※『械胡録(水滸伝+α)』執筆テスト:以下の『水滸伝』における招安投票大会の場面は、ChatGPT(4o)の思考及び言語出力の支援を受けて制作している。最終的には私の手作業による修正に及んでいるが、作業全体の半分またはそれ以上の支援を受けた状態での制作である。
※執筆に当たって構成を色々と検討してみたが、『械胡録』はこの招安投票大会の場面を冒頭のプロローグ部分に移行する方法が望ましいかもしれない。英傑たちの有する事象・心理・関係の基礎的な要素を一斉に提示する事が出来るので、これが極めて効果的な導入になるように感じられる。その後は時間を遡り、第一回から原作に準拠した展開で物語を進めると良いと思われる。
---
序
知我者谓吉之先,不知我者谓凶之类。故告之则反灾于身,不告之者则稔祸于人。主恩或忘,我怀靡臧。虽死而告,为凶之防。亦由桑妖于庭,惧而修德,俾王之兴;雉怪于鼎,惧而修德,俾王之盛。天听甚逊,人言曷病。彼希声之凤皇,亦见讥于楚狂;彼不世之麒麟,亦见伤于鲁人。凤岂以讥而不灵,麟岂以伤而不仁?故割而可卷,孰为神兵;焚而可变,孰为英琼。宁鸣而死,不默而生。--- 范仲淹《霊烏賦》
私を理解する者は、吉兆の先駆けだと言い、理解しない者は、凶事の象徴だと言います。だから、告げれば災いを招き、告げなければ人に災いをもたらすのです。主人の恩を忘れられても、私は心に悩みを抱えます。たとえ死んでも、凶事を防ぐために知らせるのです。昔、桑の木が庭に怪異をもたらした時、人々は恐れ、徳を修めました。それが王の興隆をもたらしました。また、雉が鼎の中に怪異をもたらした時も、人々は恐れて徳を修め、それが王の盛りをもたらしました。天は慎重に聞き入れ、人々の言葉は病ではありません。あの声高な鳳凰でさえ、楚の狂者に批判されましたし、不世出の麒麟でさえ、魯の人々に傷つけられました。しかし、鳳凰は批判されたからといって霊性を失うことはなく、麒麟も傷つけられたからといって仁愛を失うことはありません。だから、切り裂かれても丸められるなら、誰が神兵と呼ばれるでしょうか。焼かれても変えられるなら、誰が英玉と称されるでしょうか。鳴いて死ぬほうが、黙って生きるよりも良いのです。
――北宋の功臣、范仲淹(はんちゅうえん/fàn zhòng yān)による《霊烏賦》より
第零回 招安投票大会、英傑たちの見解とその結果
「替天行道」と大きく書かれた旗が、梁山泊の風を受けてまるで天へ昇る龍のようにたなびいていた。その姿は、天下の不正を正す決意を示すかのように、遠くからでも一目でわかるほどの威厳を放っている。百八人の英雄たちが、それぞれの家族や部下と共に梁山泊へと集い、いまや数万を超える一大勢力となった。このような混乱した世の中では、その出来事はもはや驚くべきことではなく、歓迎するべきことですらあった。
実際、天界の神々や仙人たちも、この地上における壮大な運動を好意的に捉えていた。しかし、その未来に何が待ち受けているのか、あの強烈な神通力を持つ九天玄女ですら予見できなかったのである。
重陽節の訪れが近づくと、梁山泊の統領である宋江(そうこう/sòng jiāng)は弟の宋清(そうせい/sòng qīng)に命じ、大宴会の準備を命じた。そして当日、忠義堂は、色鮮やかな菊の花々で飾られ、祭りの始まりを告げるように銅鑼や太鼓の音が堂内に響き渡った。堂の外では、馬軍、水軍、歩兵の各頭目たちがそれぞれの陣で肉をかみしめ、杯を重ね、宴はますます賑やかさを増していた。
この席で、宋江(そうこう/sòng jiāng)が書き上げたのが『満江紅』という詩であった。彼の筆の先から紡がれたその言葉は、梁山泊の歴史に新たな一頁を加えるものとなる。楽和(がくわ/lè hé)がその詩を高らかに歌い、馬麟(ばりん/mǎ lín)が笛の音色を響かせ、燕青(えんせい/yàn qīng)が筝の弦を爪弾いた。その調べは、梁山泊全体に満ちる喜びとともに、秋の風に乗って忠義堂の隅々にまで届いた。
---
