絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

3 件中 1 - 3 件表示
カバー画像

「茨城県各地に伝承する民話 第5回」(5作品を紹介)

       「虚空蔵尊の黒絵馬」(茨城県東海村での言い伝え)  むかしむかし、藤原高信という人が、村松虚空蔵尊に黒馬の絵馬を奉納しました。  それからというもの、どういうわけか、いつも農作物が荒らされるようになりました。  ある時、ある猟師があまりにも田畑が荒れるので調べてみると、ある夜、馬が駆け歩いていました。  猟師は馬をめがけて、ねらいを定め銃で撃ちました。弾は見事に胴にあたりました。それから後、田畑は荒らされなくなりました。  その後、虚空蔵尊の絵馬を見たところ、胴の中を貫通した弾痕が残っていました。  「絵馬の馬が、田んぼへ水でも飲みに行ったのでしょう」「いや、野ギツネやむじなや、イノシシが農作物を荒らすので、それを追い払ったのでしょう」「絵馬の馬は、かわいそうに死んでしまいましたね」村の人々はいろいろなことを噂しあったとのことです。  この絵馬の額は、明治33年の大火で焼けてしまいました。      「涸沼の親沢と子沢」(茨城県茨城町での言い伝え) 水戸の黄門様が石崎(茨城県茨城町)の涸沼湖畔で鷹狩りをしました。たくさんの家来と狩人を集めて、とてもにぎやかでした。  追い詰められた鹿の群れが沼の中に入り、南の方へ泳ぎ始めました。家来たちは船を出して、この鹿の群れを追いました。  黄門様はそのとき、着ていた木綿の衣を脱いで荒縄にして、腰に巻き、縄の輪を作り、泳いでいる鹿の群れをめがけて逃げたといいます。そして、船に引き寄せ、腰にさした脇差をぬいて、鹿ののどを一突きにしました。  やがて、狩りを終えて、この岬の一本松の所で、一行は休みました。この松は2本ではなく
0 500円
カバー画像

「茨城県各地に伝承する民話 第4回」(5作品を紹介)

       「額田神社の山桜」(茨城県那珂市での言い伝え) 徳川光圀が、今の常陸太田市にある西山荘に隠居したころのお話です。那珂市の額田神社を守っている、お坊さんの住まいが近くにあり、そこには大きな山桜がありました。春には美しい花が咲きますが、葉桜のころから大きな枝が屋根に多いかかり、邪魔になっていました。 お坊さんは人に頼んで、山桜を伐ろうと思い、村の人に話したところ、「ご神木だから」と反対されてしまいました。それでも、お坊さんは生活上困ることだから、神様も許してくれるだろうと、木を伐ることにしました。 ところが、山桜を伐る前の晩、お坊さんの夢の中に白衣の老人が現れ、「私が思うに、桜の木は伐り倒さないほうがよい。この木を伐れば、あなたは末代までうらまれますよ。この木を伐れば、あなたは末代までうらまれますよ。伐らなければ三年ほどたって、大きな寺の住職になれるでしょう」と言いました。お坊さんは驚いて、木を伐るのを中止し、村の人にこの話をし、桜の木を大切にしようと言いました。 それから三年たって、お坊さんはめでたく江戸の大きな寺の住職になりました。「きっと白衣の老人は八幡様だったんでしょう」と村の人は話し合い、山桜を大切にし、春には桜の木の下での花見がずっと続いています。        「雷神様のささら」(水戸市での言い伝え) むかしむかしの話です。今の水戸市渡里町のあたりは大きな寺や、軍の役所があり、にぎわっていました。そして、そこに一盛長者というお金持ちが住んでいました。 八幡太郎義家が奥州征伐のとき、ここを通過し、5万人の兵隊が休憩しました。そのとき、長者は義家をもてなしま
0 500円
カバー画像

「茨城県各地に伝承する民話 第3回」(5作品を紹介)

    「扉に手を挟まれた黄門様」(茨城県笠間市での言い伝え) 天下の副将軍、水戸光圀(徳川光圀)は暇を見つけては、藩内(水戸藩内)のあちこちを回って村の様子などを見ました  ある時、稲田(現・茨城県笠間市)の稲田神社に参拝しました。そのころ、稲田神社はかなり古く、あちこちがいたんでいました。 黄門様は中が見たくなり、扉の隙間から中を見るために、手を差し入れました。そのとたん、扉が急にしまってしまいました。 黄門様があっと思っている間のできごとで、声を出す暇もありませんでした。家来たちは、殿様が扉にはさまれたのですから大変です。扉をあけようとしたり、黄門様の手をひっぱろうとしたり、それはそれで大変なことでした。 「これは困ったことです。もう少し、ごしんぼうください」と家来たちは扉をあけようとしましたが、あきません。 黄門様もあまりの痛さに、「痛い痛い」を繰り返しました。家来たちが、あれよこれよと扉を引いたり、押したりしているうちにやっとあきました。 とにかく、このことは大変なことでした。好奇心をもって「何が入っているのかな」とのぞいたのが間違いだったようです。 稲田神社は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)が祭神で、黄門様はその霊験に驚かれ、自分のそそっかしさをあやまり、さっそく、日月四神(にちげつししん)の幟(のぼり)を寄進したそうです。 注:奇稲田姫命は、日本神話に登場する女神。ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。      「手接神社の河童」(茨城県小美玉市での言い伝え) 戦国時代のお話です。芹沢(現・茨城県小美玉市)の城主・芹沢俊幹(せりざわとしもと)が館の前を流れる梶無
0 500円
3 件中 1 - 3
有料ブログの投稿方法はこちら