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「茨城県各地に伝承する民話 第6回」(5作品を紹介)

      「西蓮寺ばあさん」(茨城県行方市での言い伝え)  むかしむかし、今の茨城県行方市塔ケ崎の大きな屋敷に、50人の召使いと数十頭の馬を持つ長者が住んでいました。ある年のこと、八幡太郎義家が欧州征伐の途中、鹿島神宮参拝のため、霞ケ浦を渡っていましたが、高須崎(旧:茨城県玉造町)に吹き寄せられ助かりました。  義家は長者のいることを知り、多くの兵を連れてしばらくの間、厄介になることにしました。義家の兵は1万とも5万とも言われていました。   「奥州へ下る途中だが、しばし世話になりたい」  「さぞお疲れでしょう。どうぞごゆっくり、お休みください」   長者は快く受け入れて、出来るだけの接待をしました。やがて義家は、「長者殿大変世話になったな」と言って、奥州へ出発しました。   義家は「この豪族をこのまま生かしておいては、後々どんなことになるか分からない」と考え、奥州の帰り、塔ケ崎に立ち寄ることを決めていました。   「このたびは、奥州を打たれておめでとうございます。どうぞ、ごゆっくりなさってください」と、帰りに立ち寄った義家は、長者は喜んで迎えました。   長者は、前よりもましてたくさんのご馳走を整え、もてる物を出し切って接待しました。しかし、数日後、義家は帰ることになりましたが、長者の屋敷に火をつけて長者一族を皆殺しにしました。   幸いにも一人、長者の娘は助かりました。やがて娘は、滅びた塔ケ崎長者の菩提を弔うため、近くの曼殊院西蓮寺に身を寄せ、熱心に供養しました。やがて、長者の残した財宝で西蓮寺を修復しました。そして、比叡山から常行三昧会(じょうぎょうさんまいえ)の供養
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「茨城県各地に伝承する民話 第3回」(5作品を紹介)

    「扉に手を挟まれた黄門様」(茨城県笠間市での言い伝え) 天下の副将軍、水戸光圀(徳川光圀)は暇を見つけては、藩内(水戸藩内)のあちこちを回って村の様子などを見ました  ある時、稲田(現・茨城県笠間市)の稲田神社に参拝しました。そのころ、稲田神社はかなり古く、あちこちがいたんでいました。 黄門様は中が見たくなり、扉の隙間から中を見るために、手を差し入れました。そのとたん、扉が急にしまってしまいました。 黄門様があっと思っている間のできごとで、声を出す暇もありませんでした。家来たちは、殿様が扉にはさまれたのですから大変です。扉をあけようとしたり、黄門様の手をひっぱろうとしたり、それはそれで大変なことでした。 「これは困ったことです。もう少し、ごしんぼうください」と家来たちは扉をあけようとしましたが、あきません。 黄門様もあまりの痛さに、「痛い痛い」を繰り返しました。家来たちが、あれよこれよと扉を引いたり、押したりしているうちにやっとあきました。 とにかく、このことは大変なことでした。好奇心をもって「何が入っているのかな」とのぞいたのが間違いだったようです。 稲田神社は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)が祭神で、黄門様はその霊験に驚かれ、自分のそそっかしさをあやまり、さっそく、日月四神(にちげつししん)の幟(のぼり)を寄進したそうです。 注:奇稲田姫命は、日本神話に登場する女神。ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。      「手接神社の河童」(茨城県小美玉市での言い伝え) 戦国時代のお話です。芹沢(現・茨城県小美玉市)の城主・芹沢俊幹(せりざわとしもと)が館の前を流れる梶無
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「茨城県各地に伝承する民話 第2回」(5作品を紹介)

        「弘法大師」(茨城県城里町での言い伝え) むかし、むかし、一人のお坊さんが、仏教を広めるため、各地を歩いていました。そして、常陸国にもきました。あるとき、徳倉(とくら。現在の茨城県城里町)を歩き日が暮れ、ある農家に「泊めて下さい」とお願いし、泊めてもらいました。農家の主人は「どうぞ」とお坊さんを迎えました。 この家には一人の娘がいて、お坊さんに好意を持ちました。それを知ったお坊さんは、その後、自分の姿を彫って、馬槽(うまぶね)の中に収めて立ち去りました。娘さんはその像を、お坊さんと思い大切にし、徳藏姫(とくらひめ)といわれるようになりました。 このお坊さんは、笠間の古山を通りました。とてものどがかわいて、農家のお婆さんに「水をいっぱい下さい」とお願いしました。お婆さんは、なかなか戻ってきませんでした。 「この辺にはいい水がないので、遠くまで行って、いい水を汲んできました。どうぞ」とすすめました。 お坊さんは、その気持ちがうれしく、御礼をいいました。そして、錫杖(しゃくじょう)で土手ぎわを突くと清水がこんこんと湧き出ました。そして、どんな日照りにも水のかれることはありませんでした。ところで、このお坊さんは弘法大師という真言宗を開いた偉いお坊さんでした。       「竪破山の太刀割石」(茨城県日立市での伝承) 十王町(現在の茨城県日立市)にある竪破山(たつわれさん)に、平安時代のはじめ、戦のために北に向かう途中で、坂上田村麻呂が泊まりました。夢の中に神さまがあらわれ、「お堂を建てて、戦勝を祈りなさい」といわれました。田村麻呂はお堂を建て、北へ旅立ち、戦に勝ちました
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「茨城県各地に伝承する民話 第1回」(5作品を紹介)

「鰐ヶ淵の孝行息子」(「打ち出の小槌」の話、茨城県大子町での言い伝え) むかしむかし、袋田村(現在の茨城県大子町)の鰐ヶ淵の近くに年老いた父親と一緒に暮らす若者がいました。若者は父親を元気にさせようと、いつも鰐ヶ淵で大きな鯉を釣って父親に食べさせていました。 あるとき、いつものように大きな鯉を探していると、水の中から白いひげを生やした老人が現れて言いました。 「親孝行なお前にお金をやりたいが、一銭も持ちあわせない。この小槌をあげよう。困ったことがあったら振ってみなさい」といって、姿を消しました。 若者は不思議に思いながらお礼を言って家に戻りました。でも、どんなに苦しくても、若者は小槌を振ることなく、一生懸命にこらえました。 やがて、父親は若者に見取られて亡くなりましたが、若者はお葬式をするお金がなく、近所の人を呼ぶことができません。 「そうだ。父のために小槌を振ってみよう」と、決心しました。そして、小槌を振ると、葬式に必要な膳椀から御馳走、お金まで出て来て、葬式をすることが出来ました。村の人たちは水神様を祀りました。 その後、村の人たちがお祝いや葬式などで、膳椀が必要になると鰐ヶ淵の水神様から借り受け、用が済むと必ず返しました。そして、このことは永く続きました。 この若者は、やがて長者になり、久米村薬谷(現在の茨城県常陸太田市)に行って裕福な生活をしました。                「鎌倉に使いした犬」(茨城県常陸太田市での伝承) 鎌倉に幕府があった頃のお話です。上桧沢村(旧美和村。現在の茨城県常陸大宮市)から、鎌倉に急ぎの要件ができ、村から使いを出すことになりました。村
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