※補足1:画像は動画共有プラットフォーム「BliBli」で公開されている中国ドラマ『西游记(1986年製作)』より引用
※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。
中国ドラマ版、原作にある偽孫悟空の逸話をジャンプして、次は火焔山の場面へ移行。冒頭で描かれているシルエットの隊商たちの風景が非常に印象深い。ここの電子音を利かせたBGMも砂漠の場面にとてもよく馴染んでいる。ロケ地はおそらく新疆ウイグル自治区の吐魯番市(トルファン市)にある柏孜克里克石窟付近だ。(以前、記事でロケ地を網羅した資料をメモしたかもしれないが、あちらは1998年版『西遊記』の方かもしれない。)尚、日本DVD版ではこの印象深いシルエットシーンもカットされてしまっている。
ちなみに、中国ドラマ版が完全な原作準拠で脚本を構成できなかったのは予算不足という要因が大きい。本作の製作を担った中央テレビ局(CCTV)は撮影予算として300万元(現在の価値換算で1.4億元/22.8億円)を見込んでいた。一見するとまとまった金額に思えるかもしれないが、大規模なロケを伴う作品としては非常に限られた数字であると言える。現代の大規模な中国大河ドラマはその3~4倍の費用が費やされていることを鑑みても、現場はかなり逼迫した状態にあった。
撮影チームのありとあらゆるクリエイティブな工夫と苦肉の節約術、1食5毛(約0.5元)という食費しか支給されずとも、また複数の役を持ち回りで演じようとも、文句を言わずに最高の演技をし続ける俳優陣。彼らの努力が結実した結果として、このような名作が生み出されたのだ。金と資材を無尽蔵に投入して何の意味も持たない生み出すハリウッド・ポリコレテンプレート映画には本作の垢を煎じて飲んで頂きたいものだ。アメコミさん、あんたのことや。
① 悟净 悟净 怎么样啊(悟浄、大丈夫かい)
刺すような太陽の光、見渡す限りの砂漠、険しい山岳の丘隆地帯。過酷な道のりを進む玄奘一行。ここで200kgに近い荷物を担って歩いている沙悟浄が足を踏み外して、斜面を転げ落ちてしまう。この直後、玄奘が口にしたのは「悟净 悟净 怎么样啊(沙悟浄、沙悟浄!どうしたんだい!)」という言葉。日本DVD版では「大丈夫か」と訳されていた。ニュアンスはだいたい同じであると言えるだろう。
続けて、玄奘は「快把行李放马上吧(荷物を馬の上に乗せたら良い)」と声を掛けている。何気ない対応だが、これは玄奘の思いやりの心が滲み出ている非常に良い場面だ。というのは、沙悟浄が背負っている荷物には大切な法具が詰まっているので、もし意地汚い良識なき心の持ち主であれば「おい、荷物は壊れなかったか!?」と反応するはずある。ここでも何度か玄奘を「クソ上司」だと評してしまったが、ここのやり取りは紛れもなく彼の人間としての温かな感情が含まれている。(ビリビリコメントには「白龍馬:あれ、俺の意見は?」といった笑える突っ込みもあるが、そこを突くのは野暮というものだ。)
ちなみに、『論語』の孔子にも同じような有名な逸話がある。
乡党篇·厩焚。子退朝,曰:伤人乎?不问马。(『論語』郷党編。子退朝して曰く:人に傷つくるか。馬を問わず。)
孔丘先生(孔子)の家の馬小屋が火事で焼け落ちた時、彼がこの知らせを聞いて最初に尋ねたのは「馬は大丈夫だったか」ではなく、「人が怪我をしていないか」であった。孔丘先生は間髪を入れずに、資産の損害状況ではなく、家の者が無事であったかを聞いた。中華世界における人道主義思想(仁)の深さを感じられる一幕だ。
※この後、玄奘一行は干ばつによって水と食料が断たれた村に到着。飢えにあえいでいる村人たちを目にして、玄奘はここでもすぐに僅かな自分たちの食料を「快拿给他们(彼らに分けてあげなさい)」と言った。 沙悟浄もまったく逆らわずに「哎(アイ/āi:はいな)」と応えている。
②鉄扇公主(羅刹女)
火焔山は常に炎が燃え盛っているという危険な場所。そこに近くにいる村人は時折姿を現す仙女が雨を降らすことによって生きながらえていたが、その仙女はここに来なくなってしまった。その仙女というのが、翠雲洞を拠点とする鉄扇公主(羅刹女)であった。
鉄扇公主が雨を降らせる為に用いていた道具が、芭蕉扇という宝器。孫悟空たちも火焔山から先に進む為には、この芭蕉扇が無ければならない。そこで、孫悟空は芭蕉扇を借りる為に鉄扇公主の元へ急いで向かった。
※画像:百度百科『牛魔王(日本漫画《龙珠》及其衍生作品中的角色』より引用。日本の漫画『ドラゴンボール』でも初期の物語内に印象深く登場した牛魔王。『西遊記』と同じく、ここでも燃え盛る山の炎を消し飛ばす「芭蕉扇」という道具が展開に関わっていた。
孫悟空にとってはその名に覚えのある女性。彼女の夫は、孫悟空の義兄弟である牛魔王。そして、ここに来るまでに孫悟空が戦った事のある紅孩児(こうがいじ/hóng hái ér)は彼らの息子である。息子の件で恨みがあるので、鉄扇公主は孫悟空から芭蕉扇を貸して欲しいと頼まれても了承をせず、話が大きくこじれる事になった。
ちなみに、そもそも火焔山が延々と燃え続けることになった原因は孫悟空にあり。孫悟空が天界が暴れた際、太上老君の八卦路を蹴飛ばして炎の一部を地上に落としてしまい、それが火焔山の消えない炎となってしまったのである。という訳で、今回の玄奘たちが遭遇した困難は何かと孫悟空に因果のある出来事なのであった。
③考察:息子の一件を巡って夫婦関係が悪化したか?
