経歴

経歴

  • ❁幼稚園時代 / 母との死別を経験 2001年1月 2001年1月

    ※年月は特定防止のため全て2001.1に設定しています。 ここでいきなり人生の転機が訪れます。 今思えば【幸せ】というのは こんなにも儚く脆く、手に入ってもすぐにこぼれ落ちてしまうということを肌で感じた幼少期でした。 優しいお母さん、いつも抱きしめてくれたお父さん、可愛い弟、小さな子犬、そして奮発して建てた父親念願のマイホーム。全てがキラキラと輝き、毎日ワクワクしていたのもつかの間。 私が年長の春、母が徐々におかしくなっていったのです。 昔は『うつ病』『育児ノイローゼ』という概念はあったのか?は不明ですが、母は急に泣き出し情緒不安定、朝起きてこない、いつも無表情、自分を責める等少しずつ【心の病】は進行している様子でした。 子供ながらに、『何だかいつもと違う…』と不安に思っていたことをよく覚えています。 普段は鈍感な父もさすがに母の異変に気がついて、気分転換のためにドライブへ連れ出したりと必死でした。 そして夏になり『さようなら』という言葉を遺して、帰らぬ人となりました。 前日の夕食はいつもより、とても豪華で何故か母は笑っていて 『あれ?普通に戻ってる!そしてたくさん料理を作ってくれている!』と喜びました。 母のお通夜では親戚の人に 『はるちゃん、お母さんが出かける時に一緒にいてあげてたら、お母さん死ななかったかもしれないね』と言われて いまだに『あの時ついて行った方が良かったのか?』と時々思ってしまいます。 しかし私の直感では、どうあがいたとしても助けることは出来なかったと思っています。 最期の言葉の時は、母について行くか凄く迷いました。 母にも『はるちゃんどうするの?くるの?』と問いかけられていました。 何故か体が硬直してピクリとも動けなかったのです。 母との別れをキッカケに 残された者はこれから 何十年も苦しむことになるのでした。

  • ❁小学校時代・前半 / 父の新しい彼女との出会いと別れ 2001年1月 2001年1月

    母が亡くなり、しばらく経つと父は新しい彼女を連れてきました。 父も私も弟も、心にポッカリと大きな穴があいていて寂しくて仕方なかったので 父の彼女の存在はとても大きくて癒されました。 私がチョンと彼女の膝の上に座ると、あたたかい笑顔を向けてくれました。 『お父さんといつ結婚するの?!』という問いかけに対してだけ、いつも複雑な表情を浮かべて黙りこんでしまって質問に答えてくれませんでした。 彼女は自分のご両親に父との結婚を反対されていたようでした。 なので私たちに期待を持たせないように適当にはぐらかしたりしなかったところが、彼女の優しさだったのかも知れません。 それから3年くらいそばにいてくれましたがお別れしてしまいました。 ある日いつものように彼女との待ち合わせ場所に車で行ったのですが、何時間経っても彼女は現れませんでした。 父はひたすら黙って待っていました。 私も弟も後部座席でゴロゴロ寝転がりながら、長い時間待っていたのを今でも忘れられません。 お別れしてしまったけれど、彼女には本当に感謝しています。 今日の夜は遊びに来てくれる!と知った朝は学校も頑張れました。 一家の心を支えてくれました。 いつかどこかで会いたいけれど 顔も名前も忘れてしまいました。 でも彼女の『ぬくもり』は今でも覚えています(´˘`*) しかし彼女との別れから 弟は、次第に心を閉ざすようになってしまいました。

  • ❁小学校時代・後半 / 虐待のはじまり 2001年1月 2001年1月

    彼女と別れてからの父は、とても荒れました。 毎晩お酒を大量に飲む、ギャンブル、暴力、暴言、子供を全否定、夜遅くに外へ放り出す… 本当に酷かったので、あまり記憶がないくらいです。 『誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!』 よく言ってましたね(笑) 私は父のことがとても好きだったので、ひたすら耐えました。 『私はストレス発散マシーンだ…』といつも心の中で唱えていました。 当時は怖すぎて逆らえなかったのです。 父からの虐待を一身に受けている中、近くに住んでいる母方の祖母にとても可愛がってもらいました。 そこでなんとか『自分』を保っていたのかも知れません。 勉学にも厳しかった父は、学校でも優等生でありなさいとの方針でした。 私は小学校でもニコニコ明るく、全てにおいて満点を目指して頑張っていました。 しかし大きなストレスは逃げ場を失って、 時々〝キレて〟しまうのです。 矛先は弟でした。 父への怒りが、自分より弱い者へ向いていたのだと思います。 いつも私の後をついてくる弟を叩いたり… 意地悪したり… 本当に申し訳なかったと思っています。 弟本人に大人になってから謝っても、本人はあっけらかんとしています。 しかし、今でも悔やんでいます。 今でこそ虐待に関しての子供向けの相談窓口がありますが… 昔はあったのでしょうか? 自分の家庭しか知らないので 、これが『普通』だと思っていました… なので仮に相談窓口があったとしても 連絡しなかったと思います。 そんな子は世の中に多いと思います。 機能不全家族であったと大人になってから知りました。 祖母も父が私を叩く姿を見ても黙って見ていました。 一昔前は体罰も当たり前の時代なので仕方なかったのかなぁ? 本当は助けてもらいたかったなぁ~なんて。 親からの虐待より学んだことは ・子供はどんなに酷い親でも愛してしまうこと ・自分の家がおかしいと気付けないということ ・強い怒りは自己攻撃または他者を攻撃してしまうこと 小学生の頃、 『自分がお母さんになった時は子供をいっぱい愛してあげよう』 といつも思っていました。

