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経歴

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  • 児童精神科看護師 / 訪問看護 2018年6月 2021年9月

    【仕事内容】 3ヶ月程特老でパートで勤務していました。 どうしても精神科の仕事がやりたくなって退職。 精神科看護師として勤務したい一心で様々な精神科病院やクリニックなど見学と面接を受ける日々。 気になっていたクリニックの面接で 「ゆくゆくは訪問看護も行ってほしい」と提案され承諾すると即採用。 始めは一日数件の訪問とクリニックの行き来。 患者さん宅へ伺う事が多く、一時間では終わらない訪問が続きました。 次第に一日の走行距離が100㎞を超えるように。 訪問先の範囲が広がり、小学校や中学校校長からドクターに訪問依頼が入る。 学校側からの訪問要請は大抵{問題行動がある児童への対処方法}を目的としたもの。 教育の場と医療の場で考え方や対処方法に若干違いが生じている事を知りました。 学校の先生らと情報共有、行政(児童相談所やSSW等)との連携、 親御さんへのフィードバックなど精神保健福祉士の役割も担っていました。 コロナの影響もあり、自分自身の身体の事も考え退職。 【プライベート】 同棲生活を経て、めでたく入籍(/ω\) 実家で生活していた長男がたまたま遊びに来たタイミングで緊急事態宣言。 コロナの影響で実家に戻る事が出来ず、そのまま同居する事に。(3人家族に) グレーゾーンと言われる部分なのか? 育て方が悪かったのか? 成人しても幼さが吐出Σ(゚д゚lll)ガーン 〔育てなおし〕を決意! 小さい頃に言ってあげられなかった言葉 やってあげられなかった事など現在も少しずつ行う日々。 夢だった夫との子どもは中々出来ないので諦める事に(ノд-。)クスン その分、長男とワンコ(二匹)に愛情を注いでいます。

  • 都内の精神科病院 / 救急病棟 2016年10月 2017年12月

    【プライベート】 都内のかかりつけ医に通うには東北から遠い為 都内の精神科病院へ勤務する事を決意。 長男は実家の祖父母と生活すると言ってくれたので 一人暮らしをすることに・・。 始めは寂しくなると思っていたら 仕事も楽しく趣味に時間を費やしていたので気ままに生活。 子宮頸がん検診で再診を繰り返す。 某有名な病院の女医から 「どうせ独身でしょ!?子どもを産む予定ないなら取って(子宮頸部) しまったらいいのよ!」 と捨て台詞をはかれ、絶対に再婚して子どもを産んでやる!と決意。 出会いが無いので自ら様々な所へ相談したり登録を繰り返す。 ( *´艸`)2017年5月 現在の夫と出会い{私はこの人と一緒になるんだろうな~}と感じる。 お付き合いをして三ヶ月程経ってから職場の方へ結婚したい人が居ると相談。 ”出会って3ヶ月でそう思うのはまだ早い!” ”本当にその人で大丈夫なのか!?” と心配される。 退職するギリギリまで半同棲。片道2時間半かけて通勤。 【仕事内容】 スーパー救急病棟(精神科救急入院料病棟)での勤務。 日本人ばかりでなく、海外の方も入院される事があり 首都圏と田舎のギャップを思い知る。 その他に ・ドヤ街のドヤ (田舎ではその様な言葉すら聞いたことがありませんでした(-_-;)) ・麻薬( 麻薬の精神状態悪化を目の当たりに(;゚Д゚)) ・搬送業者 (ご家族で連れて来れない程精神状態悪化している方を怪我などなく安全に連れてくる人) 知らない事ばかりで一つずつ丁寧に先輩方が教えてくれました。 成人期から老年期の方が多く、稀に青年期の方も入院されてました。 日々勤務に追われてゆっくりお話を伺う時間も限られており 寄り添う看護があまり出来ていなかったと思います。

