先日、10年以上の開発期間を経て、"中国産"としては初めてとなるAAAゲームタイトルが発表された。RPGアクションゲーム、作品名は『黒神話:悟空』。この作品は私が現在研究に勤しんでいる『水滸伝』と同時代に書かれた歴史大衆小説、『西遊記』の後日談を描いている。本作はもともと中国市場に特化して製作されていたものであり、外国人がこのゲームの物語を十分に楽しむ為には前知識が必要だ。良い機会なので、以下に『西遊記』の概要と内容をメモしておこうと思う。
※「AAAゲーム(中文:3A遊戯)」とは、大規模な人材、時間、資金が投入されて製作されたコンピューターゲーム作品の事。日本、欧米の大手企業が中心となり手がけて来た分野であるが、ここに初めて中国が参入。『黒神話:悟空』は販売開始から4日間で1000万本の売上販売を達成する大記録を打ち立てた。私も台風10号が通過している間にプレイする予定。ゲーム体験は2023年2月に発表された『ホグワーツ:レガシー(『ハリーポッター』シリーズ)』以来なので楽しみだ。
<『西遊記』の誕生秘話>
※画像:百度百科「吴承恩」より引用
『西遊記』の作者は諸説あるが、近代の作家・魯迅らが提唱した人物は「呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn:約1504年 - 1582年)」だ。字は汝忠、号は射陽居士、射陽山人。祖籍は涟水(現在の江蘇省涟水县)で、後に山陽(現在の江蘇省淮安市)に移住した。科挙試験では何度も失敗をしていたが十代の頃から突出した文才が周囲に知れ渡っていたという人物で、科挙に合格するよりも前、嘉靖21年(1542年)、38歳の頃に小説『西遊記』の初稿を書き上げている。その後も科挙試験を受け続けるも合格できず、嘉靖29年(1550年)、46歳の頃にようやく歳貢生に補せられたが、再び科挙に落ちて国子監で学ぶ身となった。嘉靖45年(1566年)、60歳を過ぎた彼は遂に貢生の資格のまま長興県丞に昇進する事が出来たが、在任2年目で不正行為を告発されて入獄。最終的には隆慶4年(1570年)、64歳で完全に官職を辞して故郷に帰って余生を送った。
『水滸伝』の作者である施耐庵(したいあん/shī nài ān)は元朝末期の腐敗した政治体制を目の当たりにして『水滸伝』を描いた。それよりも少し先の時代に生きた呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn)は、道教と政治の癒着に憤りを感じていた。この当時、朝廷はどこぞの国と同じように宗教集団とがっつり結びつき、汚い金と醜い心を分かち合っていたのである。その宗教集団が道教で、老子・荘子らの自然回帰的な学説を神格化した宗教であった。『西遊記』に登場する様々な仙人や妖怪は道教の隠喩であり、主人公の孫悟空はその悪しき神々の腐敗を打ち破るアンチヒーローという訳である。
呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn)が『西遊記』の構想を練り始めてから手に取ったのが『大唐三蔵取経詩話』や『西遊記平話』であった。これらの作品は以下の流れで完成に至っている。
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①唐王朝時代の旅記録
仏教の高僧であった玄奘(602年 - 664年)は「正しい仏教の学問を研究しなければならない」と考え、仏教発祥国であるインドに経典を求める旅に出た。貞観3年(629年)、玄奘は仏教の真理を求めて長安を出発し、百余国を経て、多くの困難を乗り越えた後、遂にインドに到達した。彼は同地で2年以上を費やして学び、大規模な仏教経学討論会でも主講を務めるなど仏僧として多大な貢献を果たした。貞観19年(645年)、玄奘は657部の仏典と共に長安に帰還した。晩年の玄奘はこの旅の見聞を弟子に口述。この聞き取りを元にして、弟子の辯機が『大唐西域記』全12巻を編集した。この『大唐西域記』は玄奘が旅路で見た各国の歴史や地理、交通などの知見を記録したものであり、物語性は存在しなかった。
②徐々に脚色が始まる
