私の親子関係のあゆみ〜アダルトチルドレンと愛の目覚め①〜

記事
コラム
こんにちは。

HSPエンパス霊能者の陽子です。

今日はアダルトチルドレンの私の、主に親子関係のあゆみを簡単に振り返ります。

今、ご家族との関わりを苦痛に感じておられるあなた。

「いったいこれからどうなるのか…」という不安。
また今まさに感情の渦の中にいて苦しんでおられるのかもしれませんね。

私は、家族の数だけ幸せの形があり、結局はお互いの関係がどうなるのかもそれぞれだと思っています。

「〇〇になるべきだ」「きっと分かり合えます」などというほど甘くはありませんし、そもそも違う人間同士は分かり合えないというのが私の考えです。

(分かり合えないという前提のもとに、違いを認めればいいと思う)

ですから、ここでは押し付け論や美談ではなく、ただ「私のあゆみ」を淡々を書きます。

あなたにとって、何かの参考になれば幸いです。

幼少期〜学生時代

私は三世代家族に末っ子として育ちました。

依存的な祖母、高圧的な祖父(母方の祖父母)。

祖父母と折り合いが悪く、身体の弱い父。
祖父母と父との間で板挟みになり、私たち子供の世話でいっぱいいっぱいの母。

優等生で人気者の明るい兄。

私は「母の手を煩わせてはいけない」と、甘えない子どもでした。
そして母の言いなりにすることが多かったです。

思えば幼少期からひとりで遊ぶことがほとんど。
どこかに出かけるのも好きではありませんでした。

繊細さは多分生まれつきだったと思う。

でも当時はもちろんHSPなんて概念はないし、鈍感になることでしか自分を守れませんでした。

反抗期なしに思春期を通過し、大学生になっても自分の頭で物事を考える力は乏しかったです。

幼少期から学生時代の記憶は、今思うと何かグレーがかったような、無彩色のようなものに思えます。

子どもの頃から「死」というものを、どこか身近なものにも感じていました。

就職〜結婚、母との共依存関係

大学は母の勧めで福祉系短大に進み、その後心理学系大学に編入。

福祉実習は教護院(現在の児童自立支援施設)、大学卒業後は児童養護施設でのお仕事も経験しました。

公務員試験も受けたのですが、法務教官(少年院の教官)など矯正関連の職種に関心がありました。

無意識でしたが、この頃から「心の傷」というものをライフワークにしようとしていたのかもしれません。

この頃から、母は私に「大人になって、自分の頭でものを判断できるようになっただろうから大丈夫だろう」といって、祖父母や父に関する愚痴を長時間話すようになりました。

私からすると、自分の意見を持つことなどは全然できないままでした。

ですから「私がお母さんの味方にならないと」という思いは強くなっていき…愚痴の聞き役を拒むことはありませんでした。

兄が結婚した際にも、義理姉に対する複雑な思いなど夜中まで聞いていました。

ここで、母に対して役割を持つことで自分の価値を見出そうとする「共依存」が明確に芽生え始めたのかなと思います。

そして一方で私は、母に頼りきりになることで楽もしていました。

母の価値観で生きていれば、自分と向き合う必要もない。
うまくいかないことがあっても、母のせいにできる。

こういった有様で、「自分の人生を自分で歩む」という発想はなかったです。

母は、とても厳しかったです。

同じ女性ということもあり、私に「こうなってほしい」という思いも強かったのか、過干渉でした。

兄は私と正反対の性格ですので、比べられることも多かったです。
(兄のことはずっと羨ましく妬んでいました。しかし、兄にも兄の苦しみがあるのをのちに知ることになります)

私は20代後半で結婚しましたが、その際にも新しい家庭は夫と作っていくものであるにも関わらず…

やはり母の価値観で物事を決めることが多かったです。
夫には今でも申し訳ないことをしたと思っています。

自分の人生を自由に決めるべき場面で、いつも母の「そんなことしてはいけない」という声が聞こえ、苦しかったです。

その2に続けます。

・うつ病や依存症の発症
・精神疾患の寛解と、家族との分離

について書きます。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す