深夜の路地に、人の声はもうない。
街灯の切れ間、ビルの隙間、コンクリートの陰にひそむもの――私はそこに耳を澄ます。
それは風の音にも似て、夢の中の囁きにも似ていた。
私の名は霧原月音。占い師として十数年、影のような店を営んでいる。名を出すでもなく、広告を打つでもなく、ただ流れ着く者を受け入れるだけの場所。《月隠庵》という。
だが、ここには決して偶然は来ない。
来る者は皆、何かを失い、何かを探している。
私は、視える人間だった。
それは“未来”ではない。
心の残響――人が生きてきた中で切り離してしまった過去、言葉にならなかった痛み、見ないふりをした願い。それらが渦巻く“声なき声”を、私は感じ取る。
あるときは皮膚の奥にじっとりと滲み、あるときは骨の奥から軋むように、感情が私に語りかけてくるのだ。
十七のときだった。
初めてその“力”が暴れ出したのは、駅の構内。すれ違う人々の感情が、波となって押し寄せてきた。嫉妬、絶望、嘘、悲鳴、後悔、そして諦念。
私は目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちた。
“これは、人の痛みだ”と、直感でわかった。
それ以来、私は人混みを避け、独りでいる時間が増えた。親にも言えず、友にも相談できず。ただ「普通」でいようと努力を重ねた。だが、視えてしまうというだけで、世界は地獄に変わる。
そんなある日、一通の手紙がポストに入っていた。宛名も差出人もなかったが、封を切るとたった一文。
「君の声を、私は知っている」