その後、弟子の慧立や彦琮が『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』を製作。師父の玄奘をより称賛し、世間に仏法を広めるという目的で、彼らは誇張された神話的なモチーフや奇妙な物語を挿入した。これが元となって、唐代末期のいくつかの筆記作品、例えば『独異志』や『大唐新語』などで、「玄奘の旅」が物語として人々に膾炙されるようになった。
③さすが宋、完全な物語に発展
文化と経済が大発展した宋王朝時代の後半、南宋王朝の時代。ここで、後の呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn)がインスピレーションを得る事となる説経話本『大唐三蔵取経詩話』が誕生。「玄奘の旅」はこの作品により、様々な神話と経典を求める物語として集約された。本作に登場する、玄奘の同行者である猿が『西遊記』の孫悟空の原型。この猿というのは「花果山紫雲洞の八万四千の銅頭鉄額の猿王」であり、白衣の秀士に化け、玄奘三蔵を護送するために現れたとされた。彼は神通広大で機知に富み、道中で白虎精を倒して九馗龍を鎮め、深沙神を降伏させる事で、経典を求める事業を「功徳円満」に導く立役者となった。
④猿王の方に人気が集まる
もともと中華世界の神話や伝承の中には猿が活躍する機会が多い。中国古代の志怪小説、『呉越春秋』『捜神記』『補江総白猿伝』などの書物には、白猿が精を成して怪異を起こす物語が記されている。特に李公佐の『古岳渎経』に登場する淮涡の水怪「無支祁」は神変奮迅と反逆的な性格を有する豪傑。これはまさに「孫悟空」の人物造形に似通っている。この文化的な土壌もあって、玄奘の旅の同行者である猿王の方に注目が集まるようになり、その潮流から元王朝時代には、遂に猿王を主軸とした『西遊記平話』が登場。この『西遊記平話』はまさに呉承恩(ごしょうおん/Wú Chéng'ēn)の『西遊記』の筋書きと多くの点で一致をしている。
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<『西遊記』の主人公たち>
1. **孫悟空(そんごくう/sūn wù kōng)**
孫悟空は孫行者とも呼ばれ、東勝神洲傲来国の花果山にある霊石から生まれた。その勇猛さから、花果山では他の猿たちから「美猴王」として崇められていた。その後、長生を求めて仙人を訪ね歩き、西牛賀洲の霊台方寸山で須菩提祖師に師事し、72変と筋斗雲の術を習得。花果山に戻った後、天界に招かれて「弼馬温(『水滸伝』の皇甫端[こうほたん/huáng fǔ duān]が担った職と類似する馬の『管理人』)に任命されたが、役職が低い事に憤って花果山に戻り、自ら「斉天大聖」と名乗った。その後、彼は天宮で大暴れした事から五行山の下に500年幽閉されたが、観世音菩薩の導きで唐僧である玄奘三蔵の弟子となり、玄奘三蔵を護衛して西方にある経典を求める旅に出た。この取経の旅では数々の妖怪を降伏させ、最終的に「斗戦勝仏」の称号を得て悟りを開いた。
- 特徴:楽観的で聡明、勇敢、やんちゃ、機敏。自由を愛し、悪を憎み、戦う精神に満ちた理想的な英雄像。特殊技能は如意金箍棒、七十二変、火眼金睛、筋斗雲など。
2. **猪八戒(ちょはっかい/zhū bā jiè)**
もとは天庭の玉皇大帝の部下である天蓬元帥で、天河を管轄していた。しかし、酒に酔って嫦娥仙子をからかった事から、玉皇大帝により2,000回の棒打ち刑を受けて凡界に落とされる。その際、誤って魂が豚の胎に宿った事から、豚(猪)の妖怪として転生する事となった。後に玄奘三蔵の二番弟子となり、取経の旅では悟空と共に多くの悪しき妖怪たちを成敗した。最終的に「浄壇使者」の称号を得て、悟りを開いた。
- 特徴:純朴で食いしん坊で怠け者。おべっかを使うことが得意で、大きな徳よりも小さな得を好む。色欲が強いが、忍耐の強さもある。特殊技能は九歯の釘耙、三十六変など。
3. **沙悟浄(さごじょう/shā wù jìng)**
