毒親なんて存在しない。親はみんな子供を愛している。というあなたへ

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コラム
こんばんは。Lunaです(^^)

今日こそ、毒親について
書き始めようと思います。

かなり長くなりますので、
毎回少しずつ書いていきますね。


それでは毒母がわたしを産んだ
頃のお話からにしましょう。


毒母は、結婚しないで
わたしを産みました。

なぜ結婚しなかったかと言うと
相手には妻子が居たからです。

なのでわたしは認知もしてもらっていません。

いえ、正確には、相手は
認知すると言ったらしいのですが、
毒母が断ったそうです。

その断った理由というのが
相手にも子供が居るし、将来
財産争いに巻き込まれたくないから。

・・・だそうです。

そのおかげで、戸籍を取ると
わたしの父親欄は空欄です。


小さい頃は、
「お父さんは亡くなったんだよ」
と言われていましたので、
そう信じていました。


けれども、高校3年生の時に
車の運転免許を取りに
自動車学校へ通う時に
戸籍抄本(謄本?)を出さないと行けなくて
わたしが役所へ取りに行ったら
父親の欄が空欄でした。

その時にふと窓口の職員さんに
「わたし、父親の欄が空欄なんですが
亡くなったからなんですか?」

と聞いてしまったのですが、
当時は今と違い個人情報に
うるさくなかったので、
職員さんが小声で全てを
教えてくれました。

毒母が結婚しないで
わたしを産んで、父は
認知していないから名前が空欄
だということを。


帰宅して毒母に確認したら、
あっさりと認めました。


さて、ここまでは出生の件でしたが、
生まれてから数年は毒母は
わたしと一緒に居たらしいです。

けれども、わたしが物心ついた時には
わたしはおばあちゃん(毒母の母親)
と暮らしていました。

理由は、毒母は夜働いていたので、
小さな子供を夜一人で置くのが
心配だったからです。


その頃は特に母親のことを
毒親だなんてわからなかったので
「お母さんに会いたいよ」と
頻繁に言っていました。

幼稚園に行っても変わり者と言われ
いじめられるし、ボス的な女子も居たし
(幼稚園児のくせに生意気な)笑
その頃から集団生活が嫌いでした。


ある時にわたしが幼稚園から帰ると
毒母がうちに来ていて、ちょうど
自転車で帰る所でした。

「お母さーん!」とわたしが
泣きながら追いかけると、
毒母は自転車を止めて
100円玉を1つくれました。

「お金あげるから、今日は我慢して。
お母さんこれから仕事だから。
お前が小学校に上がるまでには
お母さん家を建てるから
そうしたら一緒に暮らそうね。
じゃあお母さん、頑張って働くね」

と言って、自転車で走り去りました。


そしてとうとう、もうすぐ小学生
って時に、毒母が建てた2階建ての家で
一緒に暮らせるようになりました。

けれども所詮毒母は夜の仕事。
小学1年生の小さなわたしは
常に鍵っ子で、学校から帰ると
しっかり施錠し、
飼っていた犬の散歩をしたり
大好きな本を読んだりしていました。

そして確か20時くらいには寝なさいと
言われていましたので
(21時だったかな?ちょっと記憶が曖昧)

背が小さくて電気の紐に届かないので、
テーブルに乗って電気を消して、
夜中にトイレに起きないように
トイレに寄って、2階の自室に行き
大きなピンクのうさぎさんの
ぬいぐるみを抱きしめて
ベッドで寝ていました。

朝起きると、毒母がご飯の
用意をしてくれます。
まあ、仕事が夜なので
簡単なものですけどね。

朝ごはんや夕ごはんが
インスタントラーメンの時も
ありました。

それでも何も食べさせないよりは
マシですよね^^;


その頃はまだわたしは、
この母親が毒親であることを
気づいていませんでした。


確か小学3年生位の時に
5歳下のいとこが、わたしが
学校に行っている間に
遊びに来たらしいのです。

この子は毒母の妹の子供なのですが
わたしの大切なものを
ぐちゃぐちゃにして帰りました。

帰宅したわたしはそれを知って、
毒母に文句を言ったのですが、
毒母は
「茶の間に置いておいたお前が悪い」
と言います。

確かに普段わたし1人なので、油断して
茶の間に置きっぱなしにしていました。
もしいとこが来ると知っていたら、
自室に持っていって隠しておきますよ。

それでも文句をいうわたしを見て
毒母がキレて、わたしに馬乗りになり
手足を縛りました。

外は冬。
薄着のまま、外に放置されました。


毒母に洗脳されていたわたしは
「自分が悪いからこうされた」
と思いました。


小学2年か3年のある日
毒母は、知らないおじさんをつれて来て
わたしが寝るまで面倒見てくれる人
と紹介されました。

元々子供が好きなおじさんらしく
色々勉強を教えてくれたり、
夕飯を作って一緒に食べてくれたり
毎日ではないのですが、
一人ぼっちではなく、おじさんと
今日学校であったこととか
話しながら食べるのが楽しかったです。


そのおじさんって、結局は
毒母の彼氏だったんですけどね^^;
そのおじさんのことは、わたしは
家に連れてくる前からデパートとかで
会っていたので、顔は知っていました。

彼氏は良いのですが、またまた
妻子持ちですよ~^^;

そしてこの彼氏は、某建設会社の社長で
おばあちゃんとわたしが住んでいた家は
平屋を借りて現場事務所にしていた場所でした。
なので若い男の人たち(作業員)が
お昼ごはんを食べにたくさん来ました。

その中のYくんと呼ばれていた若い男性に
わたしはガラスの灰皿で
頭を殴られたりしていました。

それを見ていた同僚が
Yくんに注意してくれましたが
Yくんは生まれつき知能が遅れていて
子供と同じくらいしか無いので
そういうことをすると聞きました。

いや、でも、ガラスの灰皿は痛いです(;_;)


ということで、当時から付き合っていた
彼氏なわけですよ。
毒母よりも、だいぶ(20歳以上?)
年上の彼氏でした。

わたしが大人になってから
「どうしてあんな家庭持ちの
人と付き合ってるの?」
と聞いたら、毒母は

「若い男と付き合ったら、
お前が襲われたら困るからだ!」
と問題をすり替えて、
しかもわたしのために。というように
自分のしていることを肯定していました。

いえいえ、わたしは
「どうして家庭のある人と
付き合うの?(奥さんが可哀想)」
という意味で聞いたんですが

家庭があろうとなかろうと
毒母には問題にもならないらしいです。


今回はもう深夜なので
この辺で終わりますが、
毒親の激しさは
こんなものではありません。

まだまだ序の口です^^;
わたしが毒母に洗脳されていた
話もこれから書いていきます。

次回をお楽しみに(^^)





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