喜遇重阳,更佳酿今朝新熟。见碧水丹山,黄芦苦竹。头上尽教添白发,鬓边不可无黄菊。 愿樽前长叙弟兄情,如金玉。统豺虎,御边幅,号令明,军威肃。中心愿,平虏保民安国。日月常悬忠烈胆,风尘障却奸邪目。望天王降诏,早招安,心方足。
重陽節の喜び、そして今日新たに熟成された美酒を心から楽しむ。
碧い水と赤い山、黄色い葦や苦竹が私たちの眼前に広がる。
白髪が増えることを許しても、鬢には黄菊が欠かせない。
この杯の前で、兄弟たちと深く情を語り合いたい。それは金や玉のように大切だ。
豺狼や虎を統率し、国境を守り、号令は明確、軍の威光は厳粛である。
私の願いは、敵を平らげ民を守り、国を安定させること。
太陽と月のように忠義を胸に刻み、風塵は邪悪を遮り、その目を覆う。
天子の詔が下され、早く招安が叶えば、心はようやく満たされるだろう。
---
詩が終わり、空気が一瞬静まり返った。その時、あの最後の一文さえなければ、彼らはそのまま珠玉の時間を存分に味わい続けていたことだろう。「招安」という言葉が響いた瞬間、忠義堂を包んでいた平穏な空気は、まるで石を投げ入れた水面のように揺れ動いた。英雄たちの中に波紋が広がり、動揺と困惑が次々に顔に現れた。
楽和(がくわ/lè hé)の歌が終わるや否や、沈黙を打ち破るように武松(ぶしょう/wǔ sōng)が立ち上がり、拳を振り上げて声を上げた。
武松(ぶしょう/wǔ sōng):「住嘴(ツゥーツイ/zhù zuǐ:黙りやがれ)!休得胡言(シウダフーヤン/xiū dé hú yán:デタラメを言うな)!可惊 可怖(クージン クーブー/kě jīng kě bù:驚くべきことだ、恐ろしいことだ)!昨日も招安、今日も招安、明日もまた招安かよ!?こんなふうにこの場が冷めちまうとは思いも寄らなかった!」
その言葉は、梁山泊全体に響き渡り、楽しく賑やかだった宴の空気を一変させた。宋江(そうこう/sòng jiāng)は短く息を吐き、周囲の反応を見守ったが、その眼には覚悟とも後悔とも取れる微かな影が揺れていた。ひとつ間を置いてから、武松(ぶしょう/wǔ sōng)の言葉を引き取ったのは李逵(りき/lǐ kuí)であった。
李逵(りき/lǐ kuí):「哼(ヘン/hēng)!武師兄(武松兄貴)の言う通りだ!そいつはな、其心当誅(チーシンダンツー/qí xīn dāng zhū:その心は罰せられるべき)ってやつだ!たとえ招安によって俺たちの罪が許されるにしてもよぉ、招安によって朝廷の犬っころに成り下がっちまったら、俺たちも腐った極悪人の仲間入りじゃねぇかよ!それ自体が罪だと俺は思うんだが、違うか?なぁ、鮑先生(彼の親友の鮑旭[ほうきょく/bào xù])、そうじゃねぇのか!?招安よりも、公明哥哥(ゴンミングーグー/gōng míng gē gē:宋江の愛称で「公明な兄貴」の意)が皇帝になって国を建てりゃ良いだろうがよ!そういうことなら、ここにいる全員が迷いもなく「万歳 万歳 万万歳(ワースイ ワースイ ワーワースイ/wà suì wà suì wà wà suì:臣下が皇帝や大王に敬意を示す際に合唱する儀礼表現)」って叫ぶんだがなぁ!皆、そうだろう、えぇ!?そう思うだろう!俺の言っていること、合ってんだろ!」
李逵の轟くような声が堂内に響き渡り、まるで梁山泊全体が揺れたかのようだった。場の空気は更なる緊張に包まれた。宋江の詩を契機に、これまで静かにくすぶっていた「招安」という問題が、ついに爆発したのである。武松(ぶしょう/wǔ sōng)と李逵(りき/lǐ kuí)の雄たけびは、梁山泊に集う英雄たちの心に火をつけた。
これまで噂として流れていた「招安」の話題が、ここにきて初めて正式に宋江の口から明確に語られたため、各人の感情が抑えきれずに溢れ出した。忠義堂はまるで嵐のような騒ぎに発展した。これまで溜まっていた鬱積が一気に爆発し、仲間たちはまさに血みどろの争いへと発展しかねない勢いだった。しかし、林冲(りんちゅう/lín chōng)や呉用(ごよう/wú yòng)が素早く仲裁に入り、どうにかその場を鎮め、騒動は一旦収束へと向かった。