もとは凌霄殿下で銮舆を守る巻帘大将であったが、蟠桃会の行事中に誤ってガラスの盞を割ってしまい、玉帝に800回の棒叩き刑を受けて凡界に落とされた。流沙河で落ちぶれた日々を過ごしていたが、観世音菩薩の導きによって改心し、法名を「悟浄」として仏教に帰依。八戒と悟空と共に玄奘三蔵を護衛する旅に同行し、最終的に「金身羅漢」の称号を得て悟りを開いた。
- 特徴:口数が少なく、文句を言わずに働く正直者。意志が強く、善良で誠実な性格を有している。特殊技能は妖怪を降伏させる宝杖、変化の術など。
4. **三蔵(さんぞう/tsān zāng)**
彼の前世は如来仏祖の二弟子である金蝉子。俗姓は陳、小名は江流児、法名は玄奘。父は状元(科挙試験の主席合格者)の陳光蕊、母は丞相の娘である殷温娇。名門の生まれであったが、父は山賊によって殺され、母も強奪されるという悲惨な憂き目に遭う。母親はこの時に妊娠をしていたが、三蔵を苦しめてはならないと考えて出産後に彼を河に流してしまう。彼は偶然にも仏僧に救われて、成長後に両親の仇を討ってから仏門の道へ。唐王朝の太宗によって西天取経を任される事になり、ここで「三蔵」という別号を取得。悟空らと共に多くの困難を乗り越えて真経を手に入れ、最終的に如来仏祖から「旃檀功徳仏」の称号を授かった。
- 特徴:心が優しく、仏法を崇拝し、戒律を厳守する。立場を堅持して意志の強さを発揮するが、時には善悪を区別できず、他人の言葉を容易く信じてしまう弱点もある。用いる法具は緊箍咒。
5. **白龍馬(はくりゅうば/bái lóng mǎ)**
西海龍王の息子で、殿上の明珠を燃やしたために龍王に告発され、玉帝から死刑を宣告された人物。観世音菩薩が玉帝に嘆願して彼を助け、深い渓谷に送り、取経人(三蔵たち)を補佐するよう命じられた。その後、観世音菩薩の導きによる点化(改心)によって白馬に変身。三蔵たちと合流後、西天取経の旅を馬として支援した。宝象国では三蔵が妖怪の策略にかかった際、人間の姿に戻って妖怪を成敗している。最終的に「八部天龍馬」の称号を得て真の姿に戻り、悟りを開いた。
- 特徴:文句を言わずに働き、機知に富んで勇敢、そして忠実。特殊技能として水を制御する法術を用いる事が出来る。
<『西遊記』の物語>
東勝神洲の傲来国の海辺には花果山という山があり、その山頂にある石が長年の精華を浴びて、ついに石猴(石から生まれた猿)を産み出しました。この石猴は勇敢にも滝をくぐり、水簾洞を発見した事で、他の猿たちから「美猴王」として崇められる事になりました。こうして美猴王は群れを率いて数百年にわたり花果山の指導者として自由に暮らしていましたが、ある時、「仙人や仏、神聖な者たちが輪廻から逃れ、天地と同じ寿命を得られる」という不老不死の話を聞いて興味を覚えました。美猴王はその不老不死を身につけたいと考え、一人で筏に乗り海を渡り、南贍部洲から西牛賀洲へと旅をし、ついに霊台方寸山の斜月三星洞で菩提祖師に出会います。祖師は彼を弟子として迎え、法名として「孫悟空」という名前を授けたのでした。
孫悟空はこの修行の中において、三星洞で菩提妙理を悟り、七十二般の変化や筋斗雲の術を習得。修行を終えると花果山に帰り、周辺にいた妖魔たちを一気に滅ぼして、妖魔を統括していた混世魔王も成敗します。花果山の狼、虫、虎、豹などの七十二洞の妖王たちは孫悟空を尊敬し、彼を王として認める事になりました。
こうして孫悟空は山を占拠し、「美猴王」と名乗りました。しかし、彼には武器がありませんでした。そこで東海龍宮に行って求めたところ、東海龍王の敖広とその兄弟たちは、孫悟空に如意金箍棒と一身の披挂(防具)を与える事になりました。更に孫悟空は牛魔王、蛟魔王、鹏魔王、狮驼王、猕猴王、禺狨王と兄弟の契りを結び、日々文武の道を語り合い、弦歌を楽しみました。
そのようなある日、孫悟空は陰司に魂を勾引されそうになります。これを受けて孫悟空は幽冥界で大暴れをし、生死簿からすべての猴属の名前を消し去りました。この騒動が天界で大問題となりますが、荒くれ者の孫悟空を放置するよりも引き込んだ方が役に立つという事で、太白金星が招安(犯罪者が免罪を受けて朝廷に召される事)を提案します。玉帝はそれに合意し、孫悟空に「弼馬温」という役職を与えました。