  • 東北の精神科病院 / 急性期開放病棟 2013年10月 2016年7月

    【仕事内容】 看護学生の頃講義に来ていた医師の精神科病院を訪ねる。 看護技術を見込まれ、急性期開放病棟配属。 ①病棟勤務 兼 ②外来看護 兼 ➂外来デイサービス 兼 ④訪問看護 (4種類)を担う日々。 夜間救急対応も行っており 緊急性の高い症状の患者さんを多く対応。 デイサービスでは患者さんと一緒に認知行動療法を学習。 共に学ぶことでスキルアップに繋がる。 【プライベート】 高校へなんとか進学した長男。 一年生の頃は遅刻や欠席は殆どなかったのに 二年生になった途端夜勤明けで帰宅するとまだ自宅に居る始末Σ(゚д゚lll)ガーン( 大体9時から10時頃の帰宅でまだ布団の中にいました) 高校まで夜勤明けで(片道20㎞)送る日が多くなる。 勉強が嫌いになった?赤点ばかりで毎年進級が危ぶまれる。 三年間学校からの呼び出しと先生方へ頭を下げて何とか卒業させることが出来る。 都内の眼科診察に辛さはなく、 診察後の買い物やウィンドウショッピングが唯一の楽しみに(((o(*゚▽゚*)o)))

  • 東北の某有名病院 / 急性期外科病棟 2013年4月 2013年9月

    【プライベート】 看護師国家資格も無事に終え、地元の有名病院に就職。 学生時代の学習量の多さや年齢的な事もあってか? 疾患の後遺症症状が酷くなる。 東北の病院では症状に対応できる医師は居なかった為都内の眼科受診をする。 特殊な治療開始。 世の中の人達はこのように視界が見えているのか!!と感激するほど。 【仕事内容】 急性期外科病棟配属。 ①消化器外科 兼 ②終末期 兼 ③眼科・耳鼻咽喉科 兼 ④泌尿器科(腹膜透析・シャント増設等) 盛りだくさんの病棟( ;∀;) チーム分けされており 入職直ぐに終末期とOPE後の状態管理に携わる。 プリセプターが私より年下なのは覚悟していたけど 2名もついて連日”パワハラとモラハラ”攻撃。 患者さんの前で私に対して威圧的な態度のプリセプター。 患者さんのご家族がコッソリ師長に報告。 プリセプターが師長から高圧的な態度を改めるよう指摘されていたけど、 泣きながら 「ひどい!!そんな風に〇〇さんが私の事を見ているなんて! 私だって一生懸命なのにーーー!」 「どうして私がそんな風に言われなきゃいけないんですか?? どうして彼女は何も言われないの!?」 と反論されてた(;^_^A 患者さんやそのご家族はとても冷静に観察してますよね。当たり前だと思います。 丁度自分の眼科治療も開始しており 仕事中の治療はプリセプターに最後まで理解してもらえず。 先輩らのアクシデントやインシデントが連発している多忙な職場で ゆっくり自分の治療に向き合えない環境に嫌気がさして退職を決意。

  • 東北の看護学校(二年過程) / 看護学科 2011年4月 2013年3月

    \(゜ロ\)(/ロ゜)/ 2011・3・11 東北大震災の直後の進学生活は毎日余震で まともな授業が受けられない程酷かった事を記憶しています。 (もちろん入学式はありませんでした) 数ヶ月間余震と携帯のけたたましく鳴るアラームに ドキドキしながらなんとか学習。 准看護学校のメンバーとほぼ同じ顔合わせ。 気心知れた仲間との演習・実習はとても楽しく 二年間の学校生活は充実していました。 <国家資格まで> 学校での補習や過去問題集では足らず。 東アカにするか? さわ研究所にするか? 自分にとって”さわ研究所”の先生の教え方が丁寧で 分かりやすかったので試験前の不安はありませんでした。 前日ギリギリまで携帯アプリの過去問をひたすら解いてました。 <国家資格当日> 試験会場では、疾患がある為別室で受けることに。 人数が少ない事もあって緊張感無く過ごせました。 【子育て】 長男は中学生でした。 身体が大きくなり力も有り余っていたので問題行動起こし 学校からしょっちゅう呼び出しや電話がありました。 ・ガラスを割ったり(ボール遊びをしていたようで) ・友達の運動着を破いたり 看護学校の先生に相談した際、児童精神科を勧められて受診。 結局診察時は私と長男が二人で入ってしまうので長男はだんまり(;゚Д゚) 低用量の服薬から開始。副作用に眠気があるので学校へ報告。 学校側から『ただでさえしょっちゅう居眠りしているのに 副作用で眠くなるなんてどんなお薬飲ませているんですか!!?』 嫌味を言われてしまう始末。 そのうち長男から 「あの薬って意味ある?」 「俺、授業中寝ちゃうなら飲まない方が良いよね?」 「力が有り余っていたのとか、後先考えないでやったりとか 注意しなかったのが悪かったんでしょ?」 「気を付けるから。薬やめてもいい??」 服薬中断の提案があり、主治医と相談して治療終了となりました。 部活動はとても頑張ってくれ 東北大会へ連れて行ってもらえたのは”親孝行”だと思っています。 自分の国家資格と長男の高校受験の時期が重なり互いに猛勉強!? をした記憶があります。

