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NEW 弁護士検索・法律Q&A(法律相談)
不安・パニック障害のお悩みお聞きします
母と娘のしんどい関係に寄り添います
幼少期の寂しさ・親との関係に寄り添います
完璧主義・自己否定に悩む方お聴きします
罪悪感/後悔 苦しい感情を受け止めます
生きるのがつらい時に寄り添います
職場の人間関係・ストレスにお悩みの方へ
性と体についてのお悩みに寄り添います
不安を抱える人の恋愛の悩みに寄り添います
失恋・喪失の痛みに寄り添います
タロット占い(仕事・恋愛・人生全般)
ペンジュラム(YES/NO鑑定)
西洋占星術(ホロスコープ鑑定)
潜在意識の修正・書き換え
古い思考パターンの書き換え(恋愛・仕事)
1/20(火)☎22:00~翌朝8:00
事務・ビジネスサポート / 秘書 経験年数 : 15年
金融専門職 / M&Aアドバイザー 経験年数 : 5年
ライフスタイル・その他 / 講師・インストラクター 経験年数 : 25年
Wix 経験年数 : 3年
Excel 経験年数 : 15年
Google サイト 経験年数 : 15年
HTML 経験年数 : 1年未満
Java 経験年数 : 1年未満
・不安・パニック障害のお悩みお聞きします
不安障害・パニック障害など、心が落ち着かない時のお話を丁寧にお聴きします。 ・発作や予期不安など、周囲に理解されにくいお悩みにも寄り添います。 ・焦らず、少しずつ安心を取り戻せるように一緒に整理していきます。 ・気分が沈んでいる時、眠れない夜など、安心できる声でそっと寄り添います。 ・不安や不眠解消のため、私が実践したことをアドバイスすることができます。
・母と娘のしんどい関係に寄り添います
・母親の言葉や態度に傷ついてきた方のお話を丁寧にお聴きします。 ・「怖い」「否定される」「支配されている」と感じてきた気持ちを安心して話せる場です。 ・「長女だから」「親だから」と我慢してきた想いを少しずつ解放していきましょう。 ・母親との距離の取り方、罪悪感との向き合い方も一緒に整理していきます。 ・同じ経験を持つ私が、否定せずにあなたの気持ちを受け止めます。
・幼少期の寂しさ・親との関係に寄り添います
・「甘えたかった」「抱きしめてもらいたかった」そんな想いを安心して話せる場です。 ・泣いても、黙ってしまっても大丈夫。言葉にならない気持ちもそのまま受け止めます。 ・親との関係でできた心の傷や罪悪感を、やさしく整理していきます。 ・同じ経験を持つ私が、あなたの感情を否定せず、静かに寄り添います。 ・がんばらなくて大丈夫。「素のあなた」で安心してお話しできる場です。
・完璧主義・自己否定に悩む方お聴きします
【こうあるべき】な理想と現実のギャップに苦しんでいませんか? ・「できない自分はダメ」と感じてしまう方に寄り添います。 ・失敗やミスを極端に恐れ、常に頑張りすぎてしまう心をほぐします。 ・他人の評価や期待に縛られ、生きづらさを感じている方をサポートします。 ・同じ経験を持つ私が、安心できる空間であなたの本音を受け止めます。 ・完璧でなくても大丈夫。あなたにはそのままで価値があります。
・罪悪感/後悔 苦しい感情を受け止めます
・「罪悪感や後悔で苦しい」「誰にも言えない気持ちを抱えている」方のお話を丁寧にお聴きします。 ・怒り・嫉妬・恨みなど、どんな感情でも否定せず受け止めます。 ・「人に知られたら嫌われるかも」と思う秘密も安心して話してください。 ・感情を外に出すことで、心の重荷を少しずつ手放せます。 ・どんなあなたでも大丈夫。ここは、あなたの気持ちをまるごと受け入れる場所です。
・生きるのがつらい時に寄り添います
・「何もかもイヤ」「どうしたらいいかわからない」気持ちを丁寧にお聴きします。 ・家庭環境、いじめ、DV、離婚、死別など、どんな経験でも安心して話してください。 ・誰にも言えない思いや悲しみを、否定せずそのまま受け止めます。 ・「つらい」と言葉にすることで、心の中の重荷を少しずつ手放せます。 ・ここは、がんばらなくていい場所。泣いても沈黙しても大丈夫です。
・職場の人間関係・ストレスにお悩みの方へ