孫悟空は何か偉そうな役職を貰ったと得得としていましたが、それが単なる馬の管理人であると知って激怒。彼はまた天界で大暴れをして南天門を打ち破り、花果山に戻って「斉天大聖」と自ら名乗りました。これに応じて、彼の義兄弟たちもそれぞれ「平天大聖」、「覆海大聖」、「混天大聖」、「移山大聖」、「通風大聖」、「驅神大聖」と名乗る事になりました。
やりたい放題の孫悟空に対し、托塔天王の李靖と哪吒三太子が命を受けて捕縛に向かったものの、彼らは敢えなく敗北。太白金星は仕方なく、玉帝に孫悟空の言う「斉天大聖」に封じる(称号を与える)よう提案。ただし、彼には名誉だけを与えて、職務も俸禄も与えない事としました。玉帝がこれを許し、孫悟空は再び天宮に入ります。ここで孫悟空は何もする事が無かったので、日々仲間と交友を深め、尊卑の分け隔てなく接しました。玉帝は彼がまた何か問題を起こしてしまうのではと心配し、どうでも良い仕事を与えて時間を潰させるべきだと考え、彼に蟠桃園を管理させる事にしました。
ある日、西王母が蟠桃園で宴を開く事になります。孫悟空は王母が自分を招待しなかった事を恨み、宴に乱入して仙酒や美食を堪能し、兜率宮にまで行って金丹を食べ尽くしました。こうして蟠桃会は大混乱に陥り、孫悟空はそのまま花果山に逃げ帰りました。玉帝はこの孫悟空を捕らえるべく十万の天兵を派遣しましたが、結局は成功しませんでした。
観世音菩薩がこの孫悟空の問題を解決する為に、二郎神に生け捕りの任務を依頼します。孫悟空と二郎神はそれぞれの神通力を発揮し、様々な変化を見せながら300合にも及ぶ互角の戦いを続けました。しかし、最終的に老君が金剛琢を投げつけて悟空を倒し、哮天犬が悟空に噛みついて捕らえました。玉帝は天神に命じて孫悟空を処刑しようとしましたが、刀で切られ、槍で刺され、雷に打たれ、火で焼かれても、孫悟空は無傷でした。そこで太上老君は彼を八卦炉(仙丹を煉るのに使用する炉)に閉じ込めたが、孫悟空は死ぬどころか火眼金睛(妖怪を見極める目)を獲得。それから四十九日後に悟空は八卦炉を覆し、金箍棒を振り回して天宮を再び大混乱に貶めました。天の神々は彼を打ち負かす事がどうしてもできず、玉帝は西天の仏祖である如来に助けを求めました。如来の法力は無限であり、遂に孫悟空は彼の手のひらから逃れる事ができず、五行山の下に押さえつけられてしまいました。こうして孫悟空は幽閉状態となり、鉄丸を食べ、銅汁を飲んで日々を過ごす事になりました。
それから五百年後、如来は南贍部洲の人々が淫欲に耽り、争いを繰り返している事を憂い、観世音菩薩に命じて東土へ一人の取経人(経典を取りに向かう者)を探しに行かせます。その人物に西天へ行かせて経典を得て、これを持ち帰って仏法を広める事で人々を救って欲しいと指示したのです。そして、観世音菩薩には妖怪を降伏させる為の三つの箍(たが:桶などの外周を縛って固定する金属の輪)を与えました。観世音菩薩は木叉行者を連れて東土へ取経人を探しに行き、その途中で箍(たが)を使って二人の妖魔を収めました。ひとりは、天の霊霄殿で銮輿を守る巻帘大将で、誤ってガラスの杯を割ってしまったため、玉帝によって流沙河に追放され苦しんでいた者です。もう一人は、天河にいた天蓬元帥で、酒に酔って嫦娥をからかったため、凡人として豚の姿に生まれ変わり、福陵山雲栈洞で妖怪となった者です。観世音菩薩は彼らに法名を与え、それぞれ沙悟浄と猪悟能と名付けました。そして、観世音菩薩は彼らに言いました。「ここに取経人が来るのを待つように。その者はこの世の憂いを救済する為に西天へ向かう旅に出るので、その旅に同行して護衛するように。」と。更に、観世音菩薩は、罪を犯した西海龍王の息子を赦して、深い渓谷に彼を送り出しました。彼にも「取経人が来た時に足として助けになるように。」と言いました。
その後、観世音菩薩は五行山の下に押さえられていた孫悟空に出会います。悟空は悔い改める意思を示し、観世音菩薩もまた彼に「唐の国から来る取経人を待つように。」「彼の弟子となり、仏門に入って修行を続け、正果を得よ」と告げました。