  • 東北の准看護学校 / 准看護学科 2009年4月 2011年3月

    「社会人の受験生は落とさない」 門戸が広い学校だったので落第にならず(((o(*゚▽゚*)o))) クリニックの経験が活かせる演習や実習が多く 同級生らから頼りにされる。 学生(ADHDのような症状のある方) が周囲へ迷惑行為が頻回になる。 色々な学生との出会いが 精神科看護へ興味を持つきっかけに。 2011・3・11 <<東北大震災>> (実は書いている時もフィードバックするので結構シンドイのですが・・) 准看護師免許の合格発表後でした。 実は、大きな揺れは 3/9と3/10二日連続であったのですが その二回で終わると誰もが感じていたようでした。 学校へ行く手段が見つからないのに 卒業証書を本人が直接取りに来るように言われ渋々行くと・・ 学校は半壊していました。もう今はそこに学校はありません。 【子育て】 長男は小学校高学年でした。 まだ甘えたい気持ちもあったのに 「お母さんは看護婦さんになるんだよね?」 「頑張ってね!」と沢山応援してもらいました。 中学生の三学期に震災。 丁度親友と親友宅で遊んでおり ワイワイしながらテーブルの下に潜り込んでいたので 震災後PTSDには陥る事はありませんでした。

  • 東北の泌尿器科・眼科クリニック / 看護助手 2005年10月 2009年3月

    【仕事内容】 介護ヘルパーの資格を取っても経験がないと中々採用してもらえない中、丁度出ていた求人を見て急いで応募。 中学生の頃他の眼科クリニックでお世話になっていたドクターがいるクリニックでした。 面接時挨拶するとその場で採用決定となり、意欲的に働きました。 始めは透析室の開始準備、後片付け、食事のセッティング等補助的な役割でしたが、病棟も手伝って欲しいと言われあっという間に正社員登用。 仕事量が増えていき、急性期や慢性期、終末期などクリニックの割には内容が濃い病棟でした。 助手の仕事に慣れたころ、ある有名病院の元看護師長から 「あなたの身体拭き(清拭)はとーーーっても気持ちが良い(⌒∇⌒)」 「相手の気持ちをきちんと考えて行える医療って大事よ。」 と言われ、看護学校への進学を悩んでいると話すと 「進学しなさい!!行って看護師になりなさい!あなたなら大丈夫よ(o^―^o)ニコ」 とても温かい言葉をかけて貰いました。 この方から背中を押されてなければ進学はしなかったかも(^▽^;) 【プライベート】 結婚を前提に後輩とお付き合いしていました。 後輩には女児が二人いて私にとても懐いてくれていたのですが・・ 息子から 「お母さんを取られたくない!」 「俺はあんな人がお父さんになるなんて認めない!」 と、猛反対。 彼に看護師になるため進学する話を伝えると徐々に音信不通にΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン 息子は私より男を見る目があるな~と感じました。 しばらく再婚は諦め、一人で頑張ってみようと決意。

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 講演

    「問題行動がある児童への対応」 2020年2月

  • 講演

    「認知行動療法」 2019年10月

  • 講演

    「大人になっても夢は叶う」 2009年12月