この出品者は半年以上ログインしていません。購入後、出品者から48時間以内に連絡がなかった取引は自動キャンセルされます。

この出品者は半年以上ログインしていません。

経歴

経歴

  • 障害者職業訓練校 / 経理事務科 1992年4月 1994年1月

    約1年10ヶ月にわたる長期リハビリ入院を経て、公務員・障害者特例子会社就職を目指し、1992年2月入寮。2ヶ月におよぶ厳しい学内評価を切り抜け、職業リハ・経理事務科に入り、簿記やワープロを学びました。PCはWindows3.1、ワープロは今のようにWordではなく「書院」でした。 寮と訓練校を往復する日々でしたが、寮では麻雀とストⅡばかりで酒浸り。 人生で初めて女性に告白するという偉業を達成しました。 公務員採用試験と一部上場企業の障害者特例子会社に内定するも、職業訓練校側から、「民間企業の内定を断ると、今後の後輩たちが断られてしまうので、民間に行ってほしい」と言われ、泣く泣く公務員を断り、障害者特例子会社にプログラマーとして就職することになり、2ヶ月ほど早く修了しました。

  • 障害者特例子会社(建設業) / ダイレクトメール部門 1994年2月 1995年8月

    プログラマーとして採用されたはずが、当日になってダイレクトメール部署へ。当時脊髄損傷者は元ヤンが多く、この会社も例にもれず社内になじめずに苦労しました。 職業訓練校時代からの交際相手ともすれ違いになり消滅... 始めの半年間は定時で帰宅できましたが、マンションのデベロッパーなので、ダイレクトメールは非常に売り上げが良く、やがて毎日夜10時、11時まで残業し、定期的に点滴を打ちながら働いていました。 リハビリ病院で知り合った女性から連絡が来て告白されて交際を始めるも、半年経ったあたりで、 「こたろーさんとは自転車二人乗りできないから面白くない」という理由で振られる(今は違反だから摘発されてしまえ) 一年経った頃から業績不振の部署から肩たたき(リストラ)される先輩方を見るようになり、「いくら会社が大きくてもこういうことがあるのか」、「何かの専門家にならないとマズイ」と思うようになりました。 ちょうど交通事故の裁判が終わり、まとまったお金が入ってくると知って、資格取得を考え本屋に行くと、「社会人のための大学案内」を見つけ、「こ、これなら大学三浪した俺でも行ける!」と大学受験を決意。 同僚たちからはありがたいことに、「仕事ができるようになったから抜けると困る。」、「オマエこれから大学の受験勉強すんの?受かるのか?」「大学行って就職できなかったらどうすんだ?」と心配されました。 聴覚障害の後輩からは、「他の人たちは私の障害に配慮が無いから、先輩が辞めたらどうしよう」と落ち込まれました。 家族からは、「健常者の時も大学受からずにいたのに、受かる訳ないじゃん。」「一部上場企業に入れたのに勿体ない。」と言われ、誰からも大学合格を応援してもらえず、「これじゃ家にいても勉強にならないし、白い目で見られ続ける生活に戻ってしまう」とリハビリ病院に入院手配(当時はリフレッシュ入院というができました)をして退職。

  • 福祉系大学 / 社会福祉学科 1996年4月 2000年3月

    退職後すぐに元いたリハビリ病院に入院し、リハビリをしながら受験勉強。 医療ソーシャルワーカー(MSW)に「君は社会福祉士に向いてるよ」と言われその気になり、社会人入試制度がある淑徳大学を受験。学力審査が悪かったにも関わらず、面接で「ほかの学生のために生きた教材になります」「社会福祉士を現役合格します」と誓い、入学が叶う。 サラリーマン時代に聴覚障がい者の同僚がいたが話せず困ったことを思い出し、手話サークルに入る。大学は全くバリアフリーではなかった(現在はバリアフリー化してます)が、とても優しい福祉系の学生(女の子が多い)に学内移動を手伝ってもらったり、勉強を教えて貰ったり、告白されたりで、健常者の頃から夢にまで見たキャンパスライフにはしゃいでしまい、環境が大きく変わったためか、入学後たった3ヶ月で左座骨部に大きな褥瘡(床ずれ)を作り、3ヶ月入院・手術となり、授業について行けなくなる。 入院中、交際相手の助力で授業について行けるようになり、3年生になったある日、交際相手から、「鮎川君は社会福祉士なんて向いてない」「障害がある人とは結婚できない」と言われ振られる。 3年生の終わりに、卒業論文のテーマを探している時に「ピア・カウンセリング」の存在を知り、「社会福祉士を取る前にちゃっちゃと取ろう」と思って集中講座を受講するが、リーダーから、「ピア・カウンセラー向いてないよ」と言われ、泣いて帰る。 大学院進学に向けて勉強している時に、ピア・カウンセリングの提唱団体である自立生活センターからアメリカ自立生活センター協議会総会参加に誘われ、その帰りの飛行機でスカウトされる。障害福祉の最先端に関わることができるので大学院進学を辞めてスタッフになる。 仕事と最後の学園祭と卒論の疲れで寝込んでしまっている時に、後輩から告白され、交際が始まる(同じ名前の主人公の某ドラマみたい)。 卒論を提出しラスト1ヶ月で国家試験の勉強。勉強しすぎて当日39℃の熱を出し、家族に受験会場に連れてってもらい、受験をする。 国家試験後卒業旅行に行きたかったが、仕事が忙しく行けずそのまま卒業。卒業時に論文の最優秀賞を狙っていたが次席で終わり悔しい思いをして卒業する。