日本DVD版ではカットされている上の場面は、牛魔王と愛人である狐狸精が語り合っている所。牛魔王はこっそり寝床から抜け出そうとするが、狐狸精がすぐに気づいて「あの人(妻)のことが気になっているの?」と皮肉っぽく口にする。その後、もごもごと弁明をし始める牛魔王に対して、彼女は「哼 好吧 那你就回去吧(ふん、そう、それなら帰ったら?)」と突き放している。
女性が男性に向かって言う「もう~すれば?」は往々にして提案ではなく、「それをやったらお前との関係は終わるからな」という脅迫なので、言葉の通りに受け取ってはならない。世の男性は十分な注意が必要である。
牛魔王はここ最近、ずっとこの高飛車な狐狸精の場所に入り浸っているのだが、そろそろ妻の顔も見なければならないと非常にビクついている。孫悟空と同じぐらい尋常ならざる神通力を持つという牛魔王だが、女難にすっかり翻弄されてしまっている。特に原作などでも触れられていた訳ではないのだが、牛魔王の夫婦関係がこじれたきっかけは彼らの紅孩児(こうがいじ/hóng hái ér)の一件にあるかもしれない。牛魔王は「私たちの息子を打ちのめした孫悟空を懲らしめろ」という妻の言葉よりも、義兄弟の絆を優先して孫悟空を許すべきだと主張したのではないだろうか。その結果、この夫婦は大喧嘩をして、牛魔王がこれに嫌気が差して愛人のもとに入り浸るようになった。
このように考察をしてみると、後ほど牛魔王と孫悟空が激しく正面衝突した出来事にも整合性が生まれるように感じる。
※アクションRPG『黒神話:悟空』で再登場する牛魔王。ドラマ版のおどおどした様子とは異なり、かなり堂々とした妖魔の姿だ。個人的にはもっと可愛らしい造形でも良かった気がする。
④芭蕉扇(バージャオシェン/bā jiāo shàn)
画像:百度百科「蒲葵扇(日常用品)」より引用。2枚目は春節イベントの演舞の一幕だ。古代から人々に愛用されている扇で、耐久性も高い。
芭蕉扇(バージャオシェン/bā jiāo shàn)は『西遊記』に登場する創作道具であるが、これの元になった蒲葵扇(プークイシャン/pú kuí shàn)は今でも一般的に見受けられる伝統的な日常品だ。
葵扇の製造工程は、まず30cm以上の長さで色が淡い緑の葵(あおい)の葉を選び、摘み取った後、約20日間天日干しする。乾燥後には葉の色が白っぽく変わり、それを水洗いし、乾燥させた後、重い物で平らにする。その後、葉の大きさに応じて異なる規格の円形にカットし、篾(細い竹の繊維)や絹糸で葉の縁を縫い、そのまま葵の柄を扇の柄として使用する。一般的な葵扇のほかに、ガラスのように透明感のある「ガラス白葵扇(玻璃白葵扇)」、漂白された葵葉を編んで作る「漂白編み葵扇(漂白编织葵扇)」、さらに「焼き絵葵扇(烙画葵扇)」などがある。
「玻璃白葵」は、まだ開きかけの淡い緑色の若葉を選び、これを天日干しすることによって光沢と透明感のある白い色を描き出せる。その後も水洗いや硫黄での燻蒸を経て更に白色に磨きを掛ける工程を踏む。「漂白編み葵扇」は、ガラス白葵葉を2~4mmの細い帯状に切り分け、手作業で編み上げ、扇の形を杏仁形にする。扇面には金銀糸やカラフルな絹糸で様々な模様が刺繍する。「焼き絵葵扇」では、扇面に人物や山水画を焼き絵として描き、古雅な風合いを演出する。
技を加えれば加える程、ただの扇に芸術性がもたらされていくので実に興味深い。葵扇の柄にも工夫がある。一般的には葵の葉の柄をそのまま使うものだが、その中にはその柄に細長い藤皮を巻きつけたり、染色した竹管をはめたりする手法もある。これを行うと手に持った時に滑らかで心地よい感触が得られて風雅だ。また、高級な扇柄には、方竹、湘妃竹、仏肚竹などの高価な竹材が使われる事もある。珍しいものとしては、象牙や鼈甲(べっこう)などの高級素材が当てられた扇柄もある。