・上司や同僚との関係、理不尽な対応など職場ストレスのお話を丁寧にお聴きします。 ・「辞めたいけど辞められない」「話せる人がいない」などの孤独な気持ちにも寄り添います。 ・仕事量や評価の不公平感、パワハラ・マウントなどの悩みを安心して話してください。 ・我慢やイライラで疲れた心をゆっくりと解きほぐします。 ・泣いても沈黙しても大丈夫。あなたの気持ちを受け止め心が軽くなるまでお付き合いします。
・性と体についてのお悩みに寄り添います
・夫婦関係の悩みや、パートナーに言えない気持ちを安心して話せる場です。 ・「夫(妻)以外の人を好きになった」「拒まれてつらい」なども丁寧に受け止めます。 ・誰にも言えない願望・こだわり・体験談なども、秘密厳守でお聴きします。 ・恋愛・性・孤独など、人には話しづらい感情を優しく受け止めます。 ・550件以上の実績と信頼で、心の深い部分を安心して話せる場をお届けします。
・不安を抱える人の恋愛の悩みに寄り添います
・恋人や自分が不安障害・パニック障害で、恋愛がうまくいかず悩んでいる方へ。 ・「理解してほしいのに伝え方がわからない」「距離を感じる」などの想いを丁寧にお聴きします。 ・経験者として、共感と実体験に基づいた温かいサポートを行います。 ・不安で苦しい時も、無理せず“ありのままの気持ち”を話してください。 ・誰にも言えなかった心のつかえを、安心して吐き出せる場を提供します。
・失恋・喪失の痛みに寄り添います
・恋人や大切な人との別れで、苦しさや涙が止まらない方のお話を丁寧にお聴きします。 ・「怒り」「悲しみ」「後悔」「罪悪感」など、複雑な感情をそのまま受け止めます。 ・眠れない夜、食事が喉を通らない時も、心が落ち着くまでそっと寄り添います。 ・同じ経験を持つ私が、あなたのペースで気持ちを整理するお手伝いをします。 ・泣いても沈黙しても大丈夫。言葉にならない想いも安心して話してください。
・タロット占い(仕事・恋愛・人生全般)
心が迷ったとき、タロットのメッセージを通してあなたの道を照らします。 ・仕事・恋愛・人間関係など、あらゆるお悩みに対応 ・今の状況や相手の気持ち、今後の流れを丁寧にリーディング ・カードを通して、今のあなたに必要な気づきやテーマをお伝えします ・カードの意味を優しくわかりやすく解説し、前向きになれる言葉をお届け ・迷いや不安を手放し、心が軽くなる鑑定を心がけています
・ペンジュラム(YES/NO鑑定)
迷った時、あなたの心の声をペンジュラムを通して丁寧に読み解きます。 ・ペンデュラムを併用し、YES/NOの明確な答えをお伝えします ・「連絡していい?」「この選択で正しい?」など迷いの答えをお伝えします ・恋愛・仕事・人間関係など、どんなテーマでもOK ・タロットのインスピレーションを組み合わせ、より正確で納得感のあるリーディングを行います ・結果だけでなく受け止め方のアドバイスもお伝え
・西洋占星術(ホロスコープ鑑定)
生まれた瞬間の星の配置から、あなたの本質や運命の流れを丁寧に読み解きます。 ・太陽・月・金星など、主要惑星を中心にあなたの個性と傾向を分析 ・恋愛運・仕事運・人間関係など、今のテーマに合わせた星のメッセージをお伝え ・相性鑑定では、お互いの心の距離感や関係性のバランスを読み解きます ・星の動きから今後の流れを予測し、タイミングや行動のヒントを提案 ・やさしくわかりやすい言葉で解説します
・潜在意識の修正・書き換え
無意識の思考パターンを整え、心を軽くしながら望む現実へと導きます。 ・繰り返す悩みや思考グセの原因は潜在意識からきています ・思い込みの言葉を一緒に特定し、それを消し修正のエネルギーと入れ替えます ・何層にも重なった潜在意識を深く掘り下げ、丁寧に書き換えを行います ・心理学とヒーリングの要素を融合し安心して受けられるセッション ・本来の自分を取り戻し、前向きに生きられるようサポートします
・古い思考パターンの書き換え(恋愛・仕事)
無意識に繰り返してしまう思考グセを見つけ、根本から書き換えていきます ・恋愛・仕事・人間関係での「どうせうまくいかない」という思い込みを解放 ・苦手意識の原因を潜在意識レベルで探り軽やかに手放します ・古い思考パターンを修正し新しい信念とエネルギーをインストール ・心理学的アプローチとエネルギーワークを組み合わせた安心のセッション ・前向きな思考と自己肯定感を育て現実を望む方向へ導きます
