ココナラ様専用・執筆ポートフォリオ(諸行無常)

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コラム
※本資料はライター/作家としての制作能力を示す簡易的な作品となります。ご依頼時の参考資料として目を通して頂ければ幸甚に存じます。
※同じ内容の資料をポートフォリオ欄にも掲載致します。

【ルール】
1:『平家物語』冒頭の一節を様々な作風にアレンジする。
2:『平家物語』原文が意図する本質的な内容は変えない。
3:各アレンジは見出しのテーマに沿い、かつ論理を破綻させない。(文章として意味が通じる展開とする。)

1:平家物語原文

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。――『平家物語』第一巻「祇園精舎」

(現代語訳)
祇園精舎の鐘の侘しげな音色には、絶え間ない世の中のうつろいを感じさせる響きがある。そして沙羅双樹の花の色には、どんなに勢いに満ち溢れた者でも必ず衰える時が来るという道理が感じられる。この世に栄えて居丈高に振舞っている者がいるとしても、その栄華もいつかは滅びてしまう。どのような者であれ、私たち人間は風に飛ばされる塵と変わりがないのだ。

2:キャッチコピー/散文風

「祇園精舎の鐘の侘しげな音色」「沙羅双樹の花の色」がもたらすもの――
私たちはそれを、絶え間ない変化の儚さと美しさであると捉えよう。
高ぶった栄華は、いつかは必ず静かに消えゆくものだ。
そう、あたかも”風に飛ばされる塵”のように。

3:手紙/メール風

〇〇様 大変お世話になっております。先般はお忙しい中でお時間を頂きまして誠に有難う御座いました。〇〇様から「常に音色を変える祇園精舎の鐘は世の中の変化を意味している」というお話を聞き、大変感銘を受けました。考えてみれば沙羅双樹の花の色もそれと同じ事が言え、勢いづく時と終わる時の落差を彷彿とさせる所が御座います。そうなりますと、確かに〇〇様の言われる通り、全ての人々も世の中も永遠というものがなく、風によって簡単に吹き飛ばされてしまう塵のような存在なのだと思います。

4:インタビュー記事風

――祇園精舎の鐘の音っていうのは、弱かったり強かったり、常に変化に富んでいる訳ですよね。それってね、世の中がいつも変わっているよ、ひとつとして変わらないものはないよ、というパターンを意味していると思うんです。沙羅双樹の花の色だってそうですよ。咲いている時は鮮やかでも、しぼむ時はもう目も当てられないじゃありませんか。だからね、どんなに偉そうな人でも、やがて終わりの時が来るという事なんです。人間ってそういうものですからね。塵みたいなものなんですよ。風に飛ばされて、いつかは終わるんです。

5:論文/レポート風

祇園精舎の鐘は常に音色が変化をする。その為、世の中に不変の事物が存在しないという事を象徴的に示していると言える。またこれに類似して、沙羅双樹の花の色も開花と落花の差が大きい為、興隆と衰退の法則性を示すものであると考えられる。総じて、いずれの栄華も風によって離散する塵のように消滅してしまうと捉えられるのである。

6:ブログ風

祇園精舎の鐘、皆さん聴いたことがありますか?
そんなものないよ、っていう人がほとんどですよね。

実はあの鐘の音、かなり音程に変化があるんです。
だから「世の中が変化し続ける事を意味している音色だ」と言われています。

沙羅双樹の花の色もそう。
花が咲いている時と、しぼんでしまった時は、色が全然違いますよね。
だから、パワフルな人もやがては弱くなっていくんだよという、
そういった話にもつながるわけです。

つまり、この世界でどれだけ肩書や資産があっても、
やがてそんなものも消えてしまう時が絶対に来るということなんですね。

「人は風に飛ばされる塵と何も変わりがないじゃないか」
味気ない話になってしまいますけど、
そんなふうに言いきってしまうことも出来るということなんです。

7:新聞社説風

▼あまりに慌ただしいニュースばかりが飛び交う昨今だが、「祇園精舎の鐘の音」に関する政府発表にはただ驚いた。変化の大きな祇園精舎の鐘の音色を受け、流動し続ける世界の法則性に通ずる唯一の現象と断定したのである ▼小欄のまわりに聞いてみると、「祇園精舎だけでは物足りない」という憤りの声が多かった。専門家の中には「沙羅双樹の花の色だって同じ事が言える」といった意見も多い。確かに沙羅双樹の花の色も変化が激しいので、そこには権勢を振るう者が必ず衰運に見舞われるという法則が浮かび上がる ▼「始め有るものは必ず終わり有り」と語ったのは、今から二千年以上前の中国・前漢の揚雄である。「祇園精舎の鐘」だけではなく、あらゆる現象や言葉が「栄華は必ず消え去る」という事実を示している。現代の私たちが考える以上に、人類は遥か昔から「人間は風に飛ばされる塵とまったく変わらない」という事に気が付いていたに違いない。

8:コナン・ドイル(シャーロック・ホームズ)風

 祇園精舎の鐘なるものは、それを叩く者が相当な荒くれものでない場合を除けば――それは結構頻繁にあるようであるが――、通常はどこかよそよそしく寂しげな雰囲気があって、それが何となく「世の中は常に移り変わっているのだ」という事実を突きつけているような気がしてならない。また沙羅双樹の花の色にも同じような事が言えて、咲き誇っている時は威厳があって逞しいのに、時期を過ぎればすっかり弱々しく褪せてしまう。そんな事を考え始めた途端に、私は思わず身震いをした。我が友人が驚くべき観察眼を示してどれだけ活躍しようとも、その栄光の瞬間がやがてこの世から綺麗さっぱり消え去ってしまうと感じたからだ。
 この話を早速彼にしたところ、相手はさも興味がなさそうに椅子に身をのけぞらせ、短くこう返事をした。

「君、人間なんて誰だって塵みたいなものだよ。」
「しかしね、そうは言っても、ずっと質の良い塵があって、それが消えずに存在し続ける事があっても良いと思うが。」

 私はそう食い下がってみたものの、我が友人はこの議論に対して特別な注意を払ってはくれなかった。

「塵は塵だ。質が良くても悪くても、風が吹けばそれでおしまいだ。」

 そう言い切ると、彼はもうこれ以上の言葉は必要ないとでも言うように、椅子からさっと立ち上がって扉に手を掛けてしまった。

9:ドストエフスキー風

 その青年が果たして祇園精舎の鐘にどのような思いを抱いていたのかは定かでは無いが、少なくとも筆者が知る所では、それがあまりに慌ただしく混乱に満ちているものと考えていたようである。すなわち、彼はそれを神様による試練とでも言うように(宗教に熱された若者は常にそんな事を考えがちである)、不安定で落ち着きのない人間の運命そのものだと解釈したのだ。また彼は沙羅双樹の花の色にも同じ事を考えて、色を失って花弁が地に転げ落ちる瞬間と栄華の破綻を重ね合わせていた。要するに、自らの考えに乱され続ける哀れなこの青年は数日間も部屋にこもり、青ざめた顔をしてぐるぐると頭を巡らした後、遂に次の結論に至ったのである。どのような人間でも、かの長老であろうと先日の閣下であろうと、全てが風に吹き飛ばされる塵のように破滅するのだと。

……等々。永遠に出来そうですが、このあたりで筆を置かせて頂きます。内容は同じでも、かなり受け止める印象が変わるのではないでしょうか。論理学というのはつくづく興味深く奥深い世界です。

2021年8月24日制作
近藤祥紀

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