼくのイチオシサービスです↓ https://coconala.com/services/2059908

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 講演

    アダルトチルドレン自助グループの集まりで30分講演 2018年6月

  • 受賞

    少林寺拳法三重大会上位入賞 2001年10月

  • 受賞

    少林寺拳法三重大会上位入賞 2002年10月

  • 講演

    少林寺拳法演武出演 2001年7月

  • 執筆

    ココナラ登録 2021年11月

  • 執筆

    ココナラサービス初出品☆ 2021年12月

  • 受賞

    ココナラサービス売上実績10件達成!ありがとうございます! 2022年2月

  • 受賞

    シルバーランクになりました!ありがとうございます! 2022年2月

  • 受賞

    フォロワー数200名超え!皆さまありがとうございます! 2022年2月

  • 受賞

    フォロワー数300名超え!皆さまありがとうございます! 2022年2月

  • 受賞

    ゴールドランクになりました!ありがとうございます(^^) 2022年3月

  • 受賞

    フォロワー数400名超え!皆さまありがとうございます! 2022年3月

  • 受賞

    プラチナランクになりました!皆様ありがとうございます! 2022年5月

  • 受賞

    フォロワー数500名超え!皆様ありがとうございます! 2022年5月