"のえあり"です。
少し時間が空いてしまいました…ご無沙汰しています。
最近は、YouTubeの「今クラ」のハヤシさんの声にすっかり癒されております。
(知らない方は、そっとスルーしてくださいまし…笑)
さてさて。
私、以前から犯罪心理に興味がありまして。
というか、心理学そのものが好きで、あれこれ本を読んできました。
犯罪心理学なんて、まぁ普通に生活していたら使うことはないんですけど……
それでも「気になる」には勝てないのが、人の性(さが)というもの。
で、そんなふうに犯罪心理にアンテナを立てていると……
最近なんだか事件、不祥事が次々と起きてる気がしません?
「え、また…?」みたいな。
どこかで聞こえる…
「その人にはその人の理由があるんだよ」
「きっと何か事情が…」
というフレーズ。
いやいやいや……それで片付けて大丈夫? と、ツッコミたくなる私。
ということで今日は、
事件、不祥事がなぜ続くのか?
“その人なりの正義(理由)”ってほんとに共感できるのか?
そんなことを、ゆるっと掘ってみたいと思います。
ニュースを見るたびに「またか…」と思うこと、ありませんか?
虐待や詐欺、暴力事件が次々と報じられ、似たような事件が立て続けに起きることも多いですよね。
実は心理学では、こういう現象をコピーキャット・クライム(模倣犯罪)と言います。
有名な犯罪が大きく報道されると、それを見た人の中に「自分もやってみようかな?」と思う人が一定数現れるのです。
これは人間の心理の一つ、「社会的証明(social proof)」や「バンドワゴン効果(bandwagon effect)」とも関係しています。
簡単に言うと――
「他の人もやっているなら大丈夫だろう」
「自分も仲間に入れてもらえるかも」
「注目されるチャンスかも」
と無意識に感じてしまうこと。
悪い“空気”って、ほんとに伝染しますねぇ…
「その人なりの正義(理由)」って、いったい何?
どこか耳にするフレーズ…
「その人にはその人の正義(理由)があるんだよ」
「事情があったんだよ」
「私たちにはわからないこともあるし」
うん、言いたくなる気持ちはわかります。(私にも私の事情が…)
でも、殺人や詐欺、虐待まで含めてそれでいいのでしょうか?
犯罪心理学では、犯罪者は多くの場合、「認知のゆがみ(cognitive distortions)」を持っているとされています。
具体的には、こんな感じ。
責任転嫁:「自分は悪くない、相手が悪い」
被害者意識:「実は自分が被害者だ」
道徳的脱人格化(moral disengagement):被害者を「人」と認識せず、罪悪感を避ける
こうして、自分の中で「これが正しい」と信じ込む――
つまり“壊れたコンパス”を持ったまま行動していることが多いのです。
だから、「その人なりの正義」と言うとき、それが私たちと同じ“正義”かは、正直かなりズレている。
“共感”って、どこまで?
最近は「共感力が大事!」と声高に言われる時代。
でも、心理学には「共感疲労(compassion fatigue)」という言葉があります。
これは、他人の痛みに過剰に共感し続けると、自分の心が疲弊してしまう状態のこと。
また、「共感の限界理論」では、共感は心理的・物理的に近い相手にしか成り立ちにくいとされます。
さらに、
「その人のことをわかってあげたい」という気持ちが強すぎると、逆に“きれいごと”や自己満足になりやすい。
「相手の正義を理解しよう」と頑張るあまり、
それが本当に“理解”なのか、
それとも「わかっている自分でいたい」だけなのか、見極めが必要です。
事件が立て続けに起きる背景には…
心理的伝染や模倣行動がある。
そして、犯罪者の“正義”は多くの場合、
認知のゆがみや道徳的脱人格化の産物で、私たちの常識とは大きくズレている。
(だから、健全な人に理解できるものではないし、理解出来たら…こわっっ)
それでも私たちは「共感しなきゃ」と思いがちだけど、
共感には限界がある。
(共感が犯罪を生む場合もある。)
① 集団同調 → 暴走する共感
たとえば 「あの人はひどい目に遭った」「かわいそう」 という共感が高まると、
「じゃあ私たちが代わりに正義を執行しよう!」とリンチや誹謗中傷につながることがある。
→ ネットリンチ(炎上) や 正義マンの暴走 がこれ。
→ 「私は正義の味方だからやっている」という形で、攻撃が正当化されちゃう。
これ、けっこう怖い心理なんだよね。
② 強すぎる「加害者への共感」 → 模倣犯罪
逆に「加害者」への強い共感から模倣するパターンもある。
・「あの人の気持ち、わかる」
・「自分も同じ状況だったらやったかも」
→ そこから実際に 模倣犯罪 が起きることがある。
③ 自分の身近な人を守りたい → 犯罪行為に手を染める
→ 家族や恋人がピンチ
→ 「あの人を守らなきゃ」という強い共感 から
→ 法を犯す(暴力行為や不正行為など)
これもよくあるよね。
「情状酌量の余地あり」みたいなケースでも、このパターンが背景にあったりする。
・共感は「善」じゃない
・向け方次第で 加害性や犯罪性 に化ける
・「共感したい」という気持ちが 自己正当化 や 集団暴走 に火をつけることもある。
結果、理解できないことを認めることも、
心の健康のために必要なのかもしれません。
ということで、今回は犯罪心理を交えながら共感について書いてみました。
私は、感情をよくもらいます。
「え?」ですか?
説明しますと…
感情伝染(emotional contagion)
→ これはもう、そのまま「感情の感染」。
→ 人は他人の感情を 言葉にされなくても自然と受け取ってしまう性質がある。
・そばにイライラしてる人がいると、自分もイライラしてくる
・泣いている人を見ると胸が苦しくなる
・怒っている群衆の中にいると、自分もなぜか怒りっぽくなる
この現象は、ミラーニューロン(mirror neurons) という脳の仕組みとも関係している。
(ざっくり言うと「他人の感情をまねる細胞」みたいなイメージ)
感情は伝染する。特に怒りや悲しみは強烈にうつる。
→ だから「みんなが怒ってるから自分も怒る」「みんなが攻撃してるから自分もやる」になりやすい。
→ 共感と感情伝染はセットで働いている ときがすごく多い。
と言う訳です。
ので、感情をもらいやすい私は、体調も崩しやすいのです…。
共感は時と場で使い分けていた方が、自身のためですね。
犯罪心理学は事件解決にも役立っています。
しかしこれがまた、「絶対」がない分野でもありますので、事後の時点ですり合わせて「こうだったんですね」と振り返る場面も多いのは否めないところ。
けれどそれでも、
人の心の奥底にあるものを少しでも知ろうとすることは、
きっと無駄にはならない――そんな事を願います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次は何書こうかな~
皆さんの笑顔が一つでも増えますように。
それでは、次回に。
のえあり でした。