水子の定義はバルド・ト・ドゥルの『チベットの死者の書』では受精した時に既に『ガンダルバ』として飛来した魂が宿ると記されています。不思議ですね。
法的な規定があっても、堕胎・流産すればいずれも水子であるとみなされるようです。
水子供養は日本独自の供養です(供養していない宗派もあります)。戦後に設けられた新しめの供養法です。供養に決まった形式はありません。誰でも自己流で行えますしハードルも低いです。そのため、悪徳商法やエセスピ、インチキ商法などがはびこっているのも事実です。もちろん、まじめに誠意をもって水子供養をなさっている寺院も多くあります。
基本的に水子は『払う』ものではありません。
キリスト教では中絶は禁忌とされており罪とみなされているので、供養どころかあまり良い目では見られませんので『隠す』ことが多いかもしれません。
ここからはどのようなものなのかスピリチュアルな観点と歴史的背景と絡めてお話したいと思います。
例えば、密教占星で見ると良家の生まれで頭も良いのに運が悪くて、病にさいなまれる人がいます。
夜に「変なものを見る」と訴えたり、真昼でも白日夢を見たりして仕事が手につかなかったり…。そして『良縁の星』があっても独身で良い縁がさっぱりないのです。
その様子をタロットで占うと悪魔(正位置)や死神(逆位置)が現れてくるかもしれません。妖怪の雰囲気が察せられるわけだが実態をつかむには…例えば霊能力が必要で、その目で見えなければわからないのです。(この霊能力というのも怪しいところではありますが…、見えなければ理解しにくく、わかりにくいということです。)
水子はある程度成長しなければ霊界の旅立つことができないので、この中浮界で霊のエネルギーをお乳のように吸うとされています。つまり、母に食いつき、父に食いつき、常にその魂を食って成長している。だから堕胎した子供が数人いれば数人体にくっついて親の霊気を食っているという姿が見えてくる。
霊的には親の皮肉が食われ赤くただれた姿になっているとされています…。
水子は母親だけではなく父親の方にも行くので、例え、子供を捨てても、血が繋がって居れば子供はその血を辿って父親を見つけ食らいつくといいます。
事故や病気で流産した子はしっかり寺で水子として供養してもらえますが、堕胎した子供にはそんなものが全くないので、悔しさに任せて大いに泣き叫んで食いついていると…。
霊気が食われてボロボロになってしまってはいくら良い運命をもって生まれてきてもそれどころではないので、まずその水子を供養して霊界に送らなければ、自分も普通になれないというのが水子供養の概要のようなものです。
ここで、『お祓い』や『呪詛跳ね返し』のようなことをして水子を追い払おうとするととさらに酷いことになるのです。水子はさらに飢餓に追いやられ霊界にも行けず、牙をむいて食いついてくると…。
牡丹灯篭の物語のように好いた骸骨がお札の破れた隙間から入り込むような恐ろしい展開が待っています。
様々な寺院では供養法としてお経をあげてお代をとって塔婆を立ててとしてくれるが、なかなかそれで事は収まらず、死んだ水子も命がけで霊界に行くエネルギーがいるようなのです。
一生何もしなければ子供は両親が死んだ時、その体に食いついたまま霊界まで引きづられていくことになるそうです。
ここまでが水子供養の概要のようなものです…。
しかし、本当に水子に必要なのは寺院での供養や除霊ではなく、『母の愛』なのです。
きちんとしたお寺さんや供養を生業とされている方々から苦情が入ると困りますので、ここから有料とさせて頂きますm(__)m