宴が壊れて終わり、忠義堂に残っていたのは、宋江(そうこう/sòng jiāng)、呉用、公孫勝(こうそんしょう/gōng sūn shèng)、盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)、柴進(さいしん/chái jìn)、朱武(しゅぶ/zhū wǔ)ら数名の首領たちであった。彼らは荒れ狂った宴会の後片付けをする宋清(そうしん/sòng qīng)や雑役たちを背に、今後の方針について深夜まで議論を続けたが、結論は出なかった。
翌朝、梁山泊の全員に呉用を通じて通知が出された。その内容は、三日後に招安についての是非を問う投票が行われるというものであり、各人がその間にしっかりと考え、議論を深めるようにと促すものであった。また、呉用は次のように書き添えた。
---
<通知>
もともと地位が高かった者で、国の現体制に大きな恨みのない兄弟は、宋軍に戻り世を正すことを「替天行道」と考えています。もともと地位が無かった者で、現体制に深い恨みを持つ兄弟は、勢力を維持すること、また宋軍を打倒し新たな国を興すことを「替天行道」と考えています。さらにその中間派として、特異な才能と独自の人生目標を持つ兄弟たちは、招安しようがしまいがどちらでも構わないと考えている者もいます。
私はそれぞれの意見を尊重し、理解を示します。しかしながら、我々は一つの大きな力として組織を成している以上、今後の道筋を定めなければならないのです。「顧此失彼(グーチーシービー/gù cǐ shī bǐ:一方に気を取られると全てが疎かになる)」という言葉の通り、それぞれの勇士が異なる志を抱えて進めば、何事も成せなくなってしまいます。
今回の投票は、梁山泊の未来を決める大切な一歩となります。この機会に皆が自らの心に問い、梁山泊が進むべき道を真剣に考えて欲しいのです。そして、この投票によって一度道が決まったならば、それがいかなる道であろうとも、各人はその総意に忠実に従って欲しいのです。
公明哥哥(宋江兄貴)が「替天行道」の旗を掲げたのは、この地に集う全ての英傑がその理念のもとに結束し、世を正す力となることを願ってのことです。兄弟たちよ、意見を交わし、梁山泊の未来を共に考えてください。投票は三日後に行います。自らの信念に基づき、最良の道を選んでください。
---
この通知が出された瞬間から、梁山泊の空気は急速に重く、緊張感が漂い始めた。誰もが己の信念と仲間との絆、そして梁山泊の未来について深く悩み、考え込んでいた。ある小隊では激しい口論が交わされ、一方で静かに集まり、互いに意見を共有する者たちもいた。梁山泊にとって、この三日間はまさに運命を左右する重要な時間となった。
そして、ついに投票の日の朝がやってきた。忠義堂には、重厚な投票箱が設置され、その前に並んだ英傑たちの顔には著しい緊張の色が浮かんでいた。各人に一枚ずつ投票用紙が手渡され、そこには招安に対する賛成・反対・棄権の意向を書き込むよう指示されていた。賛成は「可」、反対は「不可」、棄権は「白紙」として示すことになっていた。文字を書けない者には、蕭讓(しょうじょう/xiāo ràng)が代筆を担当した。また、各人には投票の際、簡潔に自分の意見を述べる機会が与えられており、そちらも蕭讓(しょうじょう/xiāo ràng)が書き留める役を担った。
投票大会の議長は呉用(ごよう/wú yòng)が務め、監視者として裴宣(はいせん/péi xuān)と武松(ぶしょう/wǔ sōng)が配置された。また、開票者には楽和(がくわ/lè hé)と扈三娘(こさんじょう/hù sān niáng)、集計者は蔣敬(しょうけい/jiǎng jìng)と燕青(えんせい/yàn qīng)という布陣であった。
忠義堂内は静寂に包まれ、投票者以外の者は無言のまま状況を見守った。英傑たちは、紙に記した一つの言葉が梁山泊の未来を決定するという重圧に直面しながら、投票箱にそれぞれの票を入れていった。一挙一動が緊張感を引き裂くような静けさの中、投票は粛々と進んでいった。