メンタル心理カウンセラー 取得年 : 2015年
認定ダイエットインストラクター 取得年 : 2016年
アロマセラピスト 取得年 : 2000年
英語 ビジネス会話レベル
ロシア語 日常会話レベル
スペイン語 日常会話レベル
私の人生 1971年2月 〜 1973年3月
・両親のこと、わたしの誕生〜赤ちゃん〜幼少時代① 1971年2月 〜 1973年3月
※匿名・年齢非公開で活動しているため、実際の期間については非公開とさせて頂きます。 「仮想的な数字」であることをご理解ください。 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*… 私は父と母のもとに長女として生まれました。父は金融関係の会社勤めをしており、母は自宅で洋裁の仕事をして生計を立てていました。父には学生時代から「飲み代の借金」が少し残っていたため、両親は「しばらく共働きをして余裕ができてから子供を育てよう」と話し合ったそうです。 私が生まれた日、母は「よく来てくれたね」と胸の奥でつぶやいたそうです。父は父で、不器用に私の小さな手を握りしめ、「守らなければならない存在ができた」と心に誓ったといいます。けれど二人の胸の奥には、喜びと同時に「これから大丈夫だろうか」という不安も渦巻いていたに違いありません。 私が育った家は、木造の小さな家でした。畳の香り、障子から差し込む柔らかな光、テーブルの上に並ぶ湯気の立つお味噌汁。冬には火鉢に炭がくべられ、赤く燃える火の色が部屋をほんのり照らしました。夏には扇風機が回り、蚊取り線香の煙がゆらゆらと渦を描いていました。秋には柿の実が軒先に吊るされ、春には縁側に洗濯物が揺れていました。四季折々の風景が、赤ん坊の私を包んでいました。 母は常に洋裁の仕事に向かっていました。部屋には反物が積まれ、糸のボビンが机に並び、裁ちばさみが光っていました。ミシンの「ガタガタ」という音は昼も夜も絶え間なく響き、アイロンからは蒸気が立ちのぼり、布の焦げた匂いが畳の部屋に広がっていました。母の背中は、私にとって世界そのものでした。 もし当時の私に言葉があったなら、こんな独白をしていたでしょう。 「お母さん、どうして布ばかり見ているの? 私はここにいるのに。泣いているのに、声が届かない。私はただ、お母さんの目を見たいだけ。抱っこしてほしいだけ。」 泣いても、母はすぐには来てくれませんでした。ミシンの音が止まるまで、私は声を張り上げ続けるしかありませんでした。ようやく抱き上げてもらったときの温もりは、この世でいちばんの安心でした。しかしその安心はいつも短く、すぐに離れてしまうものでした。 家の近くには役場があり、毎日正午になるとサイレンが鳴り響きました。その音は赤ん坊の私にとって雷のような衝撃でした。母は「サイレンが鳴るたびにあんたは泣いた」と言っていました。私はサイレンの音に怯え、「世界が壊れてしまう」と感じていたのかもしれません。 独白の続きがあるとしたら、こうです。 「大きな音がするよ、怖いよ。お母さん、どこ? ここにいるなら抱きしめて。世界がこわい。私を守って。」 母は私を抱き上げ、ため息をつきながらも背中をとんとんと叩いてくれました。けれど母の瞳はどこか遠くを見ていて、私の存在よりも「今日の仕事」「明日の納期」に向かっているようでした。 二年後に妹が生まれると、母の忙しさはさらに増しました。私との会話は「ご飯食べなさい」「寝なさい」という一方的な言葉ばかり。母のイメージといえば、いつも正座で針仕事をしている背中です。私はその背中を見つめながら、心の中で「お母さん、私を見て」と叫び続けました。 母に近づいても「邪魔だからあっちに行って」と言われ、しがみつくと「やめて」と振り払われました。その冷たさは幼い私には絶望であり、「私は母に嫌われているのかもしれない」という思いが心に根を張りました。 父の存在は、私にとっていつも遠くにありました。金融関係の会社勤めだった父は、接待や飲み会が多く、深夜に帰宅するのが当たり前。