🍂 はじめに:誰にでも起こりうる「優等生の行き止まり」
世の中には、
「十分すぎる能力があるのに、働くことが苦しい」と感じる人がいます。
それは、甘えでも逃げでもありません。
むしろ、長い時間、
自分を後回しにして頑張ってきた証なのかもしれません。
今回紹介するのは、内科医として長年勤めた男性の物語。
彼はある日、医者であることを辞め、病院内で事務職に異動しました。
しかし、その選択も「本当の望み」ではなかったと語ります。
彼の迷いや葛藤をたどりながら、
最後にカウンセラー・篠原さんの助言をお届けします。
誰もが直面する「仕事と生き方」のヒントとなれば幸いです。
[1] 🩺 医者なのに、やりたくなかった
彼は、地方の総合病院で内科医として働いていました。
医師免許を持ち、専門的な知識も経験もある──
世間的に見れば、立派な「成功者」です。
けれど彼の心の中には、ずっと「違和感」がありました。
「医者という仕事がイヤなんです」
彼は、カウンセリングでそう言いました。
それは、燃え尽きたという話ではありません。
激務でも、人間関係でもなく、
「医者という仕事そのものが、自分には合わない」と感じていたのです。
けれど、医者になった理由をたどると、それは「自分の意志」というより
「勉強が得意だったから」
「親に勧められたから」
「収入が安定しているから」
――そんな外側の理由ばかりでした。
長年の「適応」の上に成り立ってきたキャリア。
しかし、家庭を持ち、人生の折り返しに差し掛かったとき、
彼の中に抑えきれない違和感が芽を出したのです。
「でも、家族がいるから辞められないんです」
その言葉に込められたのは、
罪悪感と、どこにも出口のない息苦しさでした。
仕事という肩書きの下に隠れてしまった「本当の気持ち」。
彼は、その存在をようやく認め始めていました。
[2] 🧾 異例の人事、でも救われなかった
医師として働くことに心がついていかなくなった彼は、
病院内で異例の人事異動を願い出ました。
「医師を辞めて、事務職として働きたい」と。
現場では前代未聞の申し出でしたが、上司の理解もあり、
医療現場から一線を退き、総務部門へ配属されることになりました。
これで少しは気が楽になるかもしれない。
患者の命を預かるプレッシャーや、
絶えず求められる判断力からは解放される。
生活も維持できるし、家族にも迷惑をかけずに済む――
そんな思いを抱えて、新たなデスクに座りました。
けれど、不思議なほど気持ちは晴れなかったのです。
「今度は、何のためにここにいるんだろう」
現場で命に向き合うこともなく、スケジュールや書類と向き合う日々。
たしかに責任は軽くなった。
でも、
そのぶん自分の存在価値が見えなくなっていくような気がしたのです。
医師という職業から離れたことで、
自分が「なりたくなかったもの」から逃れられた一方で、
「なりたいもの」が、何ひとつ見つかっていなかった――
それが、彼の苦しさの正体でした。
逃げるように選んだ事務職では、
自分の輪郭すら保てなくなっていったのです。
[3] 🧱 仕事がイヤというより、生き方がイヤだった
彼が抱えていたのは、仕事そのものへの不満というより、
「自分の人生が誰かに決められたもののように感じる」という、
根深い違和感でした。
気づけば、いつも正解を選んできた人生だったのです。
偏差値の高い進学校に入り、医学部へ進学し、医師になった。
そこには確かに努力もあったけれど、
「本当に自分がやりたいと思ったか?」と問われると、
答えに詰まる。
誰かに期待され、誰かに褒められ、誰かに認められることが、
自分の動機になっていた。
だからこそ、
医師という肩書きを手放しても、心のモヤモヤは晴れなかったのです。
彼の「働きたくない」は、単に怠けたいという感情ではなく、
自分の意思で生きていないという違和感から来ていたもの。
朝、ベッドから起き上がれない。
誰とも話したくない。
ただ、時間だけが過ぎていく。
それは心の悲鳴であり、
「もうこれ以上、自分を誤魔化さないでほしい」
という内側からのメッセージでした。
彼にとって必要だったのは、職業の見直しではなく、
自分の人生のハンドルを、他人ではなく自分自身に戻すことだったのです。
[4] 📉 能力と収入だけで選んだ20年