  • ❁中学時代 / 家事と勉強の両立に苦しむ 2001年1月 2001年1月

    今まで食事の世話をしてくれていた祖母に 『そろそろ自分たちで準備して食べてね』と言われ (今まで本当にありがとう…!) 掃除、洗濯、料理、買い物、毎朝のお弁当作り… いわゆる主婦業と勉強の両立が始まりました。 中学生になったので 『クラブ活動がしたい』と父にお願いしたところ『家事と勉強があるからダメ』とあっさり却下されました(笑) 中学時代3年間は本当にハードでした。 まず主婦業が辛いなんて まわりの友達には理解して貰えません。 朝早くに弟と自分のお弁当作り そのあとは学校 帰ってきてからお買い物 ご飯作り そして洗濯 洗い物 掃除… なんやかんやしてると夜になり 飲んだくれの父が帰ってきて暴言吐きまくり(笑) 父親が寝てから、やっと自分の時間。 父はとんでもなくイビキをかくのでイビキを聞いている時が安らぎでした(笑) 夜は明日のお弁当の下準備をしてから勉強タイム。 中学に入っても、父親は 【家事・勉強は完璧に】 というスタイルを押し付けてきたので毎日必死でした。 逆らうと怖いのでいつもビクビクしていました( ToT ) そしてこの頃から、 弟が一気に背が伸びて、力もついてきたので 父親の暴力を回避できるようになってきました。 そのため 暴力・全否定・暴言は私に一点集中しました。 『お前は最低なヤツ』 『まずい飯食わせやがって』 『何をさせても上手くいかないな』 ここで一気に自己肯定感ダウン。 だんだんと人が怖くなり 街中を歩くのも怯えていました。 救いだったのが、 弟が何度も何度も『お姉ちゃんを、なぐるな!』と間に入って守ってくれました。 本当に心強かった… この時、兄弟のありがたさが 身に染みました。 弟とは小さい頃から喧嘩もしましたが、 ずっとずっと助け合ってきました。 『将来、絶対2人は子供が欲しい』とこの頃決意しました。 中学三年生の頃、 もう逃げてしまいたい! と思って『家出』をしようか本気で考えたんですが… 大好きな祖母、優しい弟、 飲んだくれ親父(笑) みんなの悲しむ顔が浮かんで出来ませんでした…

  • ❁高校時代 / 恋愛依存のはじまり・父の再婚と離婚 2001年1月 2001年1月

    なんとか頑張って高校生になりました。 まず高校生になって一番嬉しかったのは『学食』があること♡ 辛いお弁当作りから解放されました( ToT )(笑) そして同い年の彼氏が出来ました。 幼い感じで毎日のように喧嘩ばかりしていましたが、 私は自己肯定感ド底辺だったので【愛してもらえる】ということが癒しや活力に繋がりました。 しかし今までの寂しさや怒り等が大爆発! スーパーメンヘラ女子へと変貌…Σ(|||▽||| ) 彼なしでは生きていけないくらい依存… 自分の容姿へのこだわりから摂食障害になり 一時期、激ヤセしたこともあります。 父親は彼氏が出来たことに対して激しく嫉妬し 毎日17時に『早く帰ってこい!』と電話攻撃(笑) フル無視していました(笑) そして この頃はいろんな友達ができました。 中には家事が大変なことを知って一緒に家の掃除をしてくれる女友達。 すごくすごく嬉しかったです。 そして父親の再婚。 父は恋愛・結婚が上手くいっている時は比較的安定するので (時々包丁を振り回しますが。笑) 高校三年間は酷い暴力はなかったです。 父親の再婚相手は私の友達のお母さんでした! 新しくお母さんが出来て、友達とも姉妹になれて嬉しかったです。 弟は、過去の別れがあったからか複雑そうでした。 弟は繊細ですね。 私は麻痺してるのか?! ノー天気ですね(笑) しかし父親のアルコール依存症・激しい嫉妬・被害妄想のため数年で離婚してしまうのでした。 離婚後はまた荒れていたと思いますが私も恋愛に夢中になりすぎて、あんまり覚えていません(笑) そして高校三年生。進路を決める時期です。 父親に看護師の免許をとったら もう好きに生きていいよ!と言ってもらって『やっと解放される!!』と猛勉強。 不純な動機ですが看護学校へと進路を決めて突き進んでいくことになりました。 合格した時は泣いて喜びました。