⑤定風丹(ディンフェンダン/dìng fēng dān)
鉄扇公主の芭蕉扇により吹っ飛ばされた孫悟空は、知り合いの霊吉菩薩が管理する仙山で目を覚ます。芭蕉扇はひと振りで人を5万5千里も飛ばす事が出来る。唐にいた頃、玄奘がこの扇で飛ばされれば2振りで天竺まで到達する事が出来る。ただ、それは到達するというだけであり、玄奘が無事であるかどうかは不明である。人間というものは、どこかの目的地に到達する事自体が重要なのではない。目的地に到達した際に自分がどのような状態であるかが重要なのである。
大学に入る事は重要ではなく、大学に入ってどのような学生になるかが重要である。会社に入る事が重要ではなく、会社に入ってどのような社会人になるかが重要である。知事になる事が重要なのではなく、どのような知事になるかが重要である。
この後、孫悟空は霊吉菩薩から「定風丹(ディンフェンダン/dìng fēng dān)」という仙家法宝を貰える事となった。これがあれば芭蕉扇で煽られても、飛ばされずにそこに留まる事が出来るのだ。この道具は『封神演義』にも登場する。
⑥绝不反悔(ジュエブーファンフイ/jué bù fǎn huǐ)
「風で飛ばされなかったら、その芭蕉扇を貸してくれよ」と言われて、この賭けに快諾した鉄扇公主。孫悟空が「绝不反悔(ジュエブーファンフイ/jué bù fǎn huǐ)」と迫ると、鉄扇公主も「绝不反悔(ジュエブーファンフイ/jué bù fǎn huǐ)」と相槌を打った。これは「私は決して後悔しない」「私は絶対に約束を覆さない」という意味。何かを決定したり約束した際に、その決定や約束を絶対に撤回しない、反対しないという強い意志を示す表現だ。
日本語に訳するとすれば、「二言は無いよな?」「あぁ、二言は無い」といった所だろう。現代風のお軽い表現にするのであれば、「ファイナルアンサー」と言い換える事が出来るかもしれない。(「ファイナルアンサー」は英国発祥のクイズ番組「ミリオネア」シリーズの日本版で用いられた言葉で、「最後の回答で良いですね?」という意味で用いられた表現。2000~2007年に同番組が放映されて流行語となった。)
※SNSサービス「Wechat(微信)」のステッカー例。ここでは異なる言い方で、「不许反悔(ブーシューファンフイ/bù xǔ fǎn huǐ)」が用いられている。「绝不反悔(ジュエブーファンフイ/jué bù fǎn huǐ)」とは少しだけニュアンスが異なる。こちらは「あなたは絶対に約束を破るなよ」「あなたは絶対に事を覆すなよ」という言い方で、話し相手に約束の遵守を迫る時に用いる。
ちなみに、「绝不反悔(ジュエブーファンフイ/jué bù fǎn huǐ)」と自信満々に断言していながらも、風で飛ばされなかった孫悟空との賭けを無視して、芭蕉扇を貸さなかった鉄扇公主。そのまま両者は大衝突に至り、後に牛魔王も巻き込む大騒動に発展した。
これはその後の展開にある、すったもんだの芭蕉扇の争奪戦。孫悟空が牛魔王に変身して鉄扇公主から芭蕉扇を騙し取ったが、その直後に牛魔王が猪八戒に変身して孫悟空から芭蕉扇を取り返している。孫悟空は「中計了(チョンジーラ/zhōng jì le)!:騙された!)と非常に悔しそうだ。孫悟空は妖魔の変身を見破る火眼金睛 (かがんきんせい)を持っているのだが、牛魔王はこれを避ける事が出来るほどの力を持っていた。やはりかなりの実力者なのだ。
孫悟空は哪吒や神兵の力も借りて牛魔王たちと戦う事になり、最後はようやく相手を成敗して芭蕉扇をふんだくる事に成功した。
※今回の題材としたのは中国ドラマ『西游记(1986年製作)』の第十七集。YouTube公式の公開リンクは次の通り。