一方、人間の世界では唐の太宗が科挙を開き、青年の陳光蕊が状元となり、相府の殷氏を妻に迎えるという華々しい出来事がありました。陳光蕊は江州の州主に任命されたのですが、その任地に赴く途中、彼は賊の劉洪に殺害され、妻の殷氏も奪われてしまいます。この時に殷氏は妊娠をしていて後に息子を産みましたが、息子を苦労させてはならないと彼を江に投げ入れます。その息子は偶然にも金山寺の僧侶によって救われ、18年後に戒を受けて法名を「玄奘」としました。玄奘は遂に母親と再会し、外祖父に会って血の復讐を果たす事になりました。
一方、長安の泾河のほとりで、漁師と樵夫(きこり)が町で起こった神秘的な予言について話していました。この予言がきっかけとなり、天宮の龍王、唐の太宗、冥界の冥王らを巻き込んだ大騒動に発展。唐の太宗はこの騒動の中で冥界に連れ去られてしまうが、最終的には判官の判断によって現世に戻る事が出来ました。太宗は冥界の地府で無数の冤魂(無実の罪により命を落とした為に恨みを抱く魂)を目にした為、水陸大道場を建てる事、そして徳行のある仏教の高僧を選んで法会を主宰させる事を決意しました。朝廷の重臣たちは話し合いの末、洪福寺の僧侶である玄奘を推薦する事となりました。
実は玄奘の前身は如来の弟子であった金蝉であり、無心に講義を聞いたために凡界に追放され、幼少期から様々な苦難を経験しなければなりませんでした。観世音菩薩は長安に現れ、木叉と共に癫頭和尚に変身し、袈裟と錫杖を唐の太宗に献上しました。太宗はそれを玄奘に授け、西天にある経典を持ち帰る事ができればこの世の憂いが浄化されると伝えました。玄奘は大宗に「その西天取経の使命を私が担います」と願い出ました。こうして太宗と玄奘は兄弟の契りを結び、太宗と玄奘に取経の号を与え、「三蔵」と名付けました。文武百官が玄奘三蔵の旅を送り出しました。こうして、彼の西天への旅が始まりました。
三蔵は御赐の白馬に乗り、二人の侍者と共に大唐の西の境を越えました。しかし、双叉岭で虎の妖精「寅将軍」に侍者二人が食べられてしまい、三蔵は一人逃げ延びました。これは三蔵が長安を出て初めて直面した困難でした。旅を続ける中で、猛虎や長蛇に遭遇しましたが、猟師の劉伯欽に救われました。伯欽は三蔵を二界山まで送り届けました。その山の下から「遂に師匠が来た!」という叫び声が聞こえました。実はこの山は五行山と名を改めたもので、五百年前に天宮で大暴れした孫悟空がその山の下に押さえられていたのです。三蔵が山頂の如来の金字の押帖を取り除くと、悟空は山を裂いて飛び出し、三蔵に師として仕えました。悟空は玄奘三蔵から「孫行者」という名を与えられました。
旅の途中、孫悟空は六人の強盗を打ち殺しましたが、玄奘三蔵に厳しく叱られたため、憤慨して龍宮へ行ってしまいました。そこで悟空は龍王の説得を受け入れ、玄奘三蔵のもとに戻る事にしました。その間に、観世音菩薩が三蔵法師に玄奘三蔵は観世音菩薩から孫悟空を制御するための二つの道具——金花が嵌められた帽子と緊箍咒(きんそうじゅ/jǐn gū zhòu)——を授けていました。また、、観世音菩薩が三蔵法師に孫悟空を制御する「緊箍咒」の呪文を教えました。三蔵法師は帰って来た悟空を騙して帽子と緊箍咒(きんそうじゅ/jǐn gū zhòu)を被らせ、呪文を唱えました。すると、悟空は痛みに苦しんで転げ回りました。この帽子こそが如来が授けた緊箍(妖怪を制御するたが)だったのです。悟空は仕方なく三蔵法師に従い、西天へと旅を続けました。
二人が鹰愁涧に着いた時、三蔵法師の白馬が渓谷の中に飲み込まれてしまいました。観世音菩薩はここで待機させていた龍王の息子を白馬に変えて、三蔵法師が乗れるようにしました。
観音禅院に到着した際、悟空は三蔵法師の錦襕袈裟を見せびらかしました。観音禅院の金池長老はそれに欲心を抱き、三蔵法師一行を焼き殺そうとしましたが、悟空が法術を使い、逆に禅院を焼き払いました。しかし、その袈裟は金池長老の友人である黒風怪によって盗まれてしまいました。悟空は観世音菩薩に助けを求め、観世音菩薩は黒風怪の友人に変身し、悟空自身も仙丹に変わって黒風怪を誘惑し、飲み込ませて相手を降伏させました。