  • ❁看護学生時代 / 人生の中で一番勉強した時期 2001年1月 2001年1月

    とにかく勉強量が多すぎて… 『解剖生理学』にまず撃沈。 しかし私は流されやすい性格なので、まわりの学生が猛勉強しているので『私も頑張るぞー!』とやる気マンマンでした。 そして奨学金を借りて入学したので、切羽詰まっていましたね。 看護学校は社会人の方や主婦の方、私のような高校卒業後にすぐ進学される方。 色んな方がいらっしゃいました。 そして苦しい実習も学生同士で支え合って乗り越えられました。 看護実習中は1人の患者様を受け持ちます。 まずは患者様の情報収集。 そして問題点を探して看護計画を立案し、個別性のある看護ケアを提供させて頂きます。 胎児の時からお亡くなりになるまで、全ての人生のステージにおけるケアを学ぶのです。 看護の基礎の部分は今でも、そしてこれからもずっと私の役に立つと思います。 終末期看護の実習では 余命半年の方の患者様を担当させて頂きました。 学生の私には何も出来なくて、そばにいることしかできなかった。 それが悔しくて。 暑いと言われたら扇子であおいだり。 『今日は会いたくない』と言われたら 病棟を徘徊したり(邪魔ですね) 『痛い』と言われたら、 さすってあげたり。 当時『私は何も出来ない』と落ち込みました。 そして亡くなる直前。 私はパニックになって病棟のトイレに逃げ込み泣きました… 実習指導者に『逃げたらあかん。最期までそばにいなさい。その目でちゃんとみなさい。泣くな!』と怒られて、最期まで患者様のそばにいました。 当時は本当に落ち込みました。 逃げてしまった自分。 私は何ができたのか? 何も出来なかった。 こんな私が看護師になれるのか? しかし、今ではこの経験に感謝しています。 看護師になってからも数え切れないくらい、看取りに立ち会いましたが最期まで向き合い寄り添うことの大切さを学生時代に学べたのです。 最期まで安全安楽に その人らしく過ごすことが出来るような援助を心がけています。 急性期の命を救ってつなげる医療もやりがいがありますが 終末期の尊厳のある死に深く寄り添う看護もやりがいがあります。 この仕事を選んで良かったと思っています。

  • ❁総合病院勤務 / 父の精神疾患の悪化に振り回されながら… 2001年1月 2001年1月

    準備中

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 受賞

    波乱万丈な人生を送ってきたからこそ、深く寄り添うことができる 2021年7月

  • 受賞

    カウンセラー/アドバイザー 72,593名中 15位 2021年9月

  • 受賞

    フォロワー様700名突破*ありがとうございます(´˘`*) 2022年6月

  • 受賞

    ココナラ活動を開始させて頂きました☆*。 2021年7月

  • 受賞

    鑑定歴は15年☆たくさんの方の霊視をさせて頂きました*゚ 2022年3月

  • 受賞

    お話し相手・愚痴聞きカテゴリへの電話相談を出品しました☆*。 2021年7月

  • 受賞

    ママのストレス発散☆育児疲れを吹っ飛ばせ♪電話相談☆出品 2021年7月

  • 受賞

    アダルトチルドレン☆毒親☆愛着障害☆電話相談(^-^)出品 2021年7月

  • 受賞

    大切な人を亡くされたあなたへ。電話相談の出品 2021年8月

  • 受賞

    介護に疲れたあなたへ。クタクタな気持ち☆電話相談♪出品 2021年8月

  • 受賞

    ボイスサンプル録音しました☆ハスキーボイスです☆ 2021年8月

  • 受賞

    よく笑う(*^O^*)よく食べる(o^▽^o)よく寝る(笑) 2001年1月

  • 受賞

    BSこども☆のど自慢大会♪参加賞でした 2001年1月

  • 受賞

    遊園地☆ジェットコースター大好き!女子です 2001年1月

  • 受賞

    おっちょこちょい☆すぐに転倒してしまいます(笑) 2001年1月

  • 受賞

    ホステス掛け持ち時代❀借金と学費の支払いが出来ました 2001年1月

  • 受賞

    現役ナース*2000人以上の看護ケアを経験させて頂きました 2001年1月

  • 受賞

    シンママ時代*3つのお仕事を掛け持ち奮闘しました☆*。 2001年1月

  • 受賞

    おばあちゃんに育ててもらったから、スーパーおばあちゃんっ子☆ 2001年1月

  • 受賞

    プラチナランクへ昇格☆ありがとうございます 2022年3月