  • 全国自立生活センター協議会 / 事務局 1999年7月 2002年6月

    1999年3月にピア・カウンセリング集中講座の受講を機に、イベントに参加するようになる。アメリカ・カナダの自立生活センターを見学させて貰ったその帰りの飛行機でスカウトされる。事務局に社会事業大学の博士課程在籍の方々がいて、「ここは最先端の障害者福祉を学べる」と聞いて、大学院進学を辞めて就職。業務命令でピア・カウンセリングの講座を渋々受けたらリーダーさんとの相性が良く、ハマる。 交際相手とは婚約まで進んでいたが、交際相手の両親は賛成してくれていたが姉夫婦に猛反対され、結婚を断念。しばらく交際は続いたが、良家の跡継ぎだった交際相手は婿養子を取ることになって泣く泣く別れる(某ドラマのようにうまくいかなかった)。 平日は事務局、土日は精神障がい者ピア・サポートグループリーダー、地元でピアカウンセリングの講演等、精力的に仕事をこなしているうちに新しい体制になり事務局長に昇進。新しい代表とソリが合わずストレスで胆嚢炎発症。入院、手術を受けたら予後が悪く、復帰困難となり退職。失恋と失職、失意の中寝たきり生活を送る。

  • 障害者更生施設 / ピア・カウンセラー 2002年10月 2008年2月

    自宅療養中の9月、以前僕の講演を聞いてくださった障害者更生施設の職員さんから、「うちはリハ病院をを退院された方が一時的に来る施設で、障害者になった後、職業訓練、就職、大学進学、再就職とがんばってこられた鮎川さんにピア・カウンセラーとして来てほしい」と誘われ、まだ体調が悪かったので週1回でならと承諾する。 その後常勤職員へのお誘いがあったが、自立生活センター在職中から、「いつか自分も自立生活センターを作りたい。」という思いがあったので断り、そのまま週1回ペースで続けさせていただく。 二人の利用者さんのお金の貸し借りトラブルに巻き込まれ、裁判沙汰になりかけ、仲裁の難しさ、利用者さんとの適切な距離感について痛感する。 その後は特に問題は無かったが、2008年にヘルパー業を畳む際に完全に福祉から引退しようと思い退職。

  • ヘルパー派遣事業 / 有限会社取締役社長、ヘルパー派遣管理者 2003年5月 2010年8月

    土日に地元に戻り講演をしていた頃、いくつかの障害者団体と関わりを持ち、NPO法人化まで行きそうになったところ、代表者が入院したため、代表に就任することになる。結局NPO法人化するのに時間がかかり、2003年4月からの支援費制度開始に間に合わなくなったため、有限会社を設立し、ヘルパー派遣業を開始。 2007年のコムス〇ショックが発生し、ヘルパーのイメージが悪化、求人を出しても全く来なくなる。ヘルパーは大学生中心だったため卒業、補充ができない状態に陥る。 そんな時、利用者さんのご家族から、「あんたの所のヘルパーが怪我をさせた」とクレームが上がり、起訴される。自社だけでなく保険会社の調査も入れたが過失は無く、徹底的に闘うことを決意。 市の実地指導が重なり、これと裁判の影響で体調を崩し、褥瘡が再発。うつ病になる。 事業を分割し、独立希望者と他社に営業権を譲渡し、事業を終了。 2008年2月 最後の営業日に空き巣が入る。切手と現金10万円を盗まれる。 2008年7月 褥瘡の手術のため一か月半ほど入院。退院後も残務整理を粛々とこなす。 2010年 起訴された案件は最高裁まで争い、こちらの言い分が正しいと認められ示談。     債務を完済し、法人は休止。

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 受賞

    淑徳大学浄土宗門主賞 2000年3月

  • 講演

    淑徳大学社会学部ゲストスピーカー(1996年~2005年頃) 1996年11月

  • 講演

    中央介護福祉専門学校ゲストスピーカー(2004-2007年) 2004年10月

  • 講演

    千葉大学「今後の地域福祉」2011年頃 2011年11月

  • 講演

    植草学園短期大学ゲストスピーカー「障害者福祉」 2012年11月

  • 講演

    植草学園短期大学ゲストスピーカー「障害者福祉」 2013年11月

  • 講演

    千葉大付属病院相談員向け「相談支援の実践」 2014年4月

  • 執筆

    日米自立生活ネットワーク構築とカナダ障害者運動探求の旅 1999年9月

  • 講演

    千葉リハビリセンター「支援費制度と今後の地域福祉について」 2002年11月

  • 講演

    2003年度ダスキン障害者海外派遣(スウェーデン)帰国講演 2004年4月