ついに全員の投票が終了し、開票が始まった。楽和と扈三娘が慎重に投票用紙を整え、その内容を確認し、蔣敬と燕青が集計を進めた。すでに投票開始から二刻もの時間が経過していたが、誰一人として休もうという者はいなかった。そして遂に投票結果が発表されることとなった。この瞬間、忠義堂に一層の緊張が走り、英傑たちの目と耳が発表者である呉用(ごよう/wú yòng)に向けられた。
招安投票大会の内容と結果は、次のようなものとなった。
---
<梁山泊総司令官 二名>
宋江(そうこう/sòng jiāng):「可」
"兄弟たちよ、招安を通じて国家に尽くし、我らの力で天下を正すのだ。忠義を重んじる我らが招安を受けること、これこそ『替天行道』に他ならない。"
※天魁星 “呼保義”の宋江、字は公明、黒く小柄な体をしており、義を重んじて財を施すことを惜しまないため、人々は「及時雨(恵みの雨の如し)」と呼んだ。鄆城の水堡出身で、早くから鄆城県の押司を務めていたが、晁蓋のために密告がばれないように報せを伝えたことから罪を被ることになり、江州に流刑となった。後に、潯陽楼で反旗を翻したことにより死刑を宣告されたが、多くの英雄たちに救われ、梁山に上った。晁蓋が矢を受けて死去した後、宋江は山の頭領となり、梁山泊の総兵二都頭の一人となり、梁山の百八人の英雄の中で第一位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】公明哥哥は国家への忠誠心と「忠」を重んじるため、朝廷への招安を受け入れることが彼にとって「世を正す」方法だと考えているのです。また、兄弟愛や梁山泊集団の結束を保つため、集団が分裂することを避けるためにも、公明哥哥は招安という選択を掲げたのでしょう。
盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì):「可」
"梁山泊がいくら強大でも、国家に敵対して勝ち続けることは不可能だ。招安を受け入れ、我々の武勇を国家のために役立てるべきだ。義を重んじる者として、これは避けられない道だ。"
※天罡星 ”玉麒麟”の盧俊義は、北京城の名家の出で、武芸に優れ、棍棒の使い手として知られていた。宋江は義軍の勢力を強化するため、呉用に計略を立てさせ、彼を梁山に誘い込んだ。盧俊義は本来、山賊になるつもりはなかったが、家の災難に巻き込まれ冤罪で死刑囚にされ、救出された後、やむを得ず梁山の第二頭領の座に着くこととなった。
【後日、呉用による覚書】盧俊義は、強い生存欲求と知的欲求を持つため、梁山泊が持続的に存在するための現実的な選択として招安を受け入れることを理性的に判断したと考えられます。また、彼は忠義や義理を重んじる人物であり、国家体制に従うことが義に反しないと考えたのでしょう。
[投票進捗状況] 可=二 不可=零 白紙=零
<梁山泊機密管理参謀長 二名>
呉用(ごよう/wú yòng):「可」
"国家と手を取り、梁山泊の力をさらに広げる道がここにある。公明哥哥と共に、正義を成し遂げるためには、朝廷と協力するしかない。"
※天機星 “智多星” 呉用、名字 学究、道号 加亮先生。もとは東渓村の書生で、宋江と親しく、智謀に優れている。武芸に疎いが、機略に富み、巧妙な計略で敵を制圧する。柴進の邸宅で晁蓋に招かれ、後に花石鋪の伏兵を指揮し、官軍の要員を追い払った。梁山泊に入った後、身分や立場の異なる英傑たちの行動を巧みに統率し、鋭利かつ大胆な軍事計画を策定する軍師となった。
【後日、呉用による覚書】私は戦略家として、現実的な目標達成のためには協力が必要だと考えています。知識と戦略を駆使して、招安を梁山泊の力をさらに広げる機会であると捉え、尊敬するべき大兄の考えに賛同しました。
公孫勝(こうそんしょう/gōng sūn shèng):「白紙」
