普段、私は理学療法士として働いています。
仕事柄、誰かに新しい動きを教えたり、身体の使い方を指導したりするときには、どうしても頭の中で「効率的なステップ」や「段階的な進め方」を組み立ててしまう癖があります。
先日、子どもと自転車の練習を始めたときも、私の頭の中は完全にその“専門家モード”になっていました。
「まずは片足をペダルに置くところから」
「次は地面を蹴って進む感覚を掴んで…」
そんなふうに、細かい手順を順番に教えながら、少しずつレベルアップさせようとしていました。
子どもは素直に話を聞き、言われた通りに動いてくれていました。
反発するわけでもなく、淡々と“やるべきこと”をこなしている。
でも、後ろからその様子を見ていると、ふと違和感が湧きました。
確かに言われた通りにやっている。
けれど、どこか「やらされている」ような空気があって、
ほんの少しだけ、やりたくなさそうな影が表情ににじんでいたのです。
■ 効率よりも、この子に必要なものは何だろう
「調べれば、もっと効率的な練習方法はいくらでも出てくる。
でも、今この子に必要なのは、本当に“正しいステップ”なんだろうか」
そう思った瞬間、私は一度すべての手順を横に置くことにしました。
「よし、一回細かいことは忘れて、とにかくやってみよう!」
そこからは、あえて指示を出すのをやめました。
ただ後ろから自転車を支え、私が一緒に走りながら、とにかくペダルを漕がせてみる。
シンプルに、それだけに切り替えたのです。
「いくよー!せーの!」
「あ、今の惜しい!もう一回!」
こちらから「足はこう」「手はこう」なんて言わず、ただ一緒に転びそうになりながら、何度も何度も試していく。
すると、目の前の子どもの様子が明らかに変わっていきました。
何より、笑う回数が増えたのです。
ステップを意識させていたときの緊張した表情は消え、失敗しても「あはは、おしい!」と笑いながら、またすぐにペダルに足を乗せる。
汗だくになりながら何度も挑戦するその姿は、ただただ楽しそうでした。
■ そして訪れた、“ふとした瞬間”
何度も繰り返しているうちに、子どもが何かを掴んだ瞬間がありました。
それまで左右に揺れていた身体が、ハンドル操作でバランスを取り始めたのです。
蛇行しながらも、わずかな微調整で重力をコントロールしている。
「あ、今、乗れてる」
後ろで支えていた私の手から、自然と自転車が離れていきました。
最初は少しふらついたものの、子どもがハンドルをキュッと立て直すと、すーっと前に進んでいきました。
「乗れた!乗れたよ!」
振り返った子どもの満面の笑み。
その瞳の輝きは、今でも鮮明に思い出せます。
専門家としてどうこうではなく、
ただ一人の親として、胸の奥からこみ上げるような喜びがありました。
■ それ以上に心に残ったのは、「笑顔の時間」だった
でも、乗れるようになった瞬間と同じくらい、私の中に深く残ったものがあります。
それは、教えるのをやめて、一緒に何度もやってみる形に変えてから増えた、あの笑顔の時間です。
振り返ってみると、私は「自転車に乗れるようにする」という目的を、知らず知らずのうちに大きくしすぎていました。
「早く乗れるようにしてあげなきゃ」
「プロとして上手に導かなきゃ」
そんな気持ちが、私自身を少し硬くしていたのだと思います。
もし効率だけを追い求めて細かく指示を出し続けていたら、
もしかしたら、もう少し早く乗れるようになっていたかもしれません。
でも、あーだこーだ言いながら一緒に試して、笑い合いながら練習したあの時間。
あれこそが、何よりも豊かで、愛おしい時間でした。
■ 正しい方法よりも、プロセスの中にある価値
世の中には「正しい方法」や「効率的なステップ」が溢れています。
仕事でもプライベートでも、私たちはつい最短ルートを探してしまいがちです。
けれど、時には理屈を手放して、
目の前の一瞬を一緒に楽しむこと。
ゴールに到達することだけが価値ではなく、
その道中でどれだけ笑い合えたか
というプロセスの中にこそ、大切なものがある。
そんな当たり前のことを、子どもの眩しい笑顔が改めて教えてくれました。
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