朝は慌ただしく出ていくため、幼い私の前にいる時間はほとんどありませんでした。 けれど、ごく稀に休日に遊んでくれることがありました。肩車をしてもらったとき、私は空に近づいたような気持ちになり、胸が高鳴りました。父の手は大きくて温かく、タバコと整髪料の匂いが混じった独特の香りがしました。その一瞬の安心感は、孤独な幼少期の中で小さな光のように輝いていました。 しかし、そのような時間は本当に数えるほどしかありませんでした。私にとって父は「優しいけれど、ほとんど家にいない人」。だからこそ、母の一言や態度が私の心を大きく左右しました。 母は「長女なんだからしっかりしなさい」と言い続けました。その言葉は呪文のように私の中に残り、泣き言を言わない子、我慢する子、空気を読む子へと私を形づくっていきました。もし本心を言えば、母が不機嫌になる。だから私は言えませんでした。「こうしたい」「これがしたい」と内心思っても、口に出すことはできませんでした。 赤ん坊の私が心の中で独白していたとしたら、こんな言葉になるでしょう。 「私は長女だから我慢するの? 本当は抱っこしてほしいのに。泣きたいのに。どうして私は泣いてはいけないの? お母さん、私も甘えたいんだよ。」 母は、私に愛情を与えなかったわけではないと思います。けれど、与え方が不器用でした。仕事に追われる日々の中で、子供にかける言葉や態度は「余裕のない母の姿」そのものでした。 妹が生まれてからは、ますます母の背中ばかりを見つめる日々になりました。私は妹に母の関心が向かうのを理解しながらも、心のどこかで「私は置いていかれた」と感じていました。 季節の記憶と家の情景 私の幼少期は、家の中の小さな出来事や季節の移り変わりが心に残っています。 夏の昼下がり、縁側で風鈴がちりんと鳴り、母の足元ではミシンの音が響いていました。私は畳の上で転がりながら、天井の木目を眺め、そこに動物の顔や山の形を見つけて遊んでいました。けれど心のどこかでは「私はひとりだ」と感じていました。 冬の夜、雪がしんしんと降る中、母は遅くまでランプの明かりで縫い物をしていました。私は布団の中で、針の音を子守唄のように聞きながら眠りに落ちました。安心感と寂しさが入り混じった夜でした。 春、桜が咲く頃には、父が珍しく家にいて、家族で花見に行ったこともありました。けれど母はお弁当を作りながらもイライラしていて、父は仕事の電話を気にしていて、私は「ここにいてもいいのかな」と思いながら外の庭に咲く花を眺めていました。 秋には柿の実が軒先に吊るされ、母は忙しく洗った柿を拭き、私はその横で黙って柿の皮がむかれていくのを見つめていました。 大人になった今の視点 大人になってから母に聞いてみると、「お金を貯めて土地を買い、広い家を建てたい」という夢があったと話してくれました。父の収入だけでは難しく、自分も働かざるを得なかった、と。母自身が子供好きではなかったことも後から知りました。子供よりも仕事に心を傾ける方が母にとって自然で楽だったのでしょう。 私は当時の母を理解できるようになりました。けれど、幼い私にとってはやはり寂しさの連続でした。「もっと愛してほしい」「もっと遊んでほしい」。そんな気持ちを心に閉じ込め、言葉にできず、ただ我慢して過ごしていたのです。 そして不思議なことに、その寂しさが今の私を形づくる大きな力になりました。幼少期の孤独があったからこそ、人の心の痛みや不安を敏感に察することができるようになった。占いやカウンセリングを通して「安心して話せる場所をつくりたい」と思う気持ちの根っこには、この体験があるのです。 結びに 誕生から赤ん坊、そして幼少期。母の背中、父の不在、家の空気。赤ん坊の私が独白していたであろう声。それらすべてが、私の心の奥深くに刻まれました。 孤独や寂しさは、当時はただ辛いものにしか感じられませんでした。けれど今振り返れば、その体験が私の感受性を育み、人に寄り添う力を育ててくれたのです。 次の章では、小学校に入ってからの私がどのように世界と関わり、何を学び、どう生きてきたのかを改めて綴っていきたいと思います。
私の人生 1972年1月 〜 1973年3月
・幼稚園時代② 1972年1月 〜 1973年3月