三蔵法師一行はさらに西へ進み、高老荘に到着しました。そこで荘主の娘が妖怪に囚われていることを知った悟空は、その妖怪を捕まえ、雲栈洞まで追い詰めました。その妖怪は天庭の天蓬元帥であり、嫦娥をからかったために下界に落とされ、誤って豚の姿に転生した者でした。聞いてみると、この豚は観世音菩薩から三蔵法師一行を補佐するよう言い付けられているという人物だったので、三蔵法師たちは彼を迎え入れました。猪悟能は自ら仏教で禁じられている「五荤三厭(三厭:肉・鳥・魚、五葷:ネギ・にんにく・にら・らっきょう・あさつき)」を断っていると言いました。これを受けて、三蔵法師は彼に五つと三つ、計八つの戒律を守っている人物という意味で「八戒」という別名を与えました。ここに、猪八戒が旅に加わりました。
浮屠山を越えると、烏巢禅師が三蔵法師に『多心经』を伝授しました。続けて八百里黄風岭を通過する際、三蔵法師は黄風怪に捕らえられ、黄風洞に連れ込まれました。悟空は小須弥山に行き、霊吉菩薩を招いて黄風怪を降伏させました。この黄風怪は、もともとは霊山で得道した黄毛の貂鼠(テン)だったという事が分かりました。
流沙河では、観世音菩薩によって点化(改心)された沙悟浄を新たに迎えます。三蔵法師は彼に「沙和尚」という号を与えました。こうして師徒四人は白馬と共に山を越え川を渡り、西天取経の旅を続けました。
一行が川を渡り西へ向かうと、観世音菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、黎山老母が一母三女に変身し、彼らの禅心を試しました。八戒はまだ凡心が抜けず、木に縛り付けられてしまいました。
万寿山五荘観に到着すると、悟空は鎮元子大仙の「人参果」を盗み、その木を倒してしまいました。大仙はひどく困惑しました。悟空は三島を巡り救いの手を求め、最後に南海で観世音菩薩にお願いし、彼女の手にある浄瓶の甘露を使って人参果の木を蘇らせました。
白虎岭に至ると、尸魔が三蔵法師を害しようとしました。最初は少女に変身し、次に老婆、最後には老人に変身しましたが、悟空はそのすべてを見破り、退治しました。しかし、八戒が唆したことによって三蔵法師は悟空が乱暴だと勘違いをし、緊箍咒を唱え、悟空を追い払ってしまいます。それが仇となって、三蔵法師は黄袍怪に捕らわれましたが、その妻である宝象国の姫が彼を救いました。三蔵法師は宝象国に助けを求め、国王は猪八戒と沙悟浄を送り込んで妖怪を退治しようとしましたが、黄袍怪に敗北しました。黄袍怪は宮中に入り込み、三蔵法師を白虎の精だと偽って訴えました。白龍馬が師を救おうとしましたがこれも失敗し、八戒に悟空を呼ぶよう頼みました。戻って来た悟空が黄袍怪を打ち負かし、ようやくこの騒動の幕が引きました。黄袍怪は実は奎宿が下界に降りて化けたものだという事が分かりました。悟空は師匠を救い出した事で、師弟が和解をしました。
平頂山を越えると、三蔵法師は八戒に道を巡るよう命じました。八戒は最初は怠けて寝てしまい、その後、嘘をついて師を欺こうとしましたが、悟空にすべて見破られました。山中には金角、銀角の二妖がいましたが、悟空は激しい戦いを繰り広げ、彼らを降伏させました。この妖魔は老君の二人の炉の童子であり、観世音菩薩が三蔵法師を試すために妖魔に変えたものでした。
夜に宝林寺に宿泊した際、三蔵法師は夜中に烏鶏国の国王の霊魂から冤罪を訴えられました。悟空は国王を蘇生させ、国王を殺して王位を奪った妖魔を打ち負かしました。この妖魔は文殊菩薩の乗り物であり、仏の命令で前世の恨みを晴らしに来たものでした。
号山に至ると、聖嬰大王である紅孩児に遭遇し、三蔵法師は危機に陥りました。悟空や八戒が何度も師匠を救おうとしましたが、妖魔に敗北しました。紅孩児は悟空の結義兄弟である牛魔王の息子であったので、悟空が牛魔王に変身して洞窟に入り込みましたが、この作戦は失敗。紅孩児の三昧真火の術に敗北します。最終的に彼らは観世音菩薩の助けを借りて救出され、観世音菩薩は紅孩児を降伏させて善財童子にしました。
黒河を渡ると、小鼉龍に遭遇しました。三蔵法師は水底に閉じ込められましたが、悟空は龍王を招いてこれを降伏させました。
車遅国に到着すると、虎力、鹿力、羊力という三妖に出会いました。悟空、八戒、沙僧(沙悟浄)は宮中で三妖と法術を使った勝負をし、雨乞いや猜枚、さらには斬首、剖腹、油の鍋で煮るという賭けに挑み、悟空はすべてに勝利して三妖を除きました。
