バランスをとるとか、とどまるところを知ることというのは、現代人
はあまり重要視しないように思います。右肩上がりで、どんどん伸ば
していけば解決するよと思いがちなのです。
さてここで、閾値(いきち)というものを考えてみましょう。
まず「閾値」(いきちと読みます。あるいは「しきい値」とも言いま
す)という概念を取り上げます。
聞きなれない言葉ですが、ものごとの性質が変化してしまう境になる
値のことを言います。
たとえば、身近にある製品で、物を引っ掛けて吊るすフックというも
のがありますね。
お店で見てみれば、このフックの最大荷重は何㎏とか書かれていると
思います。
その製品は5kgまでの重さには耐えられるけれど、それ以上重いもの
をかけると外れて落ちてしまうという、閾値が書かれているのです。
私は騒ぐのが好きと自他共に認めている人も、ふと仲間の中
にいるときに苦痛を感じ出すかもしれません。なぜかわからないけど
、私何やってるんだろう?と思いだしたり、何かここにこれ以上いるの
が苦痛になりだす、あるいはさっきまで楽しかったのに、急に気分が
落ち込んだり、悲しくなってきたりするかもしれません。
「騒ぐのが好き」から「ひとりが好き」までの尺度があるとするなら
、そこにも私の快適さを左右する閾値が存在するのです。
逆の場合もあります。
私は一人でいるのが好き。すぐに部屋に戻ってひとりになりたい。私
はそういう人なのと認めています。
しかし、そんな人でも、一人で部屋にいたら他の部屋から家族の笑い
声が聞こえて来ました。
とっても楽しそうにしています。私も参加したくなる。
でも、「いいえ私はひとりがいいの」と決めつけていると、素直に
「なになに、私も入れて」という行動が取れなくなります。
このように、閾値を考えずに、私はどっちと大雑把に2元論で考える
のが、私たちが通常やっていることなのです。そして、それが私たち
に苦しさを感じさせている原因にもなります。
もっと細やかに、いろいろな尺度で自分の中の閾値というものを考え
てみましょう。
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