※匿名・年齢非公開で活動しているため、実際の期間については非公開とさせて頂きます。 「仮想的な数字」であることをご理解ください。 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*… 私は幼稚園に入るまで、家族以外の子供と遊んだことがほとんどありませんでした。妹が生まれる前は家の中でひとり遊びばかり。母は仕事に追われ、私が近づこうとすると「邪魔しないで」と突き放されることも多かったので、甘えることすら難しかったのです。そんな私にとって、幼稚園に通うことは未知の世界への一歩でした。 幼稚園への不安 入園の朝、胸は期待よりも不安でいっぱいでした。制服を着てカバンを背負ったものの、足が前に進まない。門をくぐった瞬間、たくさんの子供たちの笑い声が耳に飛び込みました。 ──どうやって話しかけたらいいの? ──みんなは楽しそうなのに、私は怖い。 ──もし変だと思われたらどうしよう。 そんな独白が心の奥に渦を巻いていました。 教室は明るく、壁には折り紙で作った動物や花の作品が貼られていました。木の床は少し湿った匂いがし、子供たちの使ったクレヨンの甘い香りが混じっていました。みんなが元気に「おはよう!」と声を掛け合う中、私は椅子に座り、手を膝に置いたまま黙っていました。 先生への恐怖 特に先生との関わりは緊張を伴いました。母に対して常に「怒られるかも」と警戒していたため、女性の先生を見ると自然と体が固まるのです。当時の先生の言葉遣いは今のように柔らかくなく、時には乱暴に感じるほどでした。 ある日、私は大切にしていたハンカチを落としました。先生が洗って干してくれたのですが、手元にないことが気になって仕方ありません。勇気を出して「ハンカチが欲しいです」と伝えました。その瞬間、先生がとても嫌そうな顔をしました。 ただそれだけのことなのに、私は深く傷つきました。 ──ああ、やっぱり嫌われてる。 ──私が話すと人は嫌な顔をするんだ。 小さな出来事が、私の心に「女性は怖い」という感覚を刻み込んでしまいました。 通園の道と母の不在 幼稚園までは歩いて15分ほど。けれど小さな足にはとても長く感じられました。近所に同じ年の女の子が住んでいて、一緒に通うのが心の支えでした。その子のお母さんが途中まで付き添ってくれることも多く、その姿はとても頼もしく見えました。 でも、私の母は一度もついてきてくれませんでした。家の玄関で「行ってらっしゃい」と手を振るだけ。その背中がすぐに家の中へ消えていくと、私は胸の奥が急に冷たくなるのを感じました。 ──どうしてお母さんは来てくれないの? ──私はひとりぼっちなの? 小さな独白が、通園のたびに繰り返されました。 季節ごとの道のり 春の道にはシロツメクサやたんぽぽが咲き、二人で花を摘みながら歩きました。夏は汗をかきながら、セミの声にかき消されるように笑い合いました。雨の日は長靴を履いて水たまりを踏み、「びちゃっ」とはねた泥水に笑いながらも、心のどこかでは「今日は母が傘を持ってきてくれたら」と願っていました。秋には落ち葉を踏みしめ、風に吹かれながら歩く帰り道。冬の朝は空気が冷たく、手がかじかんで涙が出そうになりながら歩いたこともありました。 そのどの場面にも、母の姿はありませんでした。 ピアノがやってきた日 そんなある日、我が家にトラックが止まりました。玄関から大人たちが運び込んだのは、大きな黒いピアノ。子供の目にはまるで魔法の宝物のように見えました。玄関に入る瞬間の光景はいまも鮮明に覚えています。 最初に鍵盤を叩いたとき、「ポーン」という音が部屋に響きました。その瞬間、胸がときめき、世界が広がったように感じました。ピアノは、言葉をうまく出せない私にとって、心の奥を表現できる新しい扉だったのです。 やがてピアノ教室に通い始め、初めてのレッスンでは時間が過ぎるのがあっという間でした。「もう終わり?」と名残惜しく思ったのを今でも覚えています。 幼稚園でも先生がピアノを弾くたび、私は吸い寄せられるように近づき、じっと見つめました。母から「先生が『いつも近くで見ていますね』と言っていた」と聞いたことがあります。 音楽は私にとって、まだ形にならない心の声を響かせる手段になり始めていました。 友達との関わりと小さな孤独 幼稚園での私は、相変わらず大人しく目立たない存在でした。