★研究所 勤務時代の思い出
プロフィールにもありますが、国の研究機関に勤務していました。官職は、技官(国土交通省)でした。国土交通省での初勤務先として、研究所は私の希望でした。研究所には分野ごとに研究室があり、数十の研究室がありました。私が所属していたのは空港の施設に関する研究室です。専門は、滑走路、誘導路、エプロンなどです。調査・実験・解析が主な業務になります。年明け早々、羽田空港(東京国際空港)の滑走路で事故が起きました。研究所勤務時代、その羽田空港に幾度も調査のために行っていました。調査は航空機の離発着が終了した後の真夜中の時間帯になります。ある調査では滑走路舗装表面の滑り摩擦や平坦性の計測を実施しました。それらは、航空機の離発着の安全性や航空機の乗り心地に影響する要因です。当時、自動車(スポーツカータイプの外車)で計測機器を牽引して、時速100㎞以上で走行しながら滑り摩擦を計測しました。また、滑走路舗装表面の凹凸をレーザー機器で計測しました。真夜中の滑走路や周辺は、いろいろな照明や灯で幻想的でとても美しい。そんな思い出があります。羽田空港以外に、全国の空港の幾つかにも種々の調査目的で行きました。とにかく調査する時間帯が真夜中なので、冬はとっても寒かったです。(笑)通常は研究室や実験室での業務が中心で、構造解析や実験をしていました。また、滑走路などの設計基準の策定に係わる業務もありました。研究成果は、公文書としての研究報告書となります。研究所には5年間勤務して、その後は研究職から行政職に移動になりました。今回の羽田空港の滑走路の事故は、日本航空、海上保安庁、管制官の3者間で起きた事故になりますが、海
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