"修行が自分にとって最も重要であり、招安については全く関心を持てない。自らの道を歩み続けることしか私の眼中にない。招安は天意に任せれば良い。"
※天間星 “入雲龍” 公孫勝は、河北蓟州の出身で、号を一清先生といい、道士(道教の修行者)として幻術に精通し、奇策で勝利を収めることができた。彼は七星聚義の一人であり、生辰綱(腐敗役人による不義の財)を奪取する計画にも参加した。その後も幻術と奇策による稀有な異能才子として存在感を示し、梁山泊では機密を司る副軍師となって、英雄の中で第四位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】公孫勝は政治的な問題に興味がなく、天意や修行を重視しているため、招安に対する明確な賛否を持たず、どちらでも構わないと考えたのでしょう。自分の道に専念するため、棄権する選択をしたのです。
[投票進捗状況] 可=三 不可=零 白紙=一
<梁山泊金銭兵糧管理長 二名>
柴進(さいしん/chái jìn):「可」
"自らの立場を活かし、国家に尽くすことで、義を広める道がある。私は皇族の末裔としての責務を全うし、正義を追求すべきだ。"
※天売星 “小旋風” 柴進は、沧州黄海郡の出身で、大周王朝の皇族の嫡流にあたり、人々からは柴大官人と呼ばれていた。彼は特に天下の豪傑たちと交友を結ぶことを好んでいたが、そのために冤罪に巻き込まれ、高唐州の牢獄に投獄された。宋江たちが高唐州で大暴れした後、彼も梁山泊に加わることとなった。梁山泊では財務と糧食の管理を担当する二大首領の一人となり、梁山泊の英雄の中で第十位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】柴進は強い生存欲求と存在欲求を持つ野心的な人物であり、正義や義に基づく行動を重視しています。招安を受け入れることで、自分の立場や影響力をさらに広げ、国家に貢献しつつ義を貫きたいと考えた結果、招安に賛成をしたのだと思います。
李応(りおう/lǐ yìng):「可」
"我々が持つ力と知恵を国家のために使い、安定した未来を築くことが最善だ。協力することでこそ、大きな成果を得られるのだ。"
※天富星 “撲天雕” 李応は、鄆州李家荘の荘主で、隣接する祝家荘や扈家荘と誓いを立て、互いに助け合っていた。彼は鋼鉄製の鞭を使い、背には5本の飛刀を隠し持ち、百歩先からでも人を取ることができ、その動きは神出鬼没であった。後に李応は知府に捕らえられそうになったが、宋江が救い出し、梁山泊に送られた。梁山泊では財務と糧食を管理する二大首領の一人となり、英雄の中で第十一位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】
李応は協調性が強く、他者と協力して問題を解決することを重視している。梁山泊という一大勢力が招安を受け入れることで、より大きな安定と繁栄をもたらせると考え、国家と協力する道を選んだと考えられる。
[投票進捗状況] 可=五 不可=零 白紙=一
<騎兵五虎将 五名>
関勝(かんしょう/guān shèng):「可」
"公明哥哥の義気に心を動かされ、ここに至ったが、今は国家に従い、正しい道を共に歩むべき時だ。祖法を活かし、民を守ることが最善だ。"
※天要星 “大刀” 関勝は、武聖・関羽の末裔である。赤兎馬に乗り、青龍偃月刀を振るい、刀馬の戦いに長けている。元は前東巡検として仕えていたが、蔡太師の命を受け、梁山泊を攻撃するために宋江に挑んだが敗北し、生け捕りにされた。関勝は宋江の胆力と義気に感動し、梁山泊に帰順した。彼は馬軍五虎将の第一位に就き、梁山泊の英雄の中で第五位に定まった。
【後日、呉用による覚書】関勝は理論派で知的欲求が強く、正義や義に重きを置く性格から、朝廷への帰順を合理的な選択と捉え、招安に賛成したのでしょう。また、彼はもともと朝廷の武将であり、その立場に戻り、戦略を通じて国を守ることに価値を見出した思われます。