遊びの輪に入ろうとしても、どうすればいいか分からず、結局ひとりで絵本をめくったり、砂場の端で小さな山を作ったりして過ごしました。周りの子供たちは元気いっぱいで、笑ったり泣いたりと感情を表に出していましたが、私は自分の気持ちを声にできませんでした。 家の近くにRちゃんという同級生の女の子がいて、時々遊びに行きました。ある日、わくわくしながらRちゃんの家に行くと、「今はお昼寝中だから遊べないよ」と言われました。帰り道、ぽっかり空いた時間を埋めるように、近くの空き地に立ち寄りました。 草の上に腰を下ろし、花を摘みながら、ふと鼻歌を歌い始めました。それは即興の歌で、言葉にならない私の「寂しい気持ち」がメロディになって流れていきました。歌いながら涙がこぼれてきて、自分でも驚きました。 ──どうして私はいつもひとりなんだろう。 ──甘えたいのに甘えられない。 ──誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしい。 そのときの鼻歌は、きっと心に溜まっていた感情の出口でした。普段は抑えていた気持ちが、音となってあふれ出した瞬間だったのだと思います。 遊びの中の自由 それでも、外で遊ぶ時間は私にとって救いでもありました。幼稚園から帰ると、妹と過ごすか、近所の子と一緒に公園に行きました。少し遠い場所にある公園まで歩き、滑り台やブランコに夢中になりました。 ときには、幼稚園の校庭に戻って遊ぶこともありました。夕方、人のいない校庭で友達数人と滑り台や鉄棒を独占できる時間は特別でした。赤く染まる夕焼けの中で、誰にも邪魔されずに遊ぶ開放感。そこでは「私は自由だ」と感じられました。 父との日曜日 毎週日曜日、父が家にいる日は楽しみでした。母は忙しく、普段は「静かにして」と言われるばかりでしたが、父は私を呼んで膝に乗せてくれました。父の膝の上は安心できる居場所でした。 ある日、父は「地球儀を持ってきなさい」と言いました。我が家には少し大きめの地球儀があり、私は両手で抱えて父のもとへ運びました。父はその地球儀をくるくる回しながら、「どこの国に行ってみたい?」と尋ねました。 私は答えに困り、「わからない」と答えました。すると父は「パパは暖かい国に行きたいな、フィージーとか」と言い、ニコニコしながら「アメリカに留学したらいい」とも言いました。 その言葉を聞いた瞬間、私の心に小さな火が灯りました。 ──世界の外には、まだ知らない場所がある。 ──いつか行ってみたい。 父の言葉は、幼い私の胸に「世界を見たい」という夢を芽生えさせたのです。 幼い日の空想 父の言葉を聞いた夜、私は布団の中で地球儀を思い出しながら空想しました。海を越え、飛行機に乗って、見たことのない町を歩く自分。異国の子供たちと遊び、知らない言葉で話す姿。 「私もどこかに行けるのかな。知らない世界を見てみたい。」 そんな想像をしながら眠りにつくと、不思議と翌日は少しだけ心が軽くなりました。幼稚園での寂しさや孤独が、未来への希望で少し和らいだのです。 大人になって振り返る 今振り返れば、幼稚園時代は「孤独と夢」が同居していた時間でした。母の不在や先生の表情が私に「女性は怖い」という感覚を残しましたが、父の存在とピアノとの出会いが、私に生きる力を与えてくれました。 特にRちゃんの家からの帰り道に歌った鼻歌は、後の私にとって象徴的な出来事です。あの時、涙と一緒に流れた小さな歌は、私が人に寄り添う力や、音楽や言葉で心を表現する礎になったのだと感じています。 孤独はつらかったけれど、同時に私の感受性を育て、心を耕す大地にもなっていました。だから今、私は占いやカウンセリングで誰かの心に寄り添いたいと思えるのだと思います。
私の人生 1971年1月 〜 1973年3月
・小学校時代③ 1971年1月 〜 1973年3月