通天河を渡ると、観世音菩薩の座前にある蓮の池で成精した金魚が妖怪となり、法術を使って三蔵法師を水府に連れ去りました。観世音菩薩が駆けつけ、金魚を捕らえて、三蔵法師は助かりました。
金兜山では、独角兕大王に遭遇し、三蔵法師は捕らえられました。悟空は幾度も激戦を繰り広げ、各地の神兵を招いて助けを求めましたが、すべて失敗しました。最終的に如来の指示で老君が現れ、妖怪を降伏させました。この妖怪は老君の乗り物である青牛でした。
西梁女国に至ると、三蔵法師と八戒が子母河の水を飲んで妊娠してしまいましたが、悟空が落胎泉の水を取ってきてこれを何とか解消しました。女王は三蔵法師を婿に迎えようとしましたが、悟空が策を講じて逃げ出しました。しかし、三蔵法師は毒敵山琵琶洞の蝎子精に捕らわれました。悟空は昴宿を招いてこれを滅ぼしました。
途中で盗賊に遭遇し、悟空はこれを打ち倒しましたが、三蔵法師は悟空が人を殺したことを咎め、彼を追い出しました。悟空は仕方なく観世音菩薩に訴えました。ちょうどその時、三蔵法師は偽物の悟空に襲われ、荷物を奪われました。弟子たちはそれが悟空の仕業だと思い、沙悟浄を花果山に送り、悟空を討たせようとしましたが失敗しました。南海の観観世音菩薩のもとに行ったところ、そこにも悟空がいたため、沙悟浄は怒り狂いましたが、観世音菩薩の説明で誤解が解けました。悟空は花果山に戻り、偽者と激闘を繰り広げました。二人の悟空は如来のもとまで戦い続けました。如来は偽物の悟空が六耳猕猴(変身能力のある化け猿)である事を見破り、彼の術を解いて滅ぼしました。
一行が火焔山の前に到着すると、悟空は芭蕉扇を使ってこの燃え盛る山を鎮める事が出来ると知りましたが、その扇は紅孩児の母であり、牛魔王の妻である羅刹女が持っていました。悟空は羅刹女のもとに行き、まずは礼儀正しく借りようとし、次に力ずくで奪おうとしましたが、羅刹女は紅孩児を害した悟空を憎んでおり、偽物の扇しか貸しませんでした。悟空は牛魔王の小妾のもとに行き、牛魔王から扇を借りようとしましたが、これも拒否されました。そこで牛魔王の乗り物を盗み、牛魔王に変身して羅刹女を騙し、芭蕉扇を手に入れました。しかし途中で牛魔王に追いつかれ、今度は八戒に変身した牛魔王に騙されて扇を奪われました。最後に悟空は神兵を借りて牛魔王と激戦を繰り広げ、彼を打ち負かし、扇を取り戻して火焔山の火を消し去りました。
祭賽国に到着すると、悟空は国王のために万聖龍王と九頭驸馬を滅ぼしました。荆棘岭では、八戒が鉢を振り回して道を開きました。夜、竹精と樹妖に遭遇し、三蔵法師は捕らえられましたが、八戒が激しく叩いて妖精の木を倒して事なきを得ました。
小西天に到着すると、黄眉大王に遭遇しました。この妖怪は人々を袋に包んで捕まえる術を使いました。悟空は各地の神兵を呼びましたが、誰も勝てませんでした。最後に弥勒菩薩の助けを借りて妖怪を降伏させました。この妖怪は仏の前に仕える司磐の童子でした。驼羅庄では、悟空と八戒が蛇精を退治し、一つの村の老若男女を救いました。稀柿衕を通過すると、八戒は大きな豚に変身し、山道の汚れをすべて拭い去りました。
朱紫国に到着すると、悟空は国王の病を治し、三年前に妖精である賽太歳に奪われた皇后(金聖宮)を救い出しました。この賽太歳は観世音菩薩の乗り物である金毛の狮であり、国王の災厄を取り除くために特別に遣わされたものでした。
盤絲岭では、三蔵法師が蜘蛛精に襲われました。蜘蛛精は続けて多目怪の蜈蚣精をそそのかして三蔵法師たちに敵対させました。悟空は蜘蛛精を打ち倒し、毗蓝婆を招いて多目怪を降伏させました。
狮驼岭に至ると、青狮、白象、大鹏の三つの妖魔に遭遇し、三蔵法師は災難に見舞われました。悟空は苦闘しましたが勝てず、西方に助けを求めました。如来は文殊と普賢を招いて妖怪を降伏させました。青狮と白象は二人の菩薩の乗り物であり、大鹏も如来の力で帰依させられました。
比丘国の王は寿星の乗り物である白鹿が化けた国丈に惑わされ、千百十一人の子供の心臓を薬引きに使おうとしていました。悟空は子供たちを救い出し、妖怪を打ち負かしました。寿星が駆けつけて白鹿怪を捕らえました。