林冲(りんちゅう/lín chōng):「可」
"これまでの戦いは、自分や家族を追い詰めた腐敗に対する怒りが原動力だった。しかし、今は再び運命に従い、国家に寄り添って、力を発揮する時が来た。正義のために、私はもう一度立ち上がる。"
※天雄星 “豹子頭” 林冲は、もともと東京八十万禁軍の槍棒の教頭を務めていた。しかし、嘉被高俅の息子である高衙内に妻が侮辱され、さらに自らも高俅に陥れられてしまった。配流先の滄州へ向かう途中、『野猪林』や『風雪山神廟』などの事件を経て、ついに梁山泊に逃れ、晁蓋を頭領とした第二体制の確立に貢献した。その後、馬軍五虎将の第二位を務め、梁山泊の英雄の中で第六位に列せられた。
【後日、呉用による覚書】林冲は知的欲求と生存欲求が強く、計算高く行動する性格のため、現実的に国家に従うことで自分の力を発揮し、過去の復讐より未来の正義を追求する道を選んだのです。また、彼は深い学びと忍耐力を持ち、状況に応じて柔軟に対応できる人物であるため、招安を合理的な選択肢として受け入れたものと考えます。
秦明(しんめい/qín míng):「可」
"家族の名誉と自分の名誉を取り戻すため、国家に仕え、正しい道を歩むべきだ。義を重んじる武将として、国を守るのが我々の使命だ。"
※天猛星 “霹靂火” 秦明は、天州の出身で、武門の家系に生まれた。彼は狼牙棒を使い、力は人並み外れて強く、強者も弱者も平等に打ち負かす力を持っていた。ただし勇猛果敢に戦うものの、性格は神経質かつ急躁な側面があり、勇気はあっても知略に欠けていた。梁山泊に合流後、彼は馬軍五虎将の第三位を務め、梁山泊の英雄の中で第七位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】秦明は非常に強い生存欲求と社交性を持ち、行動を通じて他者と関わる性格から、国家に従うことで自分の武勇と名誉を回復することを目指したのでしょう。彼は正義感が強く、国を守る立場に戻ることで自らの存在意義を再確認しようとするため、招安に賛成したのです。
呼延灼(こえんじゃく/hū yán zhuó):「可」
"我が武芸と知識は国家のためにこそ役立つ。梁山泊の中で独立して戦うより、招安を受け、国家の安定を守る方が我が役割に相応しい。"
※天威星 “双鞭棒” 呼延灼は、鋼の鞭棒を操り、雪のように白い馬に乗る武芸の達人で、非常に強く、敗れることの無い無敵の将軍であった。名将の呼延讃の子孫である。高俅は彼を兵馬指揮使として梁山泊を攻撃させ、連環馬の戦術で宋江軍を次々と打ち破ったが、徐寧の鉤鎌槍により連環馬は敗れた。後に梁山に降伏し、馬軍五虎将の第四位となり、梁山泊の英雄の中で第八位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】呼延灼は、強い生存欲求と知的欲求を持ちながらも、他者との関わりを最小限にしたい性質です。そのため、彼は国家の組織の一部として自分の武芸を発揮し、個人的な成果を上げることに重きを置き、招安を通じて安定した地位を手に入れることを現実的に選択したのでしょう。
董平(とうへい/dǒng píng):「可」
"梁山泊で得た力を、さらに大きな舞台で発揮するべきだ。個人的な復讐も果たした今、国家の一部となり、新たな機会を手に入れたい。"
※天立星 “双鎗将”の董平は、もともと東平府の兵馬都督であり、二本の槍を使う武勇は人並み外れていた。しかし、その性格は激しく、攻撃的な一面を持っていた。宋江が東平府を攻めた際、敵をおびき寄せて董平を捕らえる策を用い、董平は宋江に敗れた。宋江の恩に感じた董平は、梁山泊に降伏した。彼は馬軍五虎将の第五位を務め、梁山泊の英雄の中で第十五位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】董平は強い生存欲求と知的欲求を持ち、個人的な目標を追い求める性格から、国家の一員となることでさらに自分の力を発揮できると考えたのだろう。また、復讐を果たし、梁山泊における立場を得た後は、招安によって新たな安定と権力を求めることが彼にとって合理的な選択となり得たのだ。