※匿名・年齢非公開で活動しているため、実際の期間については非公開とさせて頂きます。 「仮想的な数字」であることをご理解ください。 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*… Rちゃんとの距離が遠のいて 小学校に通い始めてから、幼稚園時代に仲良くしていた近所のRちゃんと、なぜか自然と遊ぶ機会が減っていきました。同じ学校に通ってはいたけれど、結局一度も同じクラスになることはありませんでした。放課後に「遊ぼう」と声を掛け合うこともなくなり、気づけば会う回数そのものが減っていました。 ──どうしてなんだろう。 ──嫌われたわけじゃないよね。 ──ただ環境が変わっただけ。 そんな風に自分に言い聞かせながらも、少し心細さを感じていました。幼稚園の頃は一緒に歩いた道を、今は一人で歩くことも多くなり、春の桜並木や秋の落ち葉の道を見ても「隣にRちゃんがいればな」と思うこともありました。 家での習慣と母の影 学校から帰ると、まず母の前で宿題を済ませ、翌日の教科の予習まできちんとしてからでないと遊びに行くことは許されませんでした。これは毎日の習慣で、少しでも怠けようとすれば母の厳しい声が飛んできました。 「まだ宿題が残っているでしょ。遊びはその後!」 私は母に怒られるのが何より怖くて、妹と二人でとっとと宿題を終わらせました。鉛筆の音を必死に響かせ、教科書のページを急いでめくり、計算ドリルの数字を埋める。そんな時間を過ごしてやっと自由が訪れるのは、夕食までのほんのわずかな時間だけでした。 ──本当は、もっとのんびりしたい。 ──遊びながら宿題をする子もいるのに。 ──でも、私が甘えたり遅れたりしたら、きっと母は許してくれない。 幼い私は、そんな独白を胸にしまい込みながら、机に向かっていました。 放課後の遊び 短い自由時間には、近所の友達の家に行って遊んだり、学校が近かったので誰もいない校庭で駆け回ったりしました。田舎だったこともあり、自然に囲まれた遊びが多かったのです。 病院の裏庭では落ち葉を拾い集めて山を作り、風に乗せて散らすと、自分だけの小さな秋祭りのように感じられました。草の匂いと土の感触、空の高さが胸をすっと抜けていくようで、その時間だけは「私も自由だ」と思えました。 父との日曜日 日曜日は父が家にいることが多く、私にとって特別な日でした。父は平日は仕事で遅く帰ってきて、母はよく「私は本当にひとりで大変だった」と愚痴をこぼしていましたが、子供の私は「日曜日は父と遊べる日」として楽しみにしていました。 土手や河原に連れて行ってもらい、石を拾ったり、水切りをしたり。父は魚釣りが好きで、よく知人と出かけていました。母から見れば「休みの日まで家にいない」と不満だったようですが、私にとっては「お父さんが自然の中で楽しんでいる姿」は誇らしく見えました。 一度だけ、私も川へ釣りに連れて行ってもらったことがありました。竿を握り、糸を垂らして待つ時間の長さに飽きかけたころ、突然竿がググッと引かれました。 「わっ! すごい!」 必死に竿を握る手に伝わる強い力。その「引きの感覚」は今でも忘れられません。水面から跳ねる魚を見た瞬間、胸がドキドキして、「私もできた!」という喜びが全身に広がりました。父が笑顔で「やったな!」と声をかけてくれた時の誇らしさは、幼い心に深く刻まれました。 ピアノと音楽の時間 幼稚園から始めたピアノは、この頃ますます私の生活の一部になっていました。練習曲をこなすだけでなく、アニメの主題歌や大河ドラマのメロディを真似して弾くのが楽しくて仕方ありませんでした。 家の中でひとりピアノを弾いているとき、母は「また遊び弾きして」と呆れ顔をしていましたが、私は鍵盤を叩きながら「これは私の言葉なんだ」と心の中でつぶやいていました。 学校の教室に置かれていたオルガンでも、空き時間に曲を弾くことがありました。すると、周りに子供たちが集まってきて、一緒に歌い始めるのです。 ──あ、みんなが笑ってる。 ──私の音を聴いてくれている。 ──言葉じゃなくても、こうやってつながれるんだ。 その瞬間だけは「大人しくて発言できない私」ではなく、「音楽を通じて仲間とつながる私」になれました。 発言できない自分 とはいえ、授業中の私は相変わらず大人しく、先生に指名されると声が震え、涙声になってしまうこともありました。通知表にはいつも「もっと積極的に発言を」と書かれましたが、それがどれほど難しいことか誰にも理解してもらえなかったように思います。 家での私は常に母の言いなりで、母の顔色を伺いながら行動していました。