三蔵法師が松林で一人の女性を救おうとしましたが、実はそれは妖怪でした。一行が镇海寺に宿泊すると、妖怪は三蔵法師を陷空山無底洞に連れ去りました。悟空は哪吒を招いてこれを救出。この妖怪は李天王の義理の娘である鼠精だったということが分かりました。
灭法国を通過すると、その国の王は一万人の僧侶を殺そうとしていましたが、あと四人足りませんでした。悟空は夜中に宮廷内の人々の頭をすべて剃り落とし、王を善に帰依させ、国の名前を「钦法」に改めました。隐雾山连环洞では、豹子精の南山大王が三蔵法師の肉を食べようとしましたが、悟空は瞌睡虫を使って眠らせ、八戒が彼を打ち倒しました。
凤仙郡に至ると、三年もの間雨が降らないという、ひどい災害に見舞われていました。これは郡主がかつて斋天素供を倒したことが原因でした。悟空は彼らを善に帰依させ、郡全体が仏を念じたことで、天が感動して甘霖(大雨)を降らせました。
玉华州に到着すると、悟空たちは三人の王子を弟子に取り、武芸を伝えました。彼らは金箍棒などの武器を模倣しましたが、その武器が豹头山の黄狮精によって盗まれてしまいました。黄狮精は更にその祖である九灵元圣の助けを借りました。悟空はこの九灵元圣が太乙救苦天尊の乗り物であることを知り、太乙天尊を招いて彼を降伏させました。
金平府を通過すると、ちょうど元宵節の最中でありました。三蔵法師が灯籠を見ていると、青龙曲の妖精である辟寒大王、辟暑大王、辟尘大王に捕らえられました。悟空は四木禽星を招いてこれらの妖怪を滅ぼし、その首を晒しました。
月宫の玉兔が天竺国の公主に化けて三蔵法師に刺繍球を投げかけ、彼を婿に迎えようとしました。悟空は太阴星君と共に玉兔を捕らえ、本物の公主を救出しました。
铜台府地灵县では、寇員外の家に宿泊し、厚遇を受けました。しかし、その後寇家が盗賊に襲われ、寇員外が殺されました。三蔵法師とその弟子たちは冤罪をかけられましたが、悟空が法術を使って真実を明らかにし、寇員外を蘇生させました。
三蔵法師とその弟子たちはついに灵山に到達し、無底船に乗って凌云仙渡を越え、如来に経を求めました。如来は阿傩と伽叶に経を調べさせましたが、阿傩と伽叶は三蔵法師から賄賂を受け取れなかったため、無字の経を渡しました。燃灯古仏が白雄尊者を遣わして半道で経を奪い返し、四人は真相を知って如来に報告しました。如来は「経は軽々しく伝えるべきではない」と言い、三蔵法師は紫金の鉢盂を阿傩に渡し、ようやく真経(本物の経典)を受け取る事が出来ました。この真経は五千四十八巻に及びました。如来は八大金刚を遣わして三蔵法師とその弟子たちを東土まで護送しました。
観世音菩薩が三蔵法師のこれまでの難儀を調べたところ、八十難(80回に及ぶ困難)が記されていました。そこで揭谛に命じて金刚を追わせ、縁起の調整を行う為にもう一つの難儀を加えさせました。これにより三蔵法師たちは通天河のほとりに落ちてしまいますが、老亀が彼らを救って川を渡らせました。しかし、老亀は三蔵法師が彼の人間への転生を如来に取り次いで貰えなかった事を不満に思い、再び水中に潜って経を水浸しにし、一部を損なわせてしまいました。こうして八十一難を経て、遂に三蔵法師一行は長安に帰還しました。
太宗は三蔵法師と悟空たちを迎え入れ、その功績を称えるために『聖教序』を作りました。三蔵法師が雁塔寺で経を読誦していると、金刚が導いて四人の師弟と白馬は再び灵山に戻りました。四人は真身で灵山に戻り、それぞれ封号を受けました。三蔵法師は旃檀功徳佛に封じられ、悟空は斗戦勝佛、八戒は净壇使者、沙僧は金身罗汉、白龍馬は八部天龙とされ、それぞれ自分たちの生活に戻りました。
悟空の頭にあった緊箍咒(きんそうじゅ/jǐn gū zhòu)も自然に消えました。
※備考:生成画像はDALL-Eを使用。調査には百度百科や中国インターネット上の関連文献などを用いた。
※このように原作の流れをよく読んでみると、『西遊記』は「孫悟空と玄奘三蔵たちの旅物語」というより、実は「神々の揉み合いによって孫悟空と玄奘三蔵たちが翻弄された騒動の顛末」が描かれているという事になる。