🕊️ はじめに|応援団長の怒声、音楽の歓声、病室の静寂
こんにちは、臨床心理士の篠原光です。
今回も、陽樹さんが私とのカウンセリングの中で語ってくれた、
小学3年生・2学期の回想をお届けします。
前回(第7話)では、
新しい学校の開校という外的な環境の変化と、
身体に起こった突発的な病という内的な出来事の両面から、
陽樹さんの生活に大きな変化が訪れ、
それらの経験を、彼の言葉で紡ぎ出した姿が印象的でした。
今回の第8話では、秋の運動会、音楽の授業、そろばんの成長、
そして再び訪れる入院生活——。
陽樹さんの記憶は細部まで鮮明で、その出来事ひとつひとつに、
心の襞が刻み込まれているようでした。
[1]🥁 運動会の応援合戦で味わった「恐怖」と「後悔」
「帰りのバスが遅くなるのが嫌で、練習をさぼってサッカーしていたら、
応援団長に見つかって、ものすごく怒鳴られました……」
応援団長に怒鳴られた日——「怒られて当然」は、ただ怖かった。
👦陽樹さん:
応援合戦の練習のとき、サッカーしててサボってたんです。
帰りのバスが遅くなるのが嫌で……。
そしたら応援団長に見つかって、「ふざけんな!」って怒鳴られて。
僕、すぐに泣いて謝ったけど、ぜんぜん許してもらえなくて……
ずっと怒鳴られて。
あとで考えたら、僕が悪いんですけど、
そのときは「こわい」って気持ちしかなかったです。
怒られて当然なのに、どうしていいかわからなかった。
ただ、もう二度と怒られないようにしようって、そればかり考えてました。
👩⚕️篠原:
小3の秋、応援合戦の練習を巡って生まれた衝突。
それは「叱責」というより、「威圧」であり、「恐怖」だったのでしょう。
ASD傾向をもつお子さんにとって、
大きな声・強い言葉・予期せぬ感情表現は、
記憶に深く刻まれやすい特徴があります。
とりわけ今回のように、
「自分が悪いことはわかっているのに、泣いても許してもらえない」
——という経験は、理不尽な不全感として残りやすく、
後年まで引きずることもあります。
[2]🎵 音楽の授業がもたらした「安心」と「楽しさ」
「あのときの音楽の授業は、今でも楽しかった思い出です」
はじめて「楽しい」と思えた音楽の授業
👦陽樹さん:
音楽の授業って、昔は苦手でした。
みんなで歌うとか、うまくできないし……でもその日は違ったんです。
先生が「指揮者になってみよう」って言って、僕もやらせてもらえました。
変な動きしてみたら、みんな笑ってて、先生も「いいね」って。
ふざけたつもりだったけど、怒られなくて。
なんかその時間だけ、すごく自由で。
家に帰っても、ずっとそのことを思い出してました。
楽しかったって、素直に思えたんです。
学校で、そんなふうに感じたのは初めてでした。