「自分の気持ち」だと思っていたものが、実は「母の気持ち」だったと気づいたのはずっと後のことです。当時の私は、自分が何を感じているのかすら分からなくなっていました。 ──私は何を考えているの? ──これって本当に私の気持ち? ──母を怒らせないための行動じゃないの? そんな疑問が胸の奥で芽生えては消え、私は「分かりにくい子供」として周りに映っていたに違いありません。 習字との出会い 小学3年生のある夏の日、私はお習字を習い始めることになりました。近くのお寺の境内で、住職の奥さんが教えている教室でした。最初の日、空には雷雲が立ちこめ、ゴロゴロと低い音が響いていました。湿った空気が流れ込む薄暗い部屋に足を踏み入れると、正座した子供たちが静かに筆を走らせていました。 ──どこに座ったらいいのかな。 ──間違えたら怒られる? 不安で立ちすくんでいた私に、先生が「ここに座りなさい」と優しく声をかけ、目の前の席を指差しました。その瞬間、胸の奥にふっと安心感が広がりました。先生は私の小さな手をそっと包み、一緒に筆を動かしてくれました。黒い墨が真っ白な紙の上をすべる感覚。スーッと線が引かれた時の心地よさを、今も鮮明に覚えています。 墨の香りは不思議なほど落ち着きを与えてくれました。書くたびに心が整っていくようで、緊張も和らぎました。 入選の喜び 練習を続けるうちに、私は字を書くことの面白さに夢中になりました。そして小学4年の時に書いた「大空」という作品が、全国コンクールで入選したのです。教室の仲間たちが驚き、先生が目を細めて「よく頑張ったね」と言ってくれました。その言葉は、私が今まで求めていた「認められた」という実感を運んできてくれました。 翌年も「道」という字で再び入選しました。二年連続の受賞に、自分でも信じられない気持ちでした。作品が紹介された雑誌を手にした時の誇らしさ、そこに書かれていた偉い先生方のお褒めの言葉。 ──私でもできるんだ。 ──褒めてもらえるって、こんなに嬉しいんだ。 あの時感じた感動は、今も大切に残っています。雑誌は今も手元にあり、ページをめくるたびに幼い日の努力と喜びがよみがえります。 新聞掲載と作文 小学6年生の頃、地元新聞の「学校紹介」のコーナーに作品を載せる機会がありました。習字や作文、詩や絵などの中から生徒の代表作品が選ばれるのです。私は作文で掲載されることになりました。けれど、内心では「作文よりも似顔絵で選ばれたかった」と思っていました。校長先生の似顔絵を描いた時、思いがけず上手く描けて、自分でも気に入っていたからです。 ──どうして作文なんだろう。 ──この絵の方が私らしいのに。 褒められたい気持ちと、思うように伝わらないもどかしさ。その両方を抱えながらも、心の奥では「じゃあ自分で届けよう」と決意していました。 校長室への挑戦 翌朝、私は勇気を振り絞って校長室のドアをノックしました。心臓がドキドキと波打ち、手のひらには汗がにじんでいました。「失礼します」と声をかけると、校長先生が穏やかな顔で迎えてくれました。私は震える手で絵を差し出しました。 「これ、校長先生を描いたんです。どうしても渡したくて。」 先生は絵を見て目を細め、にっこり笑って「ありがとう、大切にするよ」と言ってくださいました。その言葉に胸が熱くなり、校長室を出た時、外の光がいつもより明るく感じられました。 ──ああ、やってよかった。 ──自分から動いてもいいんだ。 その経験は、受け身だった私の心に「自分で決めて行動する勇気」を芽生えさせてくれました。 振り返り 小学生時代の私は、決して積極的な子供ではありませんでした。授業では発言もできず、人前で声が震える自分が嫌で仕方なかった。けれど、習字や作文、絵といった「表現すること」を通して、少しずつ「私は私でいい」と思える瞬間を見つけていきました。 今になって思えば、あの時の体験は占いやカウンセリングの仕事にもつながっているのかもしれません。人の心に寄り添うには、自分自身の「寂しさ」や「不安」を知っていることが大切だからです。あの頃の私が抱えていた孤独や緊張が、今では人の気持ちを理解するための宝物になっているのだと思います。
ココナラ・プラチナランクに昇格
曹洞宗青少年書道展 2年連続入賞
講談社アートセレクション展 入選(水彩画部門)