[投票進捗状況] 可=十 不可=零 白紙=一
<騎兵八驃騎先鋒隊長 八名>
花栄(かえい/huā róng):「可」
"我らの武力を無駄にするより、国家のために役立てる道を選ぶべきだ。大兄の正義を支え、招安でさらなる功績を上げよう。"
※天英星 “小李広” 花栄は青州府の出身で、秦明の義弟である。もともと清風寨の副知寨を務めており、槍術や弓術が非常に優れていて、特に弓術においては百歩先の楊木を射抜く腕前を持ち、天下にその名を轟かせていた。花栄は幾度も弓術で敵を打ち破り、仲間を助けた。清風寨の正知寨である劉高が宋江を陥れた際、花栄はそれを知り反旗を翻し、宋江を救出した。その後、馬軍八虎騎兼先鋒使の第一人者となり、梁山泊の英雄の中で第九位に位置づけられた。
【後日、呉用の覚書】花栄は義兄弟である宋江への強い忠義と、知的欲求が強いため、合理的に物事を考える傾向がある。国家への奉仕を通じて自身の武功を正当に評価してもらえることを望み、招安に賛成することでその実現を図ろうとしたと考えられる。
徐寧(じょねい/Xú Níng):「白紙」
"どちらでも構わない。武器の研究さえできれば、私はどこで何をしていても問題はない。"
※天佑星 "金鎗手" 徐寧は、京師で金槍を教える教頭であり、武芸に優れ、槍術が卓越していた。宋江が呼延灼の連環馬に敗れた際、吴用は時遷に命じて徐寧を騙して梁山に引き入れた。徐寧は梁山の将士に鉤鎌槍の使い方を教え、これにより呼延灼を打ち破った。徐寧は武器全般に対する愛着と研究心が強く、その熱が乗じて日常生活が疎かになることもあった。彼は馬軍八虎騎の先鋒使の第二位を務め、梁山泊の英雄の中で第十八位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】徐寧は政治的な動きにはあまり関心がなく、武器の研究に没頭しているため、招安に対する強い賛否は持っていなかったと思われます。彼は武器や戦術を追求できる環境さえあれば、どこに身を置いても気にしない性質であり、結果として棄権する選択をしたのです。
楊志(ようし/yáng zhì):「可」
"これ以上の逃亡生活は望んでいない。招安を受け、名誉と地位を取り戻し、安定した生活を送りたい。"
※天暗星 “青面獣” 楊志は、関西出身で、三代続く将門の家柄に生まれ、五侯楊令公の孫である。武挙(武官の試験)に合格し、司制使の官職に就いたが、黄河では花石綱(奇岩や希少植物を収集する公共運搬事業)の任務に、黄泥岡では生辰綱(腐敗役人の不義の賄賂運搬事業)の任務に失敗したことで官職を失い、魯智深のいる二竜山に身を寄せ、後に梁山泊に加わった。彼は馬軍八虎騎の先鋒使の第三位を務め、梁山泊の英雄の中で第十七位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】楊志はこれまでの不運と失敗から、安定と生存を強く求めており、国家に従うことで再び地位や名誉を取り戻せる可能性があると考えている。強い自己防衛意識からも、招安によって安全な立場を確保することを優先したのだろう。
索超(さくちょう/suǒ chāo):「不可」
"腐敗した朝廷の下に再び仕えるなど、考えられない。我々が正義のために戦ってきたのに、あの腐った体制に加わるのは裏切りだ。"
※天空星 “急先鋒”の索超は、大名府の留守使の正規軍であり、北京の将軍だった。彼は大斧の使い手で、性格は火のように激しく、人一倍の努力家だったが、歪んだ世を憂いて情緒が定まらず失敗することも多かった。梁山泊が大名府を攻めて盧俊義と石秀を救おうとした際、大名府の梁中書は索超と李成を先鋒として出陣させた。索超は罠にかかり、楊志に説得されて梁山泊に降伏した。梁山泊では、馬軍八虎騎の先鋒使の第四位となり、英雄の中で第十九位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】索超は朝廷の腐敗に対する強い不満を抱いており、実践的に社会に貢献することを重視しています。そのため、招安によって再び腐敗した体制に従うことは彼の信念に反すると感じ、反対したのでしょう。彼は正義を重んじ、民を守るために戦ってきたことから、朝廷との和解に対する強い拒否感を持っていたと考えられます。
張清(ちょうせい/zhāng qīng):「可」
"国家との戦いは終わりにし、安定した地位を得るべきだ。これ以上の無駄な争いは避け、我らの力を正しい方向に使おう。"
※天捷星 “没羽箭” 張清は、宋江と盧俊義が東平府と東苗府を攻めた際に現れた猛将で、飛び石を使う名手である。彼は百発百中で、梁山泊の大将15人を次々と打ち倒した。後に呉用の策略によって水中に誘い込まれ、梁山泊に降った。彼は馬軍八虎騎の第五位を務め、梁山泊の英雄の中で第十六位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】張清は直感と感覚を重視する協調的な人物であり、強い生存欲求からも、長く続く戦いに終止符を打ち、安定した立場を得ることを望んでいたでしょう。国家に従うことで安全を確保し、これ以上の危険を回避することに賛成したのだと思います。
朱仝(しゅどう/zhū tóng):「可」
"これまでの流れに従い、皆と一緒に進む道を選ぼう。義を重んじ、共に戦ってきた仲間たちを信じて、これからも協力し続けたい。"
※天満星 “美髯公” 朱仝は、鄆城県の出身で、地元の裕福な家柄であった。その長い髭と堂々とした顔立ちから『髯公』と呼ばれていた。彼はかつて鄆城県の馬兵の都頭を務めていたが、義兄弟の歩兵都頭・雷横が刺客に襲われたため、滄州に配流されることとなった。滄州の知府は朱仝の非凡な風貌を見て、小衙内(知府の息子)の遊び相手にさせたが、呉用が計略を用いた為、朱仝はやむを得ず梁山泊に加わった。梁山泊では馬軍八虎騎の先鋒使の第六位を務め、英雄の中で第十二位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】朱仝は強い欲求を持たず、極めて質実剛健に他者と協力して生きることを重視する性格のため、梁山泊の仲間たちの意志に従って協調する傾向があります。彼は大義や正義を尊重し、皆で決定した道に従って生きることを選び、招安にも積極的に賛成したのでしょう。
史進(ししん/shǐ jìn):「不可」
"腐敗した官吏と一緒に働くくらいなら、梁山泊の兄弟たちと共に天道を歩む方がよほど良い。俺たちには、まだやるべきことがある。"
※天巧星 “九紋龍” 史進は、華州府華陰県の史家村の出身で、地主の息子であった。幼い頃から槍や棒を振るうことに没頭し、東京の八十万禁軍教頭・王進に師事したことをきっかけに急激に才能が開花。並々ならぬ武芸者として名を馳せるようになった。「九紋龍」は背中に彫られた見事な龍の刺青に由来する。梁山泊の好漢として、馬軍八虎騎の先鋒使の第七位を務め、英雄の中で第二十三位に位置づけられた。
【後日、呉用による覚書】史進は生まれながらに正義感が強く、腐敗した官僚制度に対して深い憤りを感じています。兄弟たちと共に理想を追求する道を選びたいと考え、招安に反対したのでしょう。
穆弘(ぼくこう/mù hóng):「不可」
"我々は義気のためにあの公明な人(宋江)と共に歩んできた。権力にこびへつらうくらいなら、揭陽鎮での豪強としての生活に戻った方が良い。"
※天究星 “没遮攔”穆弘は、潯陽江のほとりにある揭陽鎮の出身で、地元の有力者であった。真似碁戦術の使い手で、相手の武芸を巧みに模倣する天性の術を有している。宋江が江州に流刑となった際、穆弘とその兄である穆春と衝突したが、後に和解した。その後、張横、張順、金成、童猛ら多くの好漢と知り合い、共に梁山泊に加わった。穆弘は馬軍八虎騎の兼先锋使の第八位を務め、梁山泊の英雄の中で